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開成流! 時代を生む自立者の育て方
著者 / 話者

今の日本の教育はまさに転換点に来ている。教育を語る際に、大学の重要性はもちろんだが、より多感で無垢な時代の「中高生の教育」に、今後の日本を見るヒントがあるのではないかと編集部は考えた。「自立を目指した教育の面白さ」をめぐって、東京大学合格者数32年連続トップを独走する開成中学・高等学校の柳沢幸雄校長にお話をお伺いした。

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(取材当日は、学校中が、部活や運動会の練習で活気に溢れている)

編集部:それにしてもものすごい活気ですね。進学校の印象で来たのですが、学生達がとてもたくましく、自由な雰囲気を感じます。

柳沢幸雄(以下柳沢):開成では、特に3月から5月にかけて特別な盛り上がりを見せるんです。運動会とボートレースの練習と準備に、全校上げて取り組みます。開成というとガリ勉のイメージで世間では思われがちなんですが、全然そんなことない(笑)。うちは、8時10分に始めて、2時半には授業を終えちゃう。その後は、5時までじっくり部活や課外活動をやってくださいと。開成では、ほとんどの生徒が部活や運動会に参加して、絵も描くし、歌も歌います。受験工場みたいに言われているのが不思議なくらい、開成は自由なんです。僕自身がここの卒業生ですが、自由で闊達な開成健児の気風は、昔からまったく変わっていない。

編集部:そこまで自由でいながら、部活にも明け暮れながら、なぜ勉学においてここまでのレベルを保てるのですか。

柳沢:まず、自立した人材を育てるには、管理が一番だめで、自主性が生まれないとだめ。そのための理想は、すぐれた才能を集めたら、「放牧」するのが一番。教育の要素には親と先生がよくあげられるが、それと同じくらい大切なのは友人です。放牧における一番の栄養は、すぐれた友達と議論し切磋琢磨し、あるときは戦い、助け合うこと。級友や先輩からの刺激こそが知的好奇心につながり、志につながります。
また、開成においては、勉強においても生徒会においても、学生による「自治」をとても大事にしています。学生を縛り付けようとするとうまくいかないのは、ルールが厳しいからではなく、ルールを押し付けるからうまくいかない。開成の場合は、ルールまで学生に作らせちゃう。生徒会においても運動会においても、ルールを作ることで、自分たちの想像力を具体化できるし、なによりも自分の作ったルールは破りません。勉学、友人、先輩後輩との関係、自治というところまで、学校生活をある種の小国家というかたちで運営させる経験は、将来かならず役に立つ。

編集部:日本一の合格実績を誇るための、開成における教師やカリキュラムに関する特徴を教えてください。

柳沢:まず大きいところで言うと開成では「受験のため」という特別な指導は一切しません。例えばレベル別のクラス分けもないし、とにかく日々の授業の積み重ねを重視する。テクニックじゃなくて、学問の根っこの面白さを伝えようと中高6年を視野に入れた教育を組んでいます。こだわりがあるのは、学生の知的好奇心を刺激すること。教員たちには、生徒が面白いと感じるエキサイティングな授業をしてくださいとお願いしている。そもそもカリキュラムを自分で作れないと開成の教師にはなれない。カリキュラムと教材を、自分で作り、自分の言葉で教える。自作のプリントや、教材選びなど、学びの楽しさを生身で伝えるために、建学以来、連綿と培ってきた気概と伝統が教師陣にある。

編集部:昨年の開成の卒業式では、「都内の伝統的進学校からの東大生が、伸び悩む」というどきっとするお話をされて、新聞や雑誌でも話題になっていました。

柳沢:昨年で言うと、東大新入生全体の7%弱が開成卒ということになっています。東大を歩いていても、また開成の子か、ということが多い。東大生は、大きく3つに分類できます。燃え尽き組、冷めた組、燃えている組です。燃え尽き組は、大学受験の傾向と対策で効率だけを突き詰めた学生たち。もう大学合格をゴールにしちゃって、終わる。冷めた組は、首都圏の伝統ある進学校に多い。開成の卒業生もここに入りやすい。大学に入学したのに、中高時代の環境とあまり変わらない。地頭が良く、勉強法は身につけているので、大学での勉強も要領よくこなすが、受験というイベントがないので自分を熱すことがどうもできずに4年間が終わってしまう。燃えている組は、地方の公立高校から来た学生。まず親元を離れるということ。そして友人関係ががらっと変わるということ。大学入学と同時に、大きな変化が人生に起きるので、ものを考え始める。だから燃えられる。僕が言いたいことは、決して東大が悪いということではない。ただ、大学の看板にすがることなく、学生に自活せよ、自分で外気を吸って、みずからの志を大学入学後にもう一度高くもってほしいという気持ちでそういうお話をしました。

編集部:日本における偏差値偏重の考え方に関しては、どうお考えですか。

柳沢:教育においては「積み上げ法」と「トップダウン法」のいい部分を両方取り入れなければいけないと考えています。昨年度、開成の高校生がワールドスカラーズカップというディベートの世界大会に参加した。彼は、これまでは自分と同じ環境の東京の学生としか触れてこなかったんですが、世界中の覇気ある高校生に触れて帰ってきて、がぜん目が輝いているわけ。たとえば、同い年のドバイの高校生は、「僕は、30歳のときにこういう仕事を、この企業で、国のためにこうしたいと考えている。だからこの大学のこの学部の研究室で学びたい。だからこの高校に通っていて、このように時間を過ごしていたいのです」と。これが典型的なトップダウンの考え方です。つまり、高い志を持って、その達成のために大学を選び、高校の時間の使い方を考える。それに対して日本は、未来から逆算するのではなく、現実から積み上げていく。例えば偏差値がxxだから、○○大学には合格可能性が高いのでそこを受けよう、という思考法です。積み上げ式にも、良いところがあって、丁寧にステップアップして成長できること。数学のレベルをひとつずつ上げていく、歴史をひとつずつ丁寧に学ぶ。それはそれで素晴らしい部分もあります。ただし、あまりに積み上げ式考え方に拘泥すると、大学という機関が、受験テクニック積み上げの集大成のようになってしまう。すると大学に入った瞬間に燃え尽きちゃう。そういう社会をつくっているのは大学の看板や偏差値を面白おかしく話そうとする、大人だと思う。
トップダウンと積み上げ型で言うと、学校だけじゃなく社会も一緒ですね。日本においては企業における「稟議の仕組み」なんてまさに積み上げ式の典型。稟議のようなパイプライン式の意思決定プロセスでは、一番最初にハンコをつく現場の意思が最優先される。一番下がハンコをつかなければ上司は意思を表明できないので、権限が一番小さい部署が、意思決定プロセスでは最大の権限を持つことになる。このようなプロセスでは、全体を最適にする意思決定が出来ず、一番下の権限に見合った小さな部分に適した意思決定が、全体を見渡すことなく積み重ねられることになる。企業でも学問でも、積み上げ式オンリーだと、視野が狭くなり「部分最適」が強くなってしまいます。どの組織でも全体を大きな目で見るビジョンが必要です。
最近の開成では海外の大学に入学希望する子が増えています。そのような生徒たちには「学部を終えて、日本の就活戦線には決して入らないように」という言い方をする。たとえばアメリカというのは自分の意見を持ってしっかり主張しなければ、認められない国。そういうところで折角の教育を受けて、日本の稟議なんてものに巻き込まれちゃもったいない、と。欧米や外資の企業でしっかり頭角を現してから、日本に凱旋した方がやりやすい。

編集部:柳沢校長は、ハーバードでも、東大でも教鞭を取られてから、開成の校長に就任されました。教育のいろいろな環境でお仕事をされてきて、現在の日本の教育に対してどうお考えでしょうか。

柳沢:まずは、日本の頭脳のポテンシャルに自信を持ってほしいということ。僕はボストンで教壇に立っていた経験から言うと、開成高校の18歳はハーバードやMITの新入生をはるかに上回る見識と頭の切れを持っている。そんな彼らの知的好奇心を充分に刺激できるような「ダイヴァーシティ(多様性)」が、日本の大学にあるといい。どこの欧米トップスクールも、ダイヴァーシティを学校環境の最重要項目として真剣に取り組んでいる。多様な才能にもまれることが人生に与える豊かさは、なににも代え難い。おそらく博報堂のような会社でも、また開成でもそうだけど、その環境で多様性や違いがないと、知的興奮は生まれづらいはず。高校生の立場で見ていると、親と一つ屋根の下で長年一緒に住んで、学校の中間期末試験があって、部活があって、大学受験の勉強なんてあると、どうしても積み上げ式マインドセットになりがちです。そこで学生を迎える大学側の、ファカルティ(教師陣)の多様性と、学生集団や経験の多様性がもっとも大事。それを考えると、日本の大学は、教授も運営側も、同質の集団を拡大生産しすぎた。
東大の秋入学が話題になっているけど、大賛成です。どこかの会社で泊まり込みの出稼ぎをするのもいいし、なんならもっと長い間、漫遊旅行してもいいと思う(笑)。そういうチャンスを貪欲に利用して、自分の人生のためのトップダウンの志を見つけてほしい。昔から欧米の大学には“Defer”というシステムがある。Deferとは「この大学に合格したけど、1年間行きませんよ」ということを願い出ることができる。「合格したけど、私はとりあえず世界を見てみたい。だから、1000ドルだけ持ってバックパック旅行して、帰ってきたら、次の年から入学させてください」というような、そこは交渉事。大学としても、ひとりひとりを見て、「それはいい経験になる。じゃ、ぜひともやっていらっしゃい」となれば、許してあげる。そういう生徒一人一人の人生を真摯に見つめる自由度が欲しい。
あと、真のエリートやリーダーとは、身分保障のない仕事だぞ、ということです。そういう人材を育てなければならないし、教育機関もそういう自覚を持たなければならない。日本は、戦後、終身雇用と年功序列を不離一体の制度として運用してきた。それは大学も一緒です。大学でも企業でも上役こそ安定していて、才能ある部下がそこに取り入る仕組み。日本の大学は、教授が手厚く保護され一番安定していて、これからの世代である准教授や助手が一番不安定。これからは、まったく逆にならなければならない。ハーバードの教授は、研究業績だけでなく、常に学生からの厳しい客観評価にさらされている。アメリカの成功している企業では、権限も給与も高いけど、潔く責任を取り、リスクがあるのも上役です。日本も、進取の気性を持って時代を切り開く人材、自立した人材を作らなければなりません。
今の日本の教育会全般において、僕が言いたいこと。それはジョン・F・ケネディの言葉と関連があります。彼は大統領就任演説でこう言った。「国があなたのために何をしてくれるのかを問わないでほしい。あなたが国のために何ができるかを考えてほしい」。教育にたずさわるすべての人に、この「国」という言葉を「次世代」という言葉に変えて、考えてほしい。今、日本はあらゆる意味で、閉塞感がある。その閉塞感を打破する方法は、みんなが若い世代に責任を押しつけているこの状況を変えることだ。若い才能を羽ばたかせるために、わたしたちの世代に何ができるか。若い人たちは可能性にあふれている。僕はそれを応援したい。

<プロフィール>
柳沢幸雄 YUKIO YANAGISAWA
1947年生まれ。開成学園校長。東京大学名誉教授。
東京大学大学院修了。工学博士。システムエンジニアとして日本ユニバック(現、日本ユニシス)で務めた後、東京大学工学部助手を経て、1984年よりハーバード大学研究員へ。同大助教授、准教授時代にはベストティーチャーにも選ばれた。空気汚染による健康影響の研究に従事。1999年より東京大学教授、2011年より母校開成中学・高校の校長職に就任。