タイトル
一瞬が永遠になる瞬間
著者 / 話者

編集部
デビュー17歳のときから、もう10年前ですね。書き方とかは変わりましたか?

よく、いろんなことを考えるようになったかなあ、書くときに。初めのうちは、そんなに考えなかったんですね。長さとか、第一印象、それとか、第一人称、第三人称にするかとか、一切考えなかった。今考えると、ものすごく無防備で。最初は、高校のときに受験勉強とかみんながしてるときに書いてたから。人が受験勉強してるぐらいの時間を使えば、本は1冊書く時間はあるんだなあって振り返ってみると思いますね。

編集部
それ、受験生が聞いたら喜びますね。
ご自身の恋の経験を経て、書き方も変わってきますか?

そうですね。昔は結構想像力で書いていた部分があるんだけど、だんだん自分で経験を重ねて、恋を重ねたり、ちょっとした失恋をしたりとか。でも結構あれですね、気づかないうちに、小説の中に自分の人生経験を入れこんじゃってたりはしますよね。でもほんと気づいてないんですよ。なんか、自分の意識だけど、無意識も多分に含まれているというか、制御のきかない範疇に小説を書くことが含まれていますね。

編集部
最近の恋って複雑化してますよね。恋ってずばり綿矢さんにとって?

むつかしいなあ。じつは「恋ってこうだ」っていうのがあまり好きじゃないんです。だから、そういうのを何とかして小説で、もやもやしながら、「そんなもんなんかな?」みたいな感じで書くのが好きです。恋って片側から決めつけられるもんじゃないしってのもあるし。こっちが過剰になり過ぎると、あっちが引くとか。ふとしたことでいきなり冷めちゃうとか。これって計算が絶対立たないと思うんだけど、だから、これはってのも答えられたら、小説書く意味もなくなっちゃうとも感じています 。

編集部
影響受けている文学をおしえてください。

最近わたしが読んでいたのは、ドストエフスキーやナボコフなどロシア文学ですね。影響受けたのは太宰治の『人間失格』。テンションの高さに魅かれましたね。感覚がある高さを超えちゃうと、もう全然古びない。もちろん時代背景の違いはあるんだけど、そこの根底に流れるものとかドキドキ感は、むしろ何か結構ライブで、常に現代性を帯びている。

編集部
ネットでの人間関係って増えてますよね。
フェイスブックとかで500人友達超えてたりとか。がんがんSNSとかも見るタイプ?

見ないですね。でも、携帯に依存している面はあるかも。電車とかで携帯が電池とか切れていじれなくなると「うわっ」ってなって「一体この時間、むかし何してたんやろなあ」って思ったりはしますね。あと、メールが来なくて不安になるとか、何か昔はなかった新しい次元の反応もありますよねえ。昔の恋愛映画とかやったら、電話が通じなくって会えないとか、待ち合わせ場所で会えなかった、急な用事ができて。もう走ったり、電話ボックスに駆け込んだり。閉店間際のレストランで、来ない彼を待っていて、ウェイターさんが「コーヒーもう一杯要りますか?」「ああ、大丈夫です。もうすこしだけ、あと5分だけ待たせてもらっていいですか?」なんて。それが今だともう適当に移動しながら携帯見つめて「何でラインの返事が返ってこないの?」みたいな。何かこう、どんどん視野が小さくなっていくから、恋愛描写的にはつまらなくなるかもですね。携帯握りしめてるだけになると、絵づらが全部一緒ですよね。

編集部
描写する上での好みの恋のスタイルはありますか。

相手との駆け引きが頭だけじゃなくて、体を使って、たとえば、目と手の綺麗な動きみたいな感じが、わたしは好き。携帯と過ごす時間が多くなると、使ってる部分が「ちっちゃいなあ」と思っちゃう。あと、それでうまく成功とか、ネットを介して人の関係がそんなにうまくいくわけはないっていう気持ちはちょっとあるかも。昔は、すごく興味はあったんですね。「こんなことで人とつながれるんだ」というふうな感じで、すごい画期的な感じがしたから。ただつながるって点から考えると、本当にこの瞬間ってつながってんのかなってのはある。そういう意味では、ネットとかがそういうことを考えるきっかけにはなるかもしれないですね。あと、書く側としては、本当にさまつなことやけど、あまりにも今、そういう通信技術が駆け上がりで進化してるから、だから、そういうのを1個出すと、5年後ぐらいにはものすごく古くなってるってのを考えると、もの悲しくなったりするんですね。使うツールとかでばれるっていうのは、書いた年度。だから、そういうのをやっぱり一番いいところに持ってくるっていうのはためらわれるなぁ。

編集部
使ってる部分がちいさいというのは分かる気がします。
最近は恋のマニュアルっぽいのも増えてますね。落とすメールの送り方とか。。。

恋の情報が増えすぎてくのは、ちょっと危ないと思いますね。人生の先が見えるように構成されすぎてて。恋の始まりとか、終わりとかって、あるいはその恋の状態ですら、だれにもこうだって言えないし、例えば「ハッピーエンド」と一口に言ってもどんどん純化すればするほど、実は痛々しいところがあったりするんじゃないかと。なんとなく雑誌は「最近恋してない」「恋のマンネリ」とかあおりますよね。でも、普通、恋はわたしたちをものすごく傷つけたりもするわけで、そのための情熱を保ち過ぎると、やっぱり無理がありますよね、体にも精神的にも。「たゆたい」みたいな気持ちは必ずあると思うし。「食」に対しても、なにか似たような感じを 、雑誌とかテレビとか見てると思うんですよ。こういうところでこういうものを食べなきゃ今はダメみたいな。なんで? って。「恋してしあわせなのがいい」とか言わはるけど、思わず「そうなん?」って思うし、もしなにかをかなえられるなら、そういうふうにあおられてきた気持ちをまずかなえたいって安易に思ってしまうかもしれんけど、でも、なかなかね、カラダがそういう風についていかへんかったり、人をなにかのはずみで信じられへんかったり、本当にいろいろありますよね、人には。そんなに頭でっかちで「これだ」って突き詰めなあかんもんかって思いますね、本当に全般に関して。

編集部
世の中が誘導しすぎてる? それとも決めすぎてるのかな。

恋って結局、伝わる人にだけ伝わるけど、やっぱりもやもやして伝わらへん、そういうなにかだと思う。こう、直線なんじゃなくって、なにかこう、もやっと行くっていう。ただ本当は、一発で伝わるもんもすごく好きなんですけどね(笑)。ただ、用心してるとこもあるかもな。結論みたいなのを出しちゃうと、本を書く意味がなくなるから。太宰の本でも「小説とは言いたいことを何行にも膨らまして書くようなもの」っていうふうに言われてあって。そういう考え方も立派だし、わたしすごい好きなんです。それはそれで自分にないものがあるから。ただ、わたしの場合、自分の言いたいことすら分からない、なんか言葉にならないようなものを探していきたいんですね。そういうのがないとわざわざ人をつくって話をつくっての意味が、わたしとしてはなくなっちゃうような気がしています 。

編集部
恋とかセックスとか結婚とかを分けて考える傾向については? 編集部の若手では、一人の人と完全に添い遂げるフルコース型恋愛に対して、アラカルト式恋愛なんて呼ばれてますが。

アラカルトってすごい言い当ててますね(笑)。現代の人は、何かあらゆる方面の欲望を満たそうとする情熱がすごいですよね。それはそれで効率的でその人はしあわせかもしれない。でも、スーパーマンじゃないんだから、そのアラカルト方式でやってる間に、どっかですり減ってしまう部分もあるんじゃないかな、人間の気持ちとしては。切り分けた部分の和とフルコースの和がもしも同じだったら、もう、人の心の闇の深さに、なにか良心ってものが欠落してるわけじゃないですか。決して悪いとかじゃなくって、何ていうのかな、そこまでして、人というものをちょっと道具として見ているようなところに対しての、虚無みたいなすり減りがもしもないなら、みんなもちろんそっちを選ぶようになるだろうし。だから、ついつい気がついたらアラカルトみたいな生き方になってたとしても、できればそこですり減ってほしいですね。やっぱりそれで、何か性能のいい車みたいな感じで、どんどんいい機能が搭載していって人がイキイキすんのやったら、わたしはその複雑さについていけない。そもそも恋って自分だけで起きるというよりも相手とするものだから。結局割り切りすぎると訳わかんなくなりますよね。たとえば、100年の愛とかいうよりも、この一瞬のほうが永遠の愛に近かったりする。それが大切かどうかじゃなくて、多分そういうもんかなってどっかで感じてて 。人生全部とか、ずっととか、丸ごととかじゃなくて、まさにたったその1秒みたいな。ものすごく凝縮されてるせいで、永遠に近いような愛の瞬間。そういうのはフルじゃないと出てこないような気も。

編集部
永遠に近い一瞬。

相手のことを好きであればあるほど、ほろほろっと逃げられたりしてって、そういうことがあるじゃないですか。瞬間交差しつつ、また離れちゃうとか、くっつきそうで離れている、でも離れているのにくっついている状態もあるとか。言葉にはしにくいんですけど、なにかそういう感じがしているんです。だからこそ、なにか永続的なものと違うもんばっかりわたしは書いてるなと思います。スパンの長いものじゃなくて、ほんとに一瞬だけの交差。

編集部
アラカルトとフルコースの違いって、自分自身の快楽に価値を持つか、相手との「間」に価値を持つか、かも。

言葉で言うと、関係の「純化」みたいになっちゃうんだけど。それだけでも言い当てられないんですけど。男と女が築き上げていってわかり合えてきて「あうん」の呼吸になってきたみたいな二人の関係も恋愛のいい部分だと思うんですけど、わたしの場合そうじゃなくって、やっぱり違う人間が、ほんとに一瞬だけ、パッて不安定にふれあうところの到達点みたいな。もしそれが瞬間でも愛だとして、そんな状態の愛の期間が長くつづくのって、すんごい難しいですよね。でもその瞬間は、利己と利他ってのがとけあった、本当にきもちのいい状態。逆に、恋をしてるってことはいわゆるコンディションじゃなくて、恋に気づいた瞬間が、一番永遠に近い一瞬かもしれません 。まず、片思いの段階で一回そういう永遠があって、で、両思いになったときにもう一回永遠があって。それで、また他の人を好きになっちゃったり、とか(笑)。

編集部
永遠が何度もありますね(笑)。

どうなんでしょうね、あるといいですね。ただ、ほんと、たった1秒でもいい。すごい一瞬、永遠みたいな時間が、ぽつぽつ欲しい。。。でもそう言われてみれば、確かにわたしの小説にはフルコース型しかでてきませんね、アラカルト型を書くのにも挑戦してみようかな。