タイトル
政治参加を呼びかける選挙フェスのグルーヴ
著者 / 話者

INTERVIEW

2013年7月の参議院選挙。当時ほぼ無名ながら全国比例区で17万人以上もの票を獲得した三宅洋平氏。従来の「ださい」選挙活動ではなく、音楽と演説を組み合わせた「選挙フェス」で、新しい価値観による政治参加を呼びかけた。彼にとって絶好のグルーヴの「サーフポイント」だった選挙活動で発生し、発生させ、目撃したグルーヴについて話を伺った

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グルーヴを生んだ選挙:おしゃれ心と勝手連

編集部 いま「グルーヴ」という言葉にしづらい現象について考えています。喫茶店での女子高生の会話から職場の会議、ライブやサッカー観戦まで人が集まる場所や機会は大小無数にあれど、そこにグルーヴが生まれるかどうかで場の熱量が圧倒的に変わってくると考えていまして。よいグルーヴが生まれると集まった人たちの中で何かが喚起され、場の熱量が上がり、ときにはその場に限らない波及効果を生み出す。その現象はグルーヴという言葉の生まれた音楽の世界でも、またより広い社会でも見られる普遍的な現象で、人を感動させてきた。三宅さんが参議院選挙でなさった「選挙フェス」もひとつのグルーヴと捉えられるのではないかと考えています。

三宅 僕もミュージシャンとしてずっとグルーヴについて考えてきていますが、選挙は絶好のサーフポイントで「見つけた」という感じでした。「政治はダサい」という認識が僕らの世代に広く浸透してしまっているイメージがありましたが、実際にやってみたら、選挙を新しい価値観で動かしましょうという波に参加するという人が多く、「なんだ、みんな好きなんだ」と思いましたね。

編集部 選挙フェスの様子にはまさに「波」を感じました。他のミュージシャンも巻き込みながら音楽とラップのような演説を組み合わせた選挙フェスが全国を巡回し、投票日前日には渋谷のハチ公前が三宅さんたちのライブを聞く人たちで埋め尽くされて、スクランブル交差点を跨いでなおも人が集まっていた。音楽に合わせて体を動かす人たち、感極まって涙ぐむ人たちの姿が印象的で、いままでの選挙演説とは全く違っていました。そのライブの様子やご自身のマニュフェスト動画がYouTube、ツイッター、フェイスブックでうねりの様に広がり、ネット選挙が解禁された初めての選挙で安倍首相を越えるリツイート数を記録された。若い人たちが自分の家族に三宅洋平に投票するように説得したなどのツイートも多く見かけられ、結果的には17万票もの個人票が集まった。これはまさにグルーヴだと思ったのですが。三宅さんの側からは選挙フェスのうねりはどのように見えていたのでしょうか?

三宅 感覚的なところでいうと、どんどん何かが起きてしまっている感じがすごくありました。予想はしていましたが、途中からある意味直視できないスケールになっていった。もう、よくわからない、俺やらかしちゃったんじゃない?と。もう前の人生には戻れない。いまは振り返っちゃダメ、登れ、という感じでした。

編集部 戻れない、もしくは制御できないグルーヴというのはどのポイントで感じたのですか?

三宅 選挙フェスの初日、つまり参議院選が公示された日ですね。その前に4ヶ月間お金と理解を集めるツアーを行っていたので、自分としては選挙フェス初日の吉祥寺ではもう仕上がった状態でした。仲間がたくさん来て、どこか映画のエンディングみたいで。18年間の東京生活がこの一日に凝縮されたような感じでしたね。

編集部 吉祥寺は三宅さんが沖縄に移住されるまで、東京での活動の拠点にされていた場所ですね。そこから全国を回られるわけですが、選挙フェスを取り巻くグルーヴはどのように広がっていったのですか? グルーヴには想いの部分と何かうまい条件、形がかけ合わさって生まれるのかと思っているのですが。

三宅 無形でしたね。僕からは見えないところでもの凄い数の人が動いてくれていた。登録する、お金を入れる、何にしてもこちらではオーガナイズをしていなかったので、勝手連がたくさん生まれました。自分は「選挙に出る」というアクションを起こして、あとはみんなの能動的な動きに懸けていました。誘われた、お願いされたという経緯ではなく「自分の心が動いて踏み出した行動だ」という自負がある人たちの動きでないと、60年も選挙やってきた人たちと比べて意味のあることなんて何も起こせないと思っていましたし。 いままで政治に関心がなかった人にも立ち上がってもらうことが立候補の目的だったので、「ロゴ使っていいですか?」と何百個もの問い合わせが来た時には「いちいちケアしていたら仕事にならないよ、勝手にやってくれよ」と伝えていました。勝手にやらないと意味がなくて、勝手が一番強いんです。

編集部 それで自発的なボランティアたちが7万枚ものポスターを張りまくり、25万枚のビラを配りきった。すごい数字ですよね。

三宅 ポスターや動画は、みんなが配りたくなるように、ちょっとしたおしゃれ心を散りばめました。面白さとか、カラフルさとか、常識はずれの組み合わせとか。おしゃれ心がこもっているとそれは受けとめてもらえる。灰色の世界でやったことだから、より光って見えたのでしょうね。

編集部 いままでの選挙活動は、左脳しか使っていなかったように思います。だから遊びの要素というか、右脳を刺激するようなビラや動画が人を動かすことに繋がったのでしょうね。

三宅 僕らは普段からそういったおしゃれ心から生まれるグルーヴの中で生きているわけです。それを選挙にも反映させた。それで不真面目と言われるなら、もう涙目で訴えるしかない。「俺たちの世代はこれでマジなんです」と。敬意のこもっていない敬語が蔓延するよりも、例えば「マジ」という言葉で伝わる僕らの世代のリアリティーをそのまま前に出すほうが、より多くの人に届き、選挙の本質を変えることに繋がるのではないかと思っています。

編集部 「フェス」という言葉にも強いこだわりはあったのでしょうか?

三宅 とくにはありませんでした。必要だったのは「ロゴ」がひとつあることで、「フェス」という言葉がみんなに想起させるものに一番近かった。選挙フェスってコピーライティングではナンセンスですよね。でもそこで「クロスオーバーなんとかセッション」とか「ヤングジェネレーションポリティクなんとか」のように格好つけたタイトルをつけてはダメだと思っていました。今度でっかいデモをやろうと考えているのですが、タイトルは「大デモ」にしようかなと。しかも宇宙戦艦ヤマトみたいなフォントで「大」とつけて「大デモ」(笑)

編集部 (笑)

三宅 ドイツのデモでは当たり前のように車がテクノミュージックを流しながら走って、踊る人たちが大勢集まるそうです。現地の学者曰く「日本人はデモを楽しんではいけないものだと思い込んでいるのではないか」と。もっとはっちゃけていい。ドイツではデモの10ヶ月後には出生率も高くなるらしいです。パリのデモには演説する人やプラカード掲げている人もいるけれど、基本は参加者が思い思いにおしゃべりをしてハンバーガーを喰い散らかしながら歩く。

編集部 アラブの春では初期の頃デモ広場で何件もの結婚式が行われていたという話もありますし、南米のデモも民族ごとのダンスが披露されていたりしますね。開放感がある。デモを呼びかける大義もあるのですが、集まった人たちは言いたいこと言っていて、主義主張はバラバラであることが多いように思います。グルーヴィーですけどね。

三宅 日本でもデモの存在を定義しなおしたいと思っています。踊りがあって、おしゃべりがあって、バラバラのプラカードが集まっている時に起きているのは、集まっている人の感性が開けて個々の色が混ざりあっている状態。そして普段は一般市民とカテゴライズされている個人個人が、集団になってもの凄い熱量を発揮している。その状態こそが政治を預かっている体制に対して「見ているぞ」というメッセージになるわけです。

編集部 日本にデモンストレーションという言葉が紹介されたのは20世紀の始めだといわれていて、当初は示威行為と訳された。意気込みや活動の勢いを表すことが、ある意味デモの本質だったと推定できるかもしれません。

三宅 「デモという言葉についたイメージが悪いから『なんとかパレード』と名前を変えよう」というのは違う。僕はあえて「大デモ」として真正面から行こうと思っています。選挙も同じで、普段は個々の市民として生きている我々が政治について考え、話し合い、考えを深めあう機会なんです。選挙フェスで呼びかけたのも、民主主義の本質を取り戻そうということです。いま求められているのは、政治の本質を捉え直し、再構築していくことであって、そのメッセージが多くの人が考えていることと通じるところがあった。多くの人が求めていたことを「あり」にしたから生まれたグルーヴだと思っています。

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グルーヴを生む動きと言葉:人を開かせる

三宅 グルーヴには見えるグルーヴと見えないグルーヴがあると思っています。見えるグルーヴの要素は動き。教室でも、会社でも、バンドでも、集団の中で動きが気持ちいい人がいると、その動きが周りに広がってグルーヴが生まれる。見えないグルーヴは絶対的に言葉。しかも音、音の言葉。考えさせる言葉というよりは、感じさせる言葉。最近は少しくらいバカだと思われても、心に伝わる言葉の方がいい、というスタンスが本当は賢いのかなと思っています。

編集部 音の言葉。まさに音楽ですね。三宅さんのメッセージがグルーヴを生み出した背景にはミュージシャンとしての活動の積み重ねがある気がします。選挙カーの上から連呼される名前や、駅前で拡声器を通して語られる演説など、これまでの選挙のフォーマットでは聞く気になれなかった内容が、リズムやビートに乗ってラップ調で語られると全く違って聞こえて。選挙演説自体のスタイルは新しいのに、ストンと心に入ってきました。

三宅 心が開いた状態になって入ってくるからだと思います。僕は窓のない部屋に窓を書くのがアートだと思っていて。ないところに「ある」を作る。リリックで訴えたのは選挙でも情感を表現していいんだよということです。情感を表に出してはいけないと思っている時点で日本社会にグルーヴは起きない。表現がなければグルーヴするものがそもそもないんです。

編集部 三宅さんはご自身にもともと伝えたいことがあってミュージシャンになられたのですか? それとも音楽が先にあったのでしょうか?

三宅 言いたいこと、歯がゆい音が山ほどあったというのもあるし、音楽は音楽で小さい頃から好きでした。幼い頃からグルーヴィーな音楽に囲まれて育っていましたね。周りが光GENJIを聴いているときにMCハマーやマイケル・ジャクソンを聴いて踊っていた。ブラックミュージックから学んだことは何世紀にも渡って虐げられた人たちの爆発的なファンクネスです。窓のない部屋に窓を描くしかない、そうしないと気が狂ってしまうというときに、そこに宿る最強のアートが後の世代の人たちをやたら元気づけてしまう。マイケル・ジャクソンのスリラーはMTVで初めてきちんと取り上げられた黒人音楽ですが、当時の僕みたいに、歴史的な背景を何もしらない子どもさえも踊らせてしまったわけです。

編集部 三宅さんの音楽にはレゲエ、ジャズ、アフリカなどのルーツを感じるのですが、ブラックミュージックは三宅さんの音楽的な原点であると。

三宅 7歳のときにベルギーから日本に帰ってきて、周りに全然馴染めなかった。その後企業にも勤めましたが、違和感を感じることが多かったし、評価もされなかった。自分が異物だから声をあげるラウドマイノリティーたちの音楽に共感したし、それが自分の表現欲求の元になっていると思います。ミュージシャンになって、「自分が違う」という社会との軋轢がエンジンになって場のグルーヴが生み出せると気付いた時に、世界が一気にひろがっていきました。

編集部 社会との軋轢がグルーヴのエンジンになるというのは面白いですね。グルーヴを生む為に音楽的に気をつけていることはありますか?

三宅 曲を詰めない。水墨画も、広く言えば社会もそうですけど、余白を残した方がいい。人が想像の塗り絵をできる余白ですね。音楽に乗るときも、人は大体音のないところに入ってくる。そこに首が入って、ブラックビートは腰まで入っちゃう。クッって。そういうエロさがある。テクノも最終的に四つ打ちしか残らなかったじゃないですか。そうするともう理論や好き嫌いを超越したグルーヴが生まれてみんなが踊る、体が動いてしまうことがある。だから自分の曲もどんどんシンプルにしていきました。

編集部 選挙のラップ調の演説がとても印象的でしたが、リリックで語ることも活動の中で変わってきていますか?

三宅 人の注意力はとても散漫で、基本的にみんな自分のことだけを考えていて余裕がない。これは僕も含めて全員です。その状態に無理矢理割り込まずに、気持ちよく入っていく長さ、パンチラインについては非常に考えます。どうパッケージングしたら人に伝わるか、開いてくれるのか、感化されてくれるのか。リリックの内容についても、北風と太陽の寓話みたいに、誰かに対して自己の変革を要求する北風になってしまうと相手は身構えるけれど、太陽になって暖かく照らしてあげると自分から脱ぎ出す、そういう力の使い方を覚えてきました。強要するのではなく内発的なパワーを解放するパフォーマンスに変わってきたと思います。

編集部 選挙のやり方にそれが如実に現れているなと感じました。縁故や利害関係で縛るのでもなく、誰もギロチンにかけない。思ったことを話し合おうというメッセージでしたよね。

三宅 快楽の「快」がキーワードだと思っていて、人間はそれを追い求めて進化してきたとしか言いようがない。人間を突き動かしてきたのは喜怒哀楽のどれでもなくて、快楽。気持ちいいかどうか。だからそこには貪欲であっていいと思います。

編集部 パフォーマンスをされていてグルーヴが生まれそうな瞬間というのは分かるものですか?

三宅 基本的にはみんなが体を動かしたり、ハンドクラップを入れたりして「何かが開いた」ときですね。自分が観客のときは、「ここで俺が『ウォー!』と叫ぶだけで何かが変わる」と感じたら、もう最初の曲で躊躇なく叫びます。すると後ろの人たちは影響される。それが広がっていって観客全体が盛り上がって「イェーイ!」となったときにバンドの固さがとれる。いい演奏が聴けるかどうかは観客の力量にかかっているとも言えますし、その中で観客ひとりの力は大きいんです。その雄叫びを上げる最初の、謎の誰か。そのファンキーなお兄さんでありたい。

編集部 三宅さんのスピーチの中で、「夜はたったひとりのダンサーから始まる」というフレーズが非常に印象に残っています。吉祥寺のスターパインズカフェでバイトを始めたときに、店長にフロアでタコ踊りをしてこいと言われて、とにかく踊っていたら、周りのお客さんたちも踊り出して、そのときに自分の仕事を悟ったと。最初に踊って場を開くこと、それは場に対する責任感とも聞こえます。

三宅 そうですね。場に対する責任感。その夜に特別なきらめきが生まれる瞬間が欲しいから、自分のライブでそのきらめきを追い続けて4時間以上になる時もある。みんなが寝ている時間にわざわざ穴蔵みたいなライブハウスに100人以上も集まって来て、これでなにも起こらなかったらダメでしょう。もうそんなの絶望的で死にたくなってしまう。それが嫌だから絶対に盛り上げたいと常に思っていますね。その拡大版が社会だと思っています。

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全員シャーマンの時代(開け、立ち上がれ)

三宅 選挙の出馬も、もう一回政治を僕たちに戻す為にこのタイミングで動きませんか、きっかけとなる為に自分がまず動きます、というスタンスです。最初に踊る、洗濯機のモーターのようなものでありたい。ただ全員の中にあるその感覚を呼び起こして、渡り鳥の群れのようにみんなで交代制にするともう少し楽だなあと、最近とても真剣に考えています。僕はグルーヴってある種のシャーマニズムだと思っているんです。

編集部 古代から続く祭りを見てもシャーマンが場のグルーヴを司ってきた歴史がありますよね。音楽を操りながら人の感性を開き、覚醒させるような古代DJといいますか。政治とはもともと卑弥呼の時代から祭りとシャーマニズムとグルーヴによって造られていたのではないかと思うんです。三宅さんはそれを純化して現代に持って来られようとしているのかと考えたのですが。

三宅 古代から続くシャーマンはガイダンスする人、フロントマン的なシャーマンですよね。現代でも音楽で言えばボブ・マーリーもそうですし、サッカーで言えば刹那的な自由を体現し続けて来たマラドーナなんかもシャーマン性がある。でも21世紀、もっと言えばこれから6000年くらいはそうしたヒーロー像が変わった方がいいと思っています。みんなが自分を開く。全員ボブ・マーリーみたいな状態。

編集部 全員ボブ・マーリー。全員シャーマンということですか。

三宅 ボブ・マーリーが何で盛り上がるかって、あの人の動きや入り込み方、「自分大好き」と「みんな大好き」のバランスがいい。でも、そういうシャーマン性、自分を表現する解放力は、本当はみんなが持っていて、要所要所で発揮できる。ただ教育の影響なのか、年齢が上がるたびにどんどん閉ざされていく。例えば自分も小さな頃、音楽を聴きながらその世界に入り込んで踊っていて、ハッと振り返ったら親に見られていて恥ずかしかったということがありまして。

編集部 (笑)ありました。ありました。

三宅 そのときに羞恥心を打ち消してあげるのが重要で、「すごく良かったよ。なにいまの? また今度やって!」と言ってあげるかどうかで、その子の自分を表現する解放力が違ってくる。

編集部 では子どもの頃に閉ざしてしまった人が、またグルーヴに戻ってくるための方法はありますか。三宅さんのようなおしゃれ心を、誰もが持っているわけではない社会だと思いますが。

三宅 そこはおしゃれ心を持たないとダメですよ。人間として生まれてきた以上やらなければならない仕事がいくつかあって、おしゃれであることはそのひとつだと思います。おしゃれって人それぞれですよ。あとはふざけてみること。ふざけないとエネルギーって生まれないですから。真面目であることばかりが賞賛されるのはほんとうに諸悪の根源ですよ。

編集部 昨夜のライブでも「真面目につけるクスリはない」と連呼されていましたね。

三宅 訴え続けています。おしゃれ。ユーモア。それから、この言葉は負のイメージが付いてしまっているからあまり使いたくないけど、「スピリチュアル」に行動すること。地球上に生まれてきて、あらゆる生命の息吹やスピリットを感じて行動することは人として当たり前で、怪しまれることでもないと思うんです。人を工数として扱う産業には不便かもしれませんが。例えば、パタゴニア社の「波のいい日は社員をサーフィンに行かせよう」、だからいつ波が来てもいいように普段仕事しておけ、というような考え方がもっと広がっていい。
若い世代はそういう発想の転換ができるはずだから、グルーヴィーな社会を作る上でも社会の実際の局面で自分たちの価値観を反映させたほうがいい。主導権をとらなくてもいいので、ちゃんと自分たち分の色が反映される為に国づくりの場に参加するときなのだと思います。でもそれをしようとすると責任も仕事も増えるから、誰か一人だけが責任を負って頑張るのではない状態を作る。そこはヒーロイズムを変えていかないといけないと思います。
「選挙のとき一票入れましたよ」「応援しています」と声をかけてくれる人たちがいるんですけど、この場合どう返答すればいいのか? 正直、「ごめんなさい」も「ありがとう」も必要ない関係だと思っていて。「人の応援している場合じゃないよ、あなたはどうするの?」という感覚なんです。

編集部 誰かをヒーローにして盛り上げたい、ついていきたいというのはパブリックな空間に本能的に横たわる集団の心理ですから、そこを焚き付けるのは難しいですよね。

三宅 ヒーロイズムはその人が潰れたら終わりで、周りはその悲劇に酔ってしまうということを繰り返して来た。残酷ですよね。そこを越えていくには全員が等しく自負をもつことだと思っています。新しい価値観で社会を動かすための17万6970票なら、僕も1票入れているわけです。自分に。あなたと私の質量は等しい。さらにそれは首相や経団連会長とも対等な質量なんです。それを心から信じている面倒くさくて生意気な個人がたくさんいることによって、面倒くさい話し合いもたくさん起きて、その中で結果的にみんながもっと哲学していく。
僕はもっと多くの若者が選挙に出るようになればいいと思います、いい経験ですよ。世界に対して開いている自分。選挙に出るまでは、道行くおばあちゃんにまで心を全部に開いて、みんな何を着て何を食べて、どうやって生きているんだろう? なんてことは考えたことがありませんでした。小さな町の地方議会選挙でもいいから、その感覚を人生で一回でも経験することは貴重だと思いますよ。

編集部 実際、参議院選の三宅さんの姿を見て、地方議会に立候補しようと立ち上がったアーティストやミュージシャンが現れ始めているそうですね。

三宅 いま把握しているのは数十人ですね。「1万人の立候補プロジェクト」をうたっていますが、実態は「#1万人の立候補プロジェクト」というハッシュタグが存在するだけですから。(笑)

編集部 大胆ですね(笑)。だけって。

三宅 そういうプロジェクトなんです(笑)。僕は、選挙フェスに参加してくれた人たちにはこの機会を利用して変化を起こしてくれることを託した。何をするかはあずかり知るところではない。もちろん一般市民が選挙にでるのは勇気がいりますし、そこの恐怖心は共有出来るので、政党から声をかけられたり、自発的に立候補を考えたりして僕のところに来る人の相談に乗ったりすることはしています。選挙に出ることの敷居はみんなが思っているほど高くない。何の経験もなかった僕でもここまでできたんです、と。これまで築かれて来た政治の重たい空気というのはありますが、それを乗り越えた最初のバンジージャンプを跳んだ人たちが増えて、既存の政治枠では語れない立候補者が1万人出ればいいなと思っています。1万人というと地方議会の合計議席の3分の1ですから。

編集部 政治がそもそも祭政一致から派生したものでもあり、ミュージシャンの活動と選挙は相性が良さそうですね。

三宅 ポスター、フライヤーを作って配ってお客さんを集める。本も出す。僕らが普段イベントやパーティーでやっている内容とほとんど変わらないです。僕が昔住んでいた杉並区の区議会議員選挙では2000票ぐらいが当落のボーダーラインでした。インディーズでCDを2000枚売るより絶対ラクだと思います。
それで選挙に出たら、言いたいことを言えばいい。地方議会なら万人にチャンスがあるじゃないかと気付いたのは、高円寺でリサイクルショップを経営しながら選挙活動をしている「素人の乱」の松本哉さんの立候補していたのを見た時なんですが、そのとき彼が「チャリンコ撤去反対」という政策を掲げていたんです。ぶっ飛んでいるなと思いましたが、同時に思ったようにものをいうことは民主主義にグルーヴを生むための何よりの要素だと思いました。

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伝えろ、色を混ぜ合わせろ

三宅 いまはひとりがひとり以下になってしまっている状態だと思っています。間違っていること、空気を読んでいない発言を極端に恐れる傾向がある。でもこれだけ情報が溢れて細分化されているいま、起きている本当の問題はディスコミュニケーションだと思っていて。黙って探りあっているから、軋轢、勘ぐりが増えて、疑心暗鬼な社会になりつつある。

編集部 情報や価値観が細分化されているという意味でも、いまはカリスマ的なリーダーに頼る時代ではないのでしょうね。

三宅 みんなの絵の具を混ぜ合わせていくしかない。社会というのは想いと思い違いの集合体で、全ての個人には自分の想いがあって、全てのコミュニケーションは誤解と自己解釈の連続なんです。だからこそ話し合って和をとるために民主主義は発明された。ちょっとずつの妥協の産物のなかに、みんなのやりたいことの近似値をつくるプロセスとして。

編集部 ある意味民主主義もグルーヴですよね。

三宅 そうですね。そのグルーヴを起こす為にコミュニケーションすることやセッションすることをこれから学んでいかなくてはいけないのだと思います。いままでの日本社会はもっと強固なもの、決まりごとやルールでお互いを縛りあうことでうまく回っていて、それは得意だったのだと思います。最大限発揮されていたのは戦争中とか。
高度経済成長期の企業社会も実はそうだし。でも逆に、自由意志的な、律するほうの自律的な精神で、個人が個人でありながら必要に応じて臨機応変に徒党を組むような、そういう社会的なオーガナイゼーションは苦手ですよね。バンドマンの目線で社会運動を見ていると、セッションが下手だなと思うことが多々あるんです。立ち位置が少しずつ違っても、そこはセッションしようよと思う。バンドもスタジオの中だとそれぞれに細かいこだわりや主張があるから険悪になったりしますけど、ステージの上でひと固まりになるときって無私の精神なんですよ。それって社会作りの大きなヒントだと思う。そして、お客さんとステージのグルーヴがちゃんと生まれていると、やる気や情熱というフリーエネルギーが作られて、お客さんの心も熱くなって、「ちょっと俺も一発何か事を起こしたいわ」とか「アートをしたいわ」みたいな気持ちになって帰っていく。ある意味、無から生まれたすばらしいエネルギーで原動力。だから単純に協力し合えているときのあのグルーヴって、もっといろんなシーンで欲しいと思います。

編集部 一人一人が職場でも是非グルーヴを生み出せるといいですね。

三宅 パーソナリティを磨く個人個人、いまあらゆる現場にいる人にかかっていると思います。外部から何かを注入するという西洋医学的なことではなくて、みんなの内発的な何か。ガンって目覚めた人、感性を開放すると決めた人がもうそこに存在すること。いまと同じ仕事をしながら目覚めている人が、どれだけ迅速に増えて、シナプスのように繋がりあい、そこに新しいネットワークが生まれて、「あ、何かこの人分かっているな」っていう人たちがババっと繋がるか。そういう人は、最初はいわゆるマイノリティーでいびつに見られたり、疎外される苦しみを味わったり、ときにヒステリックになってしまったりするものですが、そういう部分も含めて「俺は分かるよ」というアクションやムード作りが必要だと思うんです。人も製品もそうですけれど、研磨されたものではなく、ごつごつとしたものを美しいと言えるというか。
あとは予定調和ではなく今日偶然集まったこのメンバーで、「ハイ」って言われたときにセッションできるかどうか。決められた曲をいつものメンバーで「平歌、サビ、平歌、サビ、ギターソロ、サビ、終わり」とするのではなく、その日に集まったメンバーを見て「じゃあやりますか、イェーイ」っていうノリを起こせるか。グルーヴを起こすには、目の前のできごとに対処しながらのジャム能力が求められる。どちらも文化の底力を問われますよね。
社会全体でコミュニケーション能力を高めるためには、協奏的なコミュニティーの中で、それぞれの個人が開いてものごとを恐れずに言う、自分の行動と経験と感性を「一次情報」として、個人がメディア化して発信するところから始めるしかないと思っています。
発信段階であえて論理や情報を詰めきる必要はないと思うんですよ。先ほど曲を詰めないという話をしましたが、バンドの中でもレコーディングするからといって全部譜面に起こさないようになりました。みんなのやりたいことの近似値が作品として仕上がっていく過程でバンド自体のグルーヴが生まれるんです。そういうセッションはカオティックな部分があっても、毎回新しい解釈が生まれて何通りもの色を帯びる。若い頃は詰めようとするあまりワンマン的になっていましたが、いまは全員が最善を尽くしてできたものを信頼して、ポイとリリースしてしまう勇気が持てるようになりました。これは選挙のときも同じでツイートに自己検閲をしないことを徹底していました。

編集部 自己検閲しない。ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」を思い出します。研究されていたということですが、自己検閲しないという姿勢はそこから来ているのもあるのでしょうか。

三宅 影響は受けていますね。大学でビート文学の研究をしていて、まさに彼の「路上」が卒業論文でした。自己検閲をしないで何かを言うと波紋を呼ぶかもしれない。でもその波紋にこそ意味があるかもしれないから「えいっ」と呟く。選挙のスピーチも同じで、それで議論が生まれることこそが民意の底上げに繋がると信じて、いま自分に分かる感覚、情報しか話さない。ある意味そういった隙だらけの選挙だったから、みんなに拾う部分があってグルーヴが生まれたと思っています。
仮に思ったことを言って批判されたとしても、批判される痛みを知ることで、頑張って意見を言っている人に対する聞き方も変わって、他者を認めやすくなるじゃないですか。若者の発言に対して大きな器で受け止めてくれる年長者が減ってしまったなという感覚があるんです。若い奴にワーっと言われると自己否定されている気分になって怒ってしまうとか。

編集部 ある意味、それも教育や同調圧力が強い組織の「空気」なんでしょうね。

三宅 だからこそ伝え方をクリエイティブに。そこにグルーヴを。そのためのお洒落心でありユーモアである。グルーヴって「何が何でも伝える」という覚悟から生まれるものだと思うんです。僕もいま政治とか経済を論理的に語ってみせないと納得出来ない人たちがいるのなら、もう一回そのための論理性を獲得しなければならないと思っています。いままではアーティストとして、心と心を繋げるための非言語的なシンプルさを心がけてきましたけれど、人には言葉で圧倒されたいときもあるというのも分かってきた。でも同時に伝えるためなら道化、ピエロでも何でもしてやるという姿勢も持っていますよ。頭のカタイ人や年上の人を笑わせることができたら、それはそれで嬉しいものですから。

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真剣さと生き様がグルーヴを生み、
社会をアップデートしていく

編集部 伝えるということについて。選挙演説のスピーチで、ビートがあれば伝わるのか、メロディーがあれば伝わるのか、踊れば伝わるのか、言葉がなくても伝わるのか、しゃべるのが下手な人でも政治に参加できるのかという言葉を投げかけていましたが、あれはまさに非言語コミュニケーションとは何かを問うているように聞こえました。一連の選挙フェスをやってみて、三宅さんなりの答えはありますか?

三宅 人生でこんなに真剣になったことはないというモードに入って、もう命がけの真剣さを発揮していると、人は感動してくれるっていうことを実感しましたね。禅の悟りの話を思い出しましたよ。
昭和の初期に禅宗史上、最大の愚僧から大僧正になったお坊さんがいたらしいのですが、お経も覚えられない、問答も全然できない、自分にはそれしか出来ないからと町民のわらじを集めてひたすら直していた。どうして自分はこんなに愚かなんだろうとうちひしがれながら、でも必死に悟ろうとして無我夢中で座禅を組み続けた。でもあるとき、ふと振り返ると、自分のことをいつも足蹴にする寺の掃除のおばあさんがこちらを拝んでいた。そのときに彼は悟りに達したと言われていて。人が、自分も他者も関係ないというぐらいの融解点で、真剣に、何か大きな目的、使命のために必死で行動している姿には、人を拝ませる力、感動させる力がある。だから伝える為の最後の手段はスタイルじゃなくて生き様だなと。深刻になりすぎることなく、しかし真剣に向き合っている姿。

編集部 深刻ではなく真剣。確かに深刻になると断絶をむき出しにしているのが、いまの社会かなという気がします。

三宅 そうですよね、深刻になると自分も参ってしまうし。でも、参っている人を見たときって、自分も同じところで参っていたけれど、思わずふざけてみたくなる。ふざけたところにエネルギーが生まれる。それがおそらくファンキーの正体なんですよね。例えば、奴隷同士のもう明日はみんな死ぬかもしれないという状態のとき、自分と同じように絶望のどん底にいる隣の奴隷に向かって「イェーイ、オーライ!」と言いたくなる、それは人類が本能として持っている愛ですよね。

編集部 愛ですね、それは。

三宅 解決するのが難しい社会問題も、まずは徹底的にみんなで肩抱き合って泣けばいいと思うわけです。その先にもう踊るしかない、歌うしかないみたいなファンキーなパワー、解決の為の大きなエネルギーがバコーンと生まれる。そういうプロセスが社会的に必要だと思います。そこにはファンキーが宿るし、ファンキーな人がいる。芸術はそういうところに実はすごく存在してるんです。

編集部 感性が解き放たれたら、そこにファンキーがあると。

三宅 幸せというのは自由であることで、自由であるというのは自然であること、人間らしくなることで、感性が開けた状態でいられるとき。自分が開けているかどうかというのは、幸せのバロメーターだと思うので、企業、社会はもっとそれを推奨し、助長し、守って、みんなが幸せであれるようにすべきだと思います。それをもう僕らがやりましょうという話です。上の世代に託さないで。彼らの時代は食うや食わずで額に汗して働いて、経済成長で物質的に豊かになった。僕らは上の世代のおかげで、もっと文化的なものや精神的なものに目を向ける余裕が持てた。だからもう少しおしゃれ心に満ちた社会にしていこうよ、ということです。その果ては、僕らの子どもたちがまた何かすごいこと、やらかすんでしょうね。

編集部 きっと私たちでは想像つかない何かがあるんでしょうね、そのときは。

三宅 戦争はないけれど話し合いや、議論、個人レベルの闘争がたくさんある社会を本気で作っている気がします。僕が子供に音楽を教えるとしたら、まずさっき話した曲を詰めないという話を教えます。自分が10年かけて得たものを2,3年で子供たちにぴゅっと伝える。人類はそうやって進化してきたんですよね。だから政治も、社会も、過去に行った行為が間違っているから罰せられるというのではなく、いまここからアップデートしていく。誰もギロチンにかけない、柔らかい革命、革命ですらない革命。日々の営みの中に政治意識を持った本気の個人たちの集合体としてバージョンアップしていきたいと思いますね。

編集部 そのアップデートを起こしていく時に、グルーヴが必要だということですね。

三宅 グルーヴしている状態の積み重ねだと思います。感性が開いて、周りと混ざりあって、グルーヴが起きている状態というのは刹那的なんです。永久的にその状態が続くわけじゃない。どんなグルーヴメーカーのプロでも、一瞬の出来事を生み出して、追い求めて、また生み出しているわけです。でもケルアックの旅じゃないですけど、振り返った時に「探していたというプロセスほど輝いていた」ということがある。その瞬間がたくさんあったなと思える人生は幸せだと思いますね。