タイトル
美しい顔は、美しい残像。
著者 / 話者

鏡のなかの自分は、誰も知らない顔をしている

ぼくたちの顔には、世間的な、人目を気にする顔と自分自身を見つめる顔という二つの面があります。顔が話題になるときは、あの子はカワイイとか、ハンサムだとか、世間的な見た目の話をされることが多いけど、本当に大切なのは、自分自身と向き合う顔だとぼくは思います。そして、それは唯一「鏡」の前にいるときにだけできるんです。でも、人間が1日生活していて、鏡の前にいるなんて、男の人だったら、ものの1分、2分あるかないか。一般の女の人で朝の30分。メイクが仕事の一部である女優さんでも、1日1〜2時間でしょう。それ以外は、どちらかというと、人間の顔は自分以外のところにあるもの。人間というのは、目で見える視覚の世界に生きているからね。
ぼくはいつも、自分を知るために、きれいをキープするために、「鏡を見るように習慣づけてください」って言うんですよ。でも、鏡を見るとき、人は自分を作ってしまっています。顔つきというのは、その人の精神状態とか、カラダとか、歴史とか、環境とか、いろいろなものに直結していて、それを映し出すものだけど、鏡の前では、それを映し出さないように自分自身を取りつくろった表情をしちゃう。疲れているときでも、鏡の前ではそれを出さないようにしちゃうでしょう。だから、顔というのは自分自身のようでいて、意外と第三者なんです。自分がどういう顔をしているのかって、本当は自分が一番知らないんですよ。反対に、自分が知っている自分の顔というのはすごく特別で、自分以外には誰も知らない顔なんじゃないかな。
まあでも、こんなこと考えながら生きていたら、本当にもう頭がおかしくなってしまうよ(笑)。人間の思考っていうのは、掘り下げれば掘り下げるほど難解になっていくし、人間の考え方を、何かこう一つにまとめるのって、すごく怖いことだから、掘り下げるのもほどほどにしないとね。シンプルということは大切なことだよ。生きていくということはすごいシンプルなんだから。ぼくがやりたいのは、人が本当に美しく、心地よく、シンプルに生きていく手助けだし、そうやって生きていくためのきっかけを、ぼくはメイクを通してつくりたいだけだから。それにね、センスのいい若い女の子たちって、今話したみたいなことを頭で考えてはいなくても、意識はしていて、感覚的に全部わかっちゃってるような気がするな。見られている自分、自分が見ている自分、メイクした自分、すっぴんの自分、、、全部わかっていてどれも自分だというように、サラッと乗り越えている。
日本の女の人ってすごく独特で、世界で一番わがままで矛盾しているんです。「ナチュラルに、だけどキリっと」「大人っぽく、でも純真な雰囲気で」「天使のようで、悪魔のような」「テカるのは絶対嫌、でも潤いが欲しい」「崩れにくいけど、落としやすい化粧品が欲しい」とかね。もうすべてが矛盾しているでしょう。女の人ってそもそも二面性というか、矛盾を持った生き物だから、顔の二面性や矛盾なんていうのは普通のことだし、こういった矛盾を超えたところに美しさがあるんです。

美しい残像をつくる

ぼくが女の子たちに一番伝えたいのは、メイクというのは、その日の洋服と、その日行く場所、その日の気持ち、そういう全ての「全体的なバランスをとっていく行為」だっていうことです。ヘアとメイクって、みんな分けて質問してくるんですけど、ヘアとメイクだけで完結することなんか絶対あり得ないんです。ファッションの中にヘアとメイクがあって、イヤリングがあって、ジャケットがあって、ベストがあって、靴がある。だから、分けると絶対バランスを崩すんですよ。
これって、そんなに難しい話ではないです。すごくシンプル。ぼくはまず女の子たちに手鏡とか、小さい鏡でメイクすることが間違っているということを言っているんです。自分でメイクをするのと、ヘアメイクさんにやってもらう時の一番の違いは、距離の違い。実質的な鏡との距離の違いなの。本当にメイクさんみたいにメイクしたいと思うんだったら、姿見で、ちょっと離れたりしながらメイクをすれば絶対できるようになると思います。すこし引いた視点で全体をみて、その日のベストなバランスをつくれれば、それが美しい顔ということ。本当にシンプルでしょう。
美しい顔というのは、「なんとなく美しい」という印象をまとっているということです。美しさというのは、極端に言うと「造形」ではないんです。美しい印象、美しい雰囲気、美しい残像。いかに美しい残像を残すかということが大切だから、1つのパーツだけにこだわっていてはダメなんです。本当はその人の全部を集めた印象や残像のことを「顔」だって思った方がいいんじゃないかな。ほら、「あそこのお店の顔つきは、、、」なんて言ったりするでしょう。それと一緒で、顔っていうのは、全体の印象を総称することだと思ったほうが良いいんです。
だから、ぼくが例えばテレビコマーシャル用のメイクをして、「きれいなメイクですね」って言われたらダメなんです。そうじゃなくて、「あの人きれいだったねー!」と言われる、きれいな残像感が残る人をつくりたいんです。メイクはその人の雰囲気をつくるパートの1つだから、全体的な雰囲気が印象に残ればいいのであって、メイクだけが印象に残っては絶対だめだと思いますね。そんなのって気持ち悪いでしょう。
女優さんやタレントさんって、きれいなことは当たり前なんです。実際、女優さんとかタレントさんには、ほとんどメイクなんか必要ない。でも、その人を取りまいている気を形成して、美しい雰囲気や残像をつくることがぼくらの仕事だから、疲れて、悩んで、落ち込んできた人には、それを払って、ハッピーな気をつける。ヘアメイクって、実質的な作業というよりも、本当に心と心を交わし合う仕事なんです。だから終わった後、本当に疲れて1週間以上何もできなくなるときも正直あるんですよ。売れている女優さんやタレントさんは、持っているパワーがハンパじゃないからね。
これはもちろん女優さんやタレントさんに限ったことじゃなくて、メイクと精神っていうのは常に並行な関係で、同じところにあるんです。メイクの力で精神状態をあげて健康にすることもできるし、反対にメイクがうまくいかない日は、精神的にハッピーなことがあると、表情がよくなって、きれいなメイクをしたみたいな状態になるものでしょう。女の人は、毎朝自分の気持ちをポジティブに高めるためにメイクをしているんです。
それでぼくね、アトリエをつくったんですよ。アトリエを事務所と別につくって、一般の人向けにメイクレッスンをするんですけど、ぼくはそこでメイクそのものじゃないところでも、女の人たちを元気づけられる自信があるんです。例えばぼくに会うということ自体だとか、良い空間だとかにドキドキする、その気持ちの高まりということが美しさにつながるということだとか、色々な面からきれいになるということを伝えられる場所をつくりたかったんです。メイクを通して自分の新しい部分を知って、それが何か新しい自分の人生を踏み出すきっかけになるみたいに、メイクっていうのは、女性を美しく元気にするし、人生を変える力すら持っているってことに気がついてほしいんだ。

幸せな顔も、そうでない顔も。自分の顔と向かい合って生きる

それから、もうひとつぼくが伝えたいのは、もっと自分自身を知ることが大切だよっていうこと。みんながきれいだと思っていること、いいと思っていることが、自分の中じゃなくて、他人と比べたときのことでしかないことが多いから、もうちょっと自分の心に聞いてみるとか、自分を知るということが大切だということを伝えたいな。
人と比べてきれいになりたいという価値観だって、それはすごく素晴らしいと思うし、そこからパワーが生まれていくのなら、人と比べることは悪いことではないんだけど、でもね、やっぱり人と比べている限りは、死んで、5回生まれ変わっても、絶対幸せになれないと思うから、ぼくは。人と比べていると、自分なりの幸せは見つからないし、価値観もつくられていかないというような気がする。
本来の自分とは?ということを知るためにも、ぼくは鏡を沢山見てもらいたい。一度、2時間くらい鏡のまえに座って、じっと自分に向き合ってみたらいいんじゃないかな。鏡のまえの自分はつくられた自分だって言ったけど、それだって2時間もしたらいい加減自然な顔がでてくるよ。良いことも悪いことも考えるし、嫌な妄想も嬉しい妄想も色々浮かんでくるでしょう。自分と向かい合うということは、シンプルに鏡と向かい合うってことじゃないかな。
ぼくはね、人間って、毎日幸せでいる必要性なんてないと思うんです。人にはいろんな顔があっていいし、いろんな状態があっていいと思う。こうであるべきということは何もない。ただひとつだけ言えるのは、自分がどうあるのか、どう見えているのかということを、実際に鏡だとかをつかって、いろんな角度から、多面的に知るということが、生きていく中でとっても有益なことだっていうことです。ハッピーだけじゃない色々な感情とか精神とかを含めた全体的な雰囲気という意味での自分の顔と向かい合って生きるということが重要なことだと思うから、そういう時間や作業を大切にしてほしいんです。
自分と向き合うと、自分の嫌なところとか、悩みというのも当然見えてきますよ。でもね、ぼくはいつも言うんですよ。「悩みが多いほど、悩みの数だけきれいになれるよ」って。悩みの数、一個一個のコンプレックスを全部プラスに変えていけば、もう今にすごくきれいになるんですよ。悩みが一個もない人なんか、今以上の伸び率はもうない。年を取っていくだけなんだから。
これはメイクに限らず、あらゆるクリエイティブに言えることだと思います。だって、何かのマイナスをプラスに変えていくということが、一番クリエイティブでしょう。ぼくは広告の仕事に関わることも多いけど、広告の仕事もただアーティスティックできれいな仕事より、マイナスをプラスに変えていけるような仕事が、本当に良いクリエイティブなんじゃないかな。

国語、算数、理科、社会、「美容」

本当は学校の中に、「美容」という授業があれば一番いいと思うんです。だってそれがあれば、日本に美しい人がいっぱい増えて、諸外国からの印象もよくなって、経済効果だって生まれて、日本はもっともっと魅力的な国になるでしょう。日本には四季があって、三寒四温があって、こんなに湿度があるから、世界で有数の肌がきれいな国なんですよ。海外の男の人からしたら、日本人の女性の肌を触ったら、「もう忘れられない」というぐらい、肌がきれいなんです。これで「全体のバランスをつくる」ということさえできるようになったら、日本はもっと美人大国になって、もっとイメージも上がりますよ。汚い国会議員とかみんな辞めさせて、美人ばっかりにしちゃったらいいんじゃないかな(笑)。
ぼくは、日本は身内目で見ても、客観的な目で見ても最高の文化と技術を持っていると思います。日本の文化って元々が華やかでしょう。金を使ったり、十二単で包んだりとか。基本は平面で、それを重ねたり包んだりする文化がある。そういった文化が、世界トップの美容の文化や技術につながっているんだと思うな。ぼくはそんなに詳しいわけでは無いけど、歴史のなかに全ての答えはあると思いますね。
ひとつ問題があるとすると、戦後、すごい勢いで進化してきた美容品や技術に対して、言葉だけが変わってないってことだと思います。例えば、「ファンデーションを塗る」っていうでしょう。でも、ファンデーションの質が昔とは比べ物にならないくらいあがっている今、ファンデーションは「なじませる」ものなんですよ。塗っちゃいけないの。化粧水をつけて、乳液をつけて、、、っていうステップも、化粧品の質がまだ悪かったときのステップであって、最近はオールインワンのものになってきているから、これから先のメイクってことを考えたら、テクノロジーが進化するほど、すごくシンプルになっていくんだと思いますよ。昔はいろんな色を塗って立体的に見せたものを、今は1色で立体的に見えるものができているとかということだからね。
メイクはもちろん、時代と連動しています。分かりやすいところで言えば、メイクというのは景気に比例しているんです。景気がよくなると、洋服のブランドが使う色が変わって、素材が変わる。縫製が変わって、デザインも変わってくる。美しさはやっぱりバランスだから、派手な服が出てくると、ヘアやメイクも濃いものになっていくんですよ。今は景気が悪いから、シンプルな素材とデザインの服が多いでしょう。シンプルな服に濃いメイクはできないから、ナチュラルメイクがトレンドになっている。男性もメイクをする文化だったら、メイクを変えるところから時代の気分を底上げして、景気をよくするとかいうこともできたかもしれないけど、今は男の人はメイクをしないから、景気が先行してメイクが変わるというのが現実でしょうね。男性美容には、ぼくも興味を持っているんだけど、「美容」という言葉とは違う新しい言葉をつくらないと、広がるのは難しいだろうなと思う。「美容」という言葉は、もう女の人のものになっちゃっていますからね。
時代によってメイクが変わるのは事実なんだけど、でもやっぱり、きれいになるということは、その時代のなかで自分にあったバランスをきちんと見つけることですよ。時代によってメイクの流行が変わっても、美容品の質があがっても、それに依存するばかりじゃダメで、自分自身を深く知っているということが大切なんですよね。

ささやかな愛をもって

あとは、愛です。メイクは、そこに愛がないと絶対にできないんです。その瞬間だけでも愛おしさや愛する気持ちがないと、人にメイクはできないですよ。メイクをするということは、その人のバランスを美しく形づくることだけど、バランスっていうのは根本に愛がないと生まれないから。それは、すべてのクリエイションにおいてそうです。愛がないとバランスが良いものはできないとぼくは思っています。
自分のメイクをするときだって同じです。そこにはやっぱり自分に対しての愛がないとできません。自分を愛することで、はじめて自分を美しくできるんです。でもね、ぼくの言っている愛って、そんなに大仰なものじゃない。熱い、赤いモノじゃなくていいんですよ。もっと限りなく半透明なもの。薄いブルー。紙みたいな薄いものでいい。それが、歩くことや息をすること、人と話をすることのなかに普通にあることが大切なんです。愛は自分を育てる堆肥だし、人と人を繋ぐ糸。そういう愛があれば大丈夫ですよ。