タイトル
法は創造性をつぶすのか
著者 / 話者

これから話す「法」の話は、正義的な観念論とは真逆の、法が持つラディカルな機能と可能性の話だ。法と創造性の話をしよう。創造性を生かすことも殺すことも可能な、私たちが私たちのために生み出したツールである、法の話を。

アメリカの法学者Lawrence Lessig(ローレンス・レッシグ)は、著書『CODE VERSION 2.0』(http://codev2.cc/)において、法/規範/市場/アーキテクチャの4つを社会的な「規制」の条件として紹介した。一例を挙げれば、飲酒運転は、刑法や道路交通法の処罰=法によって、飲酒運転は悪であるという倫理観=規範によって、違反者へのサンクションである罰金=市場によって、飲酒者にはエンジンがかけられない装置が生まれればその物理的負荷=アーキテクチャによって、社会的に禁止される。
レッシグのこの考察は、同書のVERSION 1.0が出版されたのが1999年であるということを考えても先見性に満ちている。レッシグの指摘は、2013年現在、一層リアルな問題として私たちの前に現前する。
ただ、アーティスト/クリエイターの法務に携わってきた法律家として、このレッシグの考察に1つだけ異なる光を当てたい。それは、レッシグの提示した4つの条件は、自由に対してネガティブに作用する規制に留まらず、オルタナティブなルールを作るための、ポジティブなツールでもあるということだ。
法律は、多くの人にとって「障壁」、すなわち、「してはいけないことのリスト」として取り扱われる。したがって、表現でもビジネスでも研究でも、何かを成し遂げようとする人々にとって法律は「邪魔なもの」になりがちである。
でも、法は、本当は「障壁」ではなく、人と人の関係を整理する「ルール」みたいなものだ。個人の集合である社会をスムーズに流すためのガイドラインとしての法。法の本質は自由を奪う「規制」ではなく、無色透明な「ルール」である。眼前に立ち塞がる「壁」も、斜めに傾ければ滑り台になるかも知れない。法というルールを上手く使うことで、デザインや表現が置かれた環境をよりイノベーティブにデザインすること。私は、そこに新しい法のあり方や社会の可能性を見る。

百聞は一見にしかず、だ。実例を紹介しよう。

■超合法建築
都市や建造物のデザインは、実は法律のルールで強く規制されている。不自然にカッティングされた建造物や、不自然に高さの揃ったビル群を見つけたら、それが法規制によって作られたデザインであることを疑っていいだろう。
建築家の吉村靖孝は、著書『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)において、都市空間における建築物の形状や色彩が、都市計画法、建築基準法、航空法等の法規制によって必然的に生み出されていることを分かりやすくビジュアライズしている。同書を通して、法がつくる、都市にはりめぐらされた見えない描線を知ることができる。
法というレイヤーを通して見ることで私たちの知る都市の姿が大きく変容する体験は、新鮮であり強烈である。そして、都市が法によって形作られているということは、法をコントロールすることで逆に都市の形をデザインし得ることを示している。

■Creative Commons License(クリエイティブ・コモンズ・ライセンス/CCライセンス)
CCライセンスは、ローレンス・レッシグを始めとするインターネットと法のプロフェッショナルによって生み出された、インターネット時代のための著作権ライセンスである。著作権者は、4つの条件(表示、非営利、改変禁止、継承)から選択して組み合わせたライセンスを作品に付けて明示することで、「この条件を守れば、私の作品を自由に使えます」という意思表示をすることができる。
CCライセンスは現在世界中で広く導入されており、Flickr、Wikipedia、YouTube、SoundCloudなどのウェブ・プラットフォームや、TED、Al Jazeeraなどのコンテンツ提供サイト、経済産業省やWhite Houseなどの政府系サイト、Nine Inch Nails、Jonathan Worth、Vincent Moon、Dublabなどのクリエイター、その他有名無名を問わず多くの表現活動に利用されている。
CCライセンスが生まれたことで、ルールを守れば自由に利用できるインターネット上のコンテンツは飛躍的に増加した。CCライセンスという法的なシステムを利用することで、著作権法の「コピー禁止」というルールのデフォルトを、「コピー自由」に逆転させる。「法律」のルールを、ライセンス…個人間の「契約」をツールとしてインターネットに適合するルールに上書きするという意味で、これも法律によるデザインの一例に他ならない。

■THEATRE, yours(シアターユアーズ)
ファッションにおけるサンプリングやオマージュは、ファッションのデザインプロセスの中心的な機能として働いてきた。デザイナーは互いの創造性をシェアすることでより先鋭化したデザインを生み出し、流行の加速とそれによる消費量の増加―商業的な成功をももたらす。しかし、近年では、Forever 21などのファストファッションによるデザインコピーについて訴訟が提起されたり、商標を巡るChristian LouboutinとYves Saint Laurentとの訴訟や、日本でもmastermind JAPANとRoenとの訴訟が提起されたりするなど、法的なアクションが起こされるケースも目立ち、今後の動きについては予断を許さない。
しかし、そんなファッションと知的財産権のコンフリクトを軽々と超えて見せるのが、ファッション・ブランド「THEATRE PRODUCTS(シアタープロダクツ)」による「THEATRE, yours」である。「あなたのものであり、私のものでもある」というコンセプトのこのコレクション/プロジェクトでは、完成された服だけではなく、服をつくるための設計図/ソースとも言える「型紙」を発表し、販売する。購入者は、その型紙を使って自ら服を作り出すことが奨励される。デザイナーの武内昭は、既製服をレストランでの食事に例えた上で、THEATRE, yoursでは、レシピ(型紙)や素材(テキスタイル)から服を作ることで服の楽しみ方をより多層的に楽しんで欲しいという。ファッションの解体/再構築という創造性のサイクルに正面から向き合い、ブランド外の第三者の創造性を積極的に受け入れることで、服は更に更新されて行く。彼らがデザインしているのは、「服の形」でもなく、「ブランド」でもなく、「ファッション」という体験そのものである。
THEATRE, yoursで販売される型紙には、CCライセンスが付与されている。「型紙」に発生し得る著作権的なコンフリクトをクリアし、消費者が服を自ら作り上げ、アレンジを加え、公開し、他者とシェアすることをブーストするために、ここでもライセンスという法的な仕組みが利用されている。

■CC in Museum
2011年、広島市現代美術館で開催されたオノ・ヨーコの個展では、作品の写真撮影とウェブでの公開が可能になった。世界的な現代美術家である氏が東日本大震災以後の日本や世界を前に制作した作品を、来場者が自ら広島から世界へ、作品の写真撮影を通して媒介できることの意義は決して少なくない。
オノ・ヨーコ展の他、東京都現代美術館、森美術館、目黒区美術館など、現代美術館にCCライセンスを導入し、作品の写真撮影とウェブでの公開を解放する取り組みが少しずつ浸透しつつある。撮影者と被写体と作品との関係すらもフレームに収めるCGM(Consumer Generated Media)による作品写真群は、鑑賞者との一対一の対峙に留まらない、美術作品(特に、インスタレーション作品)の新たな一面をも浮かび上がらせている。

■未来へのキオク
東日本大震災では、Twitterでの情報共有を始め、テレビ番組のUstreamにおけるネット同時放送や、「Googleパーソンファインダー」による安否情報の記録、被災地での生活を助けるアイデアをネットで集合知的に集める「Olive」、復興の過程の発信/記録を行うせんだいメディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」など、多様な情報共有の試みが行われている。今日、私達の記憶は外部的な記憶媒体とは切り離して語れない。HDDに記録されウェブで配信される記憶は、コピーされ、編集され、翻訳され、紙面やウェブで公開され、上映されることで、社会全体の記憶として生かされる。仮にこの情報の総体を1つの「キオク」と捉えるならば、情報の流通を阻害する著作権は、ときに社会という1つの頭脳のシナプスを遮る壁になってしまう。
東日本大震災に関する写真/動画を一般に募集し公開を行うGoogleの「未来へのキオク」というウェブサービスでは、利用者から投稿される写真などにCCライセンスを付与することが推奨されている。投稿される記録が真に「未来の記憶」になるためには、シナプスを繋げるための著作権ルールが不可欠である。
現在、情報の社会的共有は、映画や書籍などの多数の孤児著作物の保存/利用の問題も含めて、「アーカイヴィング」というタームで世界的に議論されている。

■『ブラックジャックによろしく』
メディアミックスという言葉が生まれて久しいが、近年の「キャラクター」の活躍は目覚ましい。マンガから生まれた1つのキャラクターが、ノベルに、アニメに、映画に、ゲームに、フィギュアに、パチンコに、食玩に、ノベルティに、同人作品に広がって行く。増殖するキャラクターの起源を探るかのように、萩尾望都原画展、大友克洋GENGA展、荒木飛呂彦原画展(ジョジョ展)などの原画展もさかんである。作者と作者の作り出した世界を離れ、自らの意思を持つかのように、キャラクターが無限のパラレルワールドを渡り歩く。大量複製が宿命付けられたキャラクターにとって、二次利用とはキャラクター自身の生命力の発露に他ならないのかも知れない。
その意味で、佐藤秀峰が行ったマンガ作品『ブラックジャックによろしく』の二次利用自由化はクリティカルな出来事だった。2012年9月15日以降、同作は、作者である佐藤氏と有限会社佐藤漫画製作所が定めたルールに従えば、商用・非商用にかかわらず、事前の承諾なしに、無償で複製やインターネット配信、パロディ、映画化、商品化などを行うことができる。実際に、書籍に、電子書籍に、アプリに、イラストに、グッズに、雑誌広告に、TVCMに、同作のビジュアルは異常な速度での広がりを見せた。マンガの続編小説が他の作者によって描かれ、そのカバーイラストを作者が書くという現象には、作者の想像力を超えたキャラクターの存在が感じられ、廉価版コミックスがコンビニの棚を埋め尽くす様は、まるでキャラクターが現実をハックしメディア化しているかのようでもある。ビジネスとしてのインパクトも大きく、スタートからの4ヵ月半の間に電子書籍関連で支払われたロイヤリティの総額は、実に2600万円以上にも及ぶという。
佐藤氏は、『ブラックジャックによろしく』の二次利用を独自の「利用規約」によってコントロールする。二次利用する際には、作者名などのクレジットを入れ、事後の利用報告を求める。利用元のデータを限定し、高画質のデータは有償で販売する。CCライセンスなどのプリセットのライセンスではカバーされていないルールを同梱したこの利用規約は、同作のためにカスタマイズされたライセンス・デザインである。『ブラックジャックによろしく』の現実への爆発的な進出を、法が支えている。

■Fab Commons(ファブコモンズ)
オープンカルチャーの展開は、「オープンコンテンツ」「オープンソースソフトウェア」のようなデジタルな情報の解放に留まらず、有体物を対象とする「オープンソースハードウェア」―機械や装置の設計図のオープン化や、「オープンデザイン」―実用品の設計図のオープン化へと、徐々にその裾野を広げつつある。
Fab Commonsは、オープンソースハードウェアやオープンデザインを射程に入れたオープンライセンスを提案するユニットである。2011年に京都市立芸術大学で開催された「共創のかたち~デジタルファブリケーション時代の創造力」展では、20世紀オランダの建築家/デザイナーであるGerrit Rietveld(ヘリット・リートフェルト)の代表作「Red and Blue Chair」を、二人用にしたヴァージョンや、サイジングや色を変えた子供用のヴァージョンを制作した。また、2012年にATELIER MUJIで開催された「家具のかたがみ」展では、イタリアの巨匠Enzo Mari(エンツォ・マーリ)の椅子「Sedia 1」を改変して「Sedia N」を制作した。マーリは、商用利用しないことを条件として多数の家具の設計図=型紙を公開するという、オープンデザインの原型とも言える活動を1970年代に行っていた。Fab Commonsは、その取組みを現代にリヴァイヴァルし、改変版の設計図にCCライセンスを付与してウェブサイト上で公開した。

■サンガツ
2012年1月23日、日本を代表するインストゥルメンタル・バンドであるサンガツは、2012年以降に制作する楽曲の著作権を全て放棄することを宣言した(但し、後に著作権法に合わせた形でベストなルール設定を行う可能性を示唆している)。音楽とリスナーの関係が「所有」から「共有」へ移行するならば、ユーザーやネットの論理に身を委ねた先の景色を見たいという彼らは、著作権やマネタイズの制約から離れ、音源ではなく音楽の作り方を…音楽の「レシピ」を作るという。
実際に、チェルフィッチュの舞台作品「現在地」のために制作されたサウンドトラックはCCライセンスの下、SoundCloudで公開された。また、昨年発表された楽曲「Night By Night」は、その制作過程の録音素材が公開され、制作の流れとその到達点としてのライブパフォーマンスを鑑賞することができると同時に、それぞれの素材をサンプリング/リミックスすることも可能である。
サンガツはまた、プロジェクト「Catch and Throw」(http://sangatsu.com/cat/)など、音楽の新しい記述の仕方/共有の方法を試みる。これらの試みが第三者の創造性の介入によって有機的に繋がるとき、そこにはまだ誰も見たことのない音楽が存在するのではないか。音楽もまた、「レシピ」になっていく。

■おわりに
「初音ミク」とピアプロ・キャラクター・ライセンス、楽曲データとモーションキャプチャーデータを配布し、リミックスを許諾することでPerfumeのダンスを踊る多数の二次創作コンシューマを生み出した「Perfume Global Project」、東浩紀らによる日本のグランドデザインのための憲法「新日本国憲法ゲンロン草案」など、法と創造性をめぐる挑戦は尽きない。プロダクト・デザインやファッション、現代美術や写真、音楽、マンガ、その他あらゆる分野で、法が創造性に影響を与えているケースを発見できる。「法」というレイヤーを通すことで、ガラリと姿を変える世界が既に生まれつつある。
1つの空想がある。「Maker Movement」、ハードウェアの世界でパーソナル・ファブリケーションが盛んになりつつあるように、法の世界でパーソナルな法律があってもいいのではないか。「GitHub」がフォークするプログラム/集合知/生態系を生み出すように、フォークする法律が生まれてもいいのではないか。自らが従う法律を自ら選べてもいいのではないか。
「全体」の最適化のための「個人」ではなく、「個人」の協業の末に「全体」の最適化が生まれる、そんな時代に私たちは生きている。「法」をオールドスクールに、創造性を殺す「規制」と捉えるのではなく、自ら利用し、創造性を生み出すことのできる「ツール」と捉え直す必要がある。

ルールを作るのは社会であり、社会とは私たち自身のことである。