タイトル
創造性の行方
著者 / 話者

伊藤“JOI”穰一
SKYPE INTERVIEW

「広告|恋する芸術と科学」編集部
LOGIN@AKASAKA,TOKYO PM20:55 MAY 7,2011
伊藤穰一
LOGIN@MIT, BOSTON AM7:59 BOSTON MAY 7,2011*

編集部
おはようございます。本日は、お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。
伊藤穰一(以下、JOI)
おはようございます。よろしくお願いいたします。今朝こっちは、最高にいい天気ですよ。そっちはどうですか。
編集部
こちらは夜の9時です。見ての通り部室のような編集室からの取材で恐縮です。
JOI
ははは、よろしくです。
編集部
それでは早速、始めさせていただきます。今、日本では、文明、経済、人の生き方、自然との関わり、企業の在り方など、多くの前提が揺らいできていると考えています。これまでは、経営なら経営学、経済なら経済学、デザインならデザイン論と、各領域の部分最適として成長してきたわけですが、ここまで前提が揺らぐと、各分野の部分最適が「未来創造の力学」にまったく通用できなくなっている。そこで、次号の雑誌『広告』なのですが【新しい世界制作の方法】と題しまして、いわゆる広告コミュニケーションの枠は飛び越えて、科学、工学、音楽、芸術、文学へと、森羅万象に対象を広げた創造性を、もう一度、再構築しようと考えています。まず、単刀直入に聞いてみてもいいでしょうか。今、JOIさんにとっての「創造性」とは何ですか。
JOI
はい。まず、いくつかその辺の話をすると、1つは、ムーアの法則とインターネットによって、ソフトウェアやコンシューマープロダクトの商品開発コストがすごく下がったわけですよね。それで、ディストリビューションと製造コストが下がると、大企業とか中央管理型の研究所ではなくて、ベンチャーが動き始めるという流れがまずあります。
結局、FacebookにしてもYahoo!にしてもGoogleにしても、学生を中心に立ち上げ、それで昔ならば事業計画を書き、お金を集め、それで物をデザインして、それを造るというプロセスでした。つまり、大体ビジネスプランが先に来て、MBAホルダーなどを駆け回り、最後にエンジニアを雇って造るという順番でした。ところが今は逆で、エンジニアが先に造り、その次にお金を集め、その後でビジネスモデルを立てるという順序になっちゃった。それがこれまでと逆なんですね。もう一つ、ベンチャーは何が強いかといったら、アジャイル(俊敏)だったわけですね。ハードウェアがアジャイルになってきていて、例えば、ソフトをやっていたAmazonやFacebookがハードウェアを造り始め、HPがハードウェアをやめるという流れになってきて、結局、4~5年のロードマップを持っているような会社が全部今、競争力を失っているという流れがあります。
次がバイオとの関わり合いです。今の集積回路いわゆるICが出来る前って、あれは昔おばちゃんたちが手作業で組み立てていたんですね。トランジスタを組み合わせて機械をつくったときに、大体2~3000個のトランジスタがリミットでした。その辺りを超えてしまうと間違いが起きてしまうので、それ以上複雑なサーキットがつくれなかったんですね。つまり回路設計が製造工程によって制限を受けていたんです。そしてICが出来てコンピューターでチップを設計し、トランジスタの数が爆発的に伸びて、ムーアの法則になるわけですね。
実は遺伝子も同じで、今、遺伝子は手でつくっているんですよ。遺伝子を一個ずつ組み合わせていくとやはりエラーが起きるので、手で組める遺伝子の長さが決まっています。ちっちゃなバクテリアからウイルスなど、遺伝子を設計して組み立てることができるんですね。Media LabにE Inkをつくったジョー・ジェイコブスという人がいるんだけど、彼の研究室では半導体を使って遺伝子をつくるプロセスが出来ていて、これが今、めちゃくちゃ伸びてきています。大量印刷みたいに遺伝子をつくれる技術ですね。来年には、多分世界の遺伝子マニファクチャリングのキャパシティーの半分がMedia Labになるかと思います。
編集部
それはすごいエキサイティングですね。
JOI
そうすると何が起きるかというと、今度は遺伝子がムーアの法則に乗っかって、ものすごい複雑なものがつくれるようになってくるんですね。今は、ほんとにすごく簡単なバクテリアしかつくれないのが、とても複雑なものが今後つくれるようになってきて、遺伝子の研究も加速度的に進むわけですよ。
結局、ムーアの法則がソフトウェアにあてはまるようになると、ベンチャーが全部イノベーションを行い、さらにムーアの法則がハードウェアにあてはまるようになると、ベンチャーがハードウェアに取り組みはじめたのと同様に、今度バイオがムーアの法則に従いはじめると、これもイノベーションコストがめちゃくちゃ下がっていくんですよ。
今は遺伝子のちっちゃいのをつくるだけでも、中国で600人とか700人のおばちゃんたちが、手作業でつくっているんです。それが全部チップになっちゃうわけです。多分いろんな分野でこのムーアの法則が成立するようになってくると、今指摘されたクリエイティビティも変化し、さらに中央管理型のお金がたくさんかかる仕組みも変わってくるのではないかと思っています。そして、Media Labなどの大学機関はネットワークの1つのノードになっていくのではないかという気がします。1つのトレンドとしてですね。
編集部
ムーアの法則では、18カ月から24ヶ月で2倍ですよね。すると、バイオ、遺伝子分野の研究も、そのぐらいのスピードで行けるかもしれないと思われている・・・・・・。
JOI そうですね。組める遺伝子の複雑性もそのぐらいのスピードで伸びていくのではないかと思うんです。それがすごく重要で、今では例えば遺伝子の分析がものすごく容易に出来ているんですよ。つまり、それを書き出す手段がなかったんです。書き出さないとテストもできないし、いろんな実験もできないのですが、これがやっとできるようになってきました。初めてうちの研究所で、全く自然にはあり得ない遺伝子のパターンの書き出しも成功しています。現在は、遺伝子に関してものすごく面白い時代で、今のMedia Labは映画『アバター』のアバターの木のようなものをこれからつくるべきだと思っています。特に西洋では、今まで科学技術を使って自然をどれだけコントロールするかという考え方が主流だったんだけど、これからは科学技術がどうやってもっと自然と一緒になっていくか考えることがすごく重要でしょう。結局自然をコントロールするために遺伝子組み換えをつくっていたんです。でも今後はそうじゃなくて、本来であればきちんとその環境にやさしい生活の仕方や乗り物をつくることができる筈で、僕らのバイオの研究の一つとして、そういうことも今一生懸命考えています。
編集部
なるほど。それは、一神的な考え方に対して東洋的なアニミズムとか、自然を抑圧するのではなくて、自然と共生するみたいな環境構想もすこし連想させますね。
JOI
アニミズムは、アメリカとかヨーロッパではプリミティブな考えだとよく言われるんですよね。でも、一神的考えのほうが実は大変で、アニミズムのほうが自然なのではないかと僕は個人的にも思っています。そういう意味で言うと、Media Labでは最近エモーションを計測したり分析したりすることをやっているんだけど、エモーションの先を考えると何が起きるかというと、感情の対象ではなく、必ず考え方自体に入っていくんですね。ダライ・ラマに関する『リラクゼーション・レスポンス』という本があるんですが、この本の中で、ハーバード大学の教授たちが、チベットの薬を科学的に解析しに行きたいとお願いしたところ、ダライ・ラマはそれに対して「東洋医学の9割は患者と医者の関係、お互いの信頼と気持ちが育む関係が入り込んでいるので、薬だけで分析してもあまり意味はない」と答えたらしいんですね。プラシーボ効果という考え方があって、プラシーボというのは偽薬のことで、効かないものを薬として渡しても心理効果で効いてしまうことなんだけど、西洋医学ではプラシーボ効果を抜いて薬を研究するというのが常識なんです。Media Labでは、人は何を信じるか、人はどういう行動をするかという右脳的な活動を研究したり、脳に情報を直接書き込んだり読んだりするリサーチを行ったり、センサー技術だったり、人工知能のチームもいたりして、そうすると、コンピューターで多角的に分析する潜在意識って何なんだろうとか、そういう表には出てこない人間の頭の考え方自体を考えていくことになるんです。それと学びとクリエイティビティがつながってくるわけです。アニミズムって考え、だから、面白いですよね。
さっきのクリエイティビティの話に戻すと、ラボにはLifeLong Kindergarten(生涯幼稚園)というグループもあります。幼稚園の子どもたちって「絵が描けますか?」と言うと、大体みんな手を挙げるんだけれど、小学校1年生とか2年生になってしまうと、それを聞いても、ほとんどの人が手を挙げなくなってしまう。学校でクリエイティビティを失っている筈なんですよ。これはケン・ロビンソンのスピーチにも出てくるんだけど、自分が出来るということを信じなくなっちゃう、ということなんです。
人間の脳ってすごくクリエイティブで、子供の、しかもまだ学校に入る前の子供の脳は、ゲームも覚えるし、絵も描くし、すごいクリエイティブなわけですよ。それが、学校に入った途端にクリエイティビティをどんどん失っていって。これは成長の一つのパターンだと思うんだけれども、半分以上は、お利口さんの賢い子供たちをつくるために、子供たちのクリエイティブな創造と、彼等の「自分は出来る」という信念を壊していると思うんですね。すると、さっきのアニミズムの話に戻すと、環境とかエコロジーのことを考える場合、結局みんなオブジェクトに集中してシステムを見ていないんです。本当はシステムとか、考え方自体にダイナミズムがあるのに。クリエイティヴィティの喪失はそういったところにも現れているんじゃないかと思います。
今の複雑な世の中では、すべてをコントロールすることは出来ない。むしろ、例えば自分で小さなものをつくって、それがいろんなものとつながって、「きっとうまくいく」という信念とカオスの中でどうやって生活するかという哲学がインターネットには組み込まれているんだけども、アニミズムもそうじゃないかって思う。自分の身の回りをちゃんとやっていれば、自然が全体をちゃんと守ってくれると。完全に分散型で、そのシステムに自分がちゃんと気持ちがつながっていればいいと。ほんとに素朴なアニミズムは、インターネット的な構造の力に似ていると思うんです。
編集部
すごいおもしろいな。美術にもそういう話もありますよ。例えばヨーロッパの寺院建築の場合って、土地の面積に対して、100%に近く目一杯建物を建てますよね。さらに尖塔にして天につながろうとしていく。ところが日本の神社は空間を支配しようとしません。建ぺい率で言うとその敷地内の儀式的建築空間というのはわずかなもので、どちらかと言うと鳥居から敷地内の文脈を大切にする。神が分散してて、確かにインターネット的かもしれない。集中型と分散型って、良く言われる決まり文句って言うか、あまりに客観的すぎるチャート図になっちゃって、そんなに心が動かなかったのですが、今のJOIさんのアニミズムとインターネットの説明は確かなシンクロを感じたし、JOIさんの強いオプティミスティックな哲学に触れて感動しました。
ところで、例えば博報堂も電通も、あるいは日本の企業も、ある種の中央集権型の創造性で高度成長時代には進んできたと思うんですね。全体が安定したプラットフォームで、モノを作るのはうまかったと。そんな中で、インターネットやプログラミングの普及による分散型の社会になった時に、創造性の種類も変っているように感じますが、そのあたりはいかがでしょうか。
JOI ハーバード大学のコンサルタント、デビッド・ワインバーガーが『Small pieces Loosely joined』という本を書いているんですけども、小さなパーツで緩やかにつながることは、多分インターネットの創造だったり、あるいは情報のアーキテクチャーになっていて、しかも、全ての可能性と全てのデザイン性をコントロールしようとしていないわけです。むしろ、一つ一つのパーツが、自分が想像した使い方「以外」の使い方をされたことによって喜びを感じるわけですよね。
昔のクリエイティブの人というのは、自分が想像した使い方でしか使ってほしくないというのが普通だったと思うんだよね。だから、加工しにくいもの、変えられないものをつくるわけですよ、昔のデザイナーは。こういう使い方で、このままで、これを編集してほしくもないし、コピーもするなと。今の創造性は、どちらかというと、自分の子供を産むような感じで、その子どもが自分よりも大きくなったり、自分が想像できないことをやったり、すごくアジャイルで柔軟性のある子どもに育つことの方がすごく大切で。だって世の中どうなるか分からないでしょ。
そういう意味で言うと、創造性とは、生命とか生きることに近いと思います。デザインは、遺伝子のデザインとちょっと似ていて、やはりこのシステムの中で自分がつくったものがどういうふうに相互作用を起こして、自分がコントールできない中で、それがどのように伸びて世の中を変えていくかということが、多分今の正しいデザインの考え方だと思うんです。だから、これはさきほどのアニミズムとコントロールの話とすごく似てきていて。今、送ったスライド開けます?
編集部
はい。

JOI
ちょうどいいファイルがあったので、これをベースに説明すると一番分かりやすいかも知れない。これは、まだ進行中で完成していないんだけど、僕の哲学とMedia Labの哲学を合体させて、ちょっとしたプリンシブルを9つでまとめています。
まず、1つ目は「RESEILIENCE」という概念です。つまりストレングスの問題、かたいものではなく、柔軟な強さをつくるということ。これは、311以降にも当てはまるのだけれど、RESILIENCEの概念は「壊れないくらい強いものをつくる」ではなくて、「壊れるんだけど、すぐ跳ね返る」ということなんです。
編集部
しなやかなバネみたいな感じですかね、竹のように。
JOI
しなやかではあるけれども、失敗してもバランスはとる。例えば、津波が起きて壊れるけれど、建て直せるということがRESILIENCEなわけで。 ストレスというのは壊れないような壁を建てるということに他ならない。
だから、今の世の中っていうのは、何が起きるかわからないので、上手くいかなかったり失敗する前提で成形して、失敗した後どうするかというプランへの柔軟性の方が必要でしょう。あってはならないことにはならないように一生懸命頑張るという考えでは、この不確実性には対応できない。だから、重要なキーワードの1つです。
「PULL instead of push」での「プッシュ」というのは、リソースやお金、パワー、知的財産など全て真ん中から外にプッシュしていくシステムのことなんですね。大企業は全部大体そうでしょう。プルというのは、必要に応じてリソースをネットワークから引っ張ってくるシステムです。僕らがやっているSafecastという放射線データの共有プロジェクトはご存知ですか?
編集部
はい、もちろん存知上げています。
JOI
地震の前は、僕はガイガーカウンターのことも放射線のことも何も知らなかったけれど、僕らのネットワークから、必要なもの、必要な人、お金も引っ張ってきて立ち上げたんです。今はもう多分世界で一番放射線とガイガーカウンターの技術を持っているチームになったのではないかと思います。それらを一生懸命に事前準備した政府よりも、起きたことに対して最適に対応しながらプルしたほうが全然スピードも速かった。これは、教育でもそうですよね。一生懸命頭に詰め込んで、さあ始めようじゃなくて、インターネットもあるわけだから、まず始めて、動きながら、必要なリソースを引っ張ってくるというのがプルのことなんです。
「PORTFOLIOS」は、さき程お話したとおり開発コストがものすごく下がったので、一生懸命どうするか煮詰めて考えるよりも、小さなものをたくさんテストして、それをポートフォリオのようにたくさん抱えるという意味です。何があるかわからないから、もういろいろやってみるということですね。
「SYSTEMS instead of objects」 は、やはり皆対象に目が行き過ぎていて、それを構成するシステムに目がいってないということです。システムこそが大事なんだよと。
「COMPASSES instead of maps」は、不確実性の時代では地図を一生懸命描くよりも、どう動くかというコンパスを持っている方が重要だということです。つまり判断基準ということだよね。たとえば、1年前、311において東京消防庁のハイパーレスキュー隊が福島第一原子力発電所に向かいましたが、彼らの活動が感動的だったのは、やはり彼らこそ現場の最前線の人たちであって、初動プランはいろいろあったんだけれども、臨機応変の現場状況、情報収集さえままならない中で、ちゃんと物事を判断して、決定して、実行して、帰ってくるわけです。大体世界中の消防団って、ミッションがすごくはっきりしてるのね。自分達は世の中のためにこういう時はこう動くというコンパスがしっかりあって、暫定的なトレーニングをしっかりと受けていて。画一的な現場もないから、画一的なプランなんかないんだよね。でも、現場に行くと、みんなピシッと動けるわけ。
経験も知識もなく、コンパスも何も持ってないけど権限と地図だけ持とうとする官僚と正反対で。ほんとにこのコンパスがしっかりしていれば、地図は要らないんです。
編集部
年初のMIT Media Lab TOKYOのセミナーに参加させていただいたのですが、そこでも「地図を捨てて、コンパスを持て」というお話をJOIさんがされてて、 印象に残っています。JOIさんは「ラフコンセンサス・ランニングコード」ということもよくおっしゃるんですけど、最初にラフなプランを立てるわけですね、初動を起こすために。初めはラフな状態でいて、あとは現場で考えながらまたやっていくという考え方というのはすごくおもしろいと思う。ちょっと後でもう一度ここの話をさせてください。
JOI
はい。その通りです。ただ創造性の現場は現場にあるというか、初期値はぐりぐり変更していく感じです。
次の「Practice instead of theory」 。これは、経済学者などがよくあてはまるんだけど、現実と自分の仮説が合わないと、現実を合わせようとするんだよね。「ちょっとおかしいな、データの方がおかしいんじゃないか」とか。ぼくらは逆で、実際に動いているもののほうが大事で、セオリーは後からでいいんじゃないかということを考えています。
「Encourage Rebellion」というものは、まさに反体制的なところにもつながるんだけど、結局、みんな言われたとおりやっていたのではノーベル賞はもらえない。基本的には、今の体制や考え方をひっくり返していかないと、創造って出ないと思います。ここはもう当たり前ですね。
「Smart Crowds」ですが、例えばイノセンティブという会社があって、ここではいろんな科学エンジニアリングの質問をネット上で公開して、世界中から知恵をクラウドソーシングするんですよね。BP社のメキシコ湾原油流出事故で汚染された海をどうやってきれいにしようかとか、P&Gの歯磨き粉をどうやってチューブに入れるかとか、ある種の領域複合的な問題で、何千人もの科学者がそこで様々な解決策を出して、それが当たるとお金をもらえるというシステムなんです。彼らのリサーチを見ると、そこのフィールドじゃなくて、フィールドから遠い人ほど正しい答えを持ってくるのね。重要なのは、その分野のエキスパートよりも、実はその分野じゃない人のほうが革新的な答えをひらめく可能性が高いということ。
Media Labが面白いのは、例えばファカルティミーテイングでディスカッションしている時に、エモーションの話やコンピューター工学の話題でも、全然違う分野の先生たちが集まって、「これはおもしろいね。こうなんじゃないか」と意見を言い合っているところなんです。そういう意味で、多様性が強いとこが勝つと思っています。あとは、やはりエキスパートじゃない人をどうやって巻き込むかというのも重要ですね。
最後は「CONSTANT LEARNING」です。これはさっきの生涯幼稚園じゃないけれど、やはり昔の日本人は、学びをして、専門的知識を習得して、その後人生ずっとリピートするわけです。広告会社に入ったら、毎日企画書を書いて、同じ仕事を毎日繰り返すっていうのがパターンだったでしょ。でも、今は「学び続けない」とついていけないし、それでいて、子どもの要素を残したまま大人になるのも創造性の根源でしょう。
そもそも「エデュケーション」という言葉も、僕はあまりよくないと思うんです。エデュケーションというのは、先生がいて、そして、知識を頭の中にぶち込んでいくというプロセスなんだけれども、これはラーニングとはちょっとニュアンスが違う言葉で。僕はオンラインエデュケーションという言葉はあまり好きじゃない。例えば、今「Seven Billons Teachers:70億人先生」というプロジェクトをつくっているんだけど、みんなが先生になって、ピアトゥーピア(Peer to Peer 端末間相互直接接続)で学びが起きるのが、これからのモデルなんじゃないかなと思います。
編集部
おもしろいな、なるほど。この9つ、確かに創造性の原理とも言えるし、あるいはJOIさんの原理とも言えると思うのですが、これを見たときに僕が連想したのは、アメーバのイメージなんですね。固くて破れない球状の殻があって、その中に入るものを探していた時代から、今はもう全体をエコシステムとしてオープンにして、変化しながら、そこにトライ・アンド・エラーして、仲間が入ったり、その膜自体も自由に変形するような。 そういう生命体のイメージで組織や考え方を捉えているのが直感的にいいなと思いましたし、もしかしたら、主体と客体の話というか、今まで産業の力学を語るときの主体と客体、あなたがつくる人なら、僕はロジック専門だとか、あなたはリサーチャーで僕はエンジニアだとか、そういうふうに決まっていたものが壊れるべきではないかとも感じました。例えば、今のエデュケーションとラーニングの話に象徴されるように、学び手が送り手にもまわれるシステムを設計することで、その楽しいダイナミズム自体が個にフィードバックされる・・・・・・。
JOI
なるほど、アメーバともネットワークとも言えますね。ぼくの一番近いイメージは「Amorphous」なんですよね。結晶じゃない非結晶の状態、無定形で組織がない状態ですね。
編集部
ここで、JOIさんにあらためてお伺いしたいのは、さっきの「地図とコンパスの話」です。日本人、あるいは日本の企業は、すごく地図をつくるのが好きなんですよね。潮流はこうだ、今トレンドはこうである、と。「今年の決定版、業界地図!」とか、分析地図的なことをやると雑誌が売れちゃったり。多分体質として全体を俯瞰して「じゃ、僕はここに行こう」ということをしないと不安になる部分があるんじゃないかと思うのですが、今、JOIさんがおっしゃったのは全く真逆。一つ一つの細胞が動いているから、全体がどうであるかということは定義できないし、定義しても意味ないと。むしろ一つ一つのダイナミックなDoer(行動者)であるためにコンパスを持つという、その精神からしてすごく面白いと先日のMedia Labセミナーでも感じたんですけど、なかなかそのダイナミズムを日本の企業に伝えるのが難しいですし、どう誌面でも表現すれば良いのか今迷っているところなんです。
JOI
もし今世界を読める地図があったら、それは嘘でしょう。あと、やっぱり自分だけで完結して考えない方がいいということだと思うんですよ。コンパスにせよ、システムにせよ、これらの考えを結び合わせると、自分がつくったものが単体単独でどうなのかということよりも、これがこのシステムに入ると、システムがどう変わって、システムがこのオブジェクトとどう相互作用するかの方が実は重要で、それはやってみないとわからない。とりあえず方向性を決めたら、あとはコンパスをもって、何か美しいものをつくろうぜと。例えばNIKEだったら、何かデザインがあって、「ネットワークをつなげるとどうなるんだろう、やってみよう」となって、やったらすぐそれを変えて。うまくいったものがあったら、どんどん広がっていくし、だめだったらやめて次のものにトライすると。NIKEのチームって実はおもしろいチームで、デザインセンスもあるし、決してスキルがないわけではないのだけど、彼らはAPPLEとコラボしてみたり、ネットでやったりしています。ネットワークのどこへつなげるか、このシステムの中のどこに自分達がいて、どのようにつなぐとどうなるかを一生懸命考えて、自分達をネットワークのノードとして捉えた場合、自分たちのコアスキルってなんだろう、NIKEってそもそも何だっけ、そのネットワークの中で僕らどこにいるべきで、どういう場合にどういう関係になるのかを考えぬいて、とにかく試作品をつくるわけですね。
そういう意味では、さっきのアニミズムの話に戻るけれど、この山の中にどこに木があって、水があって、風が流れて、その中に私がいて。そうすると、神社をどのような設計にすると自然に流れ込んで、気の流れがよくなるか・・・・・・。また、周りを祀る(まつる)という考え方がそういう時は重要で、多分これから物を考えてつくる人にとっても非常に大切ではないかと。例えば、エコで考えると周りの環境にどれだけ良いインパクトを与えるかという話だし、インターネット的に考えると他のサービスとどのようにつながって、twitterとかYouTubeなどのいろいろなサービスと僕のサービスの関係は何なんだろうとか。だから、インターネットの情報循環自体を祀ることが大事になってくるわけ。
今だと、バイオとかハードウェアでも、サプライチェーンなどを含めて全てネットワークなので、ネットワークの中の自分の位置づけと自分が何ができるのかという関係を考えなければいけなくて。でも、その関係性を知ることは不可能だね、複雑だから。したがって、そこのネットワークの中で自分がどうやっていくべきかの問題は、結構右脳的に感じるということだと思うんです。
編集部
そこの話、そのラフコンセンサスとJOIさんが常々おっしゃることにもつながると思うんですけど、もっと右脳的な感覚、直観的なことなんでしょうか。不確実性を理解しながら前に進んで、その不確実性さえも味方にしながら世界を作ってしまう感覚って、今日お伺いしたい創造性の根幹なんです。
JOI
そうなんですよ。その直観を磨くとか、そういう直観をつくるのにも、やっぱり経験というのが必要で。スポーツで言うと、例えばスノーボードが僕は好きなんだけど、スノーボードの本をいっぱい読んでもスノーボードうまくならないよね。やっぱりスノーボードとかスキーって、やって、転んで、体で覚えるわけで。
もう一つ、スノーボードからちょっと話が変わるんだけど、面白いのは、スノーボードをやっていると、すごく難しいターンをするときって、ビビると決まって倒れるわけ。「いける」と信じればいけちゃう、面白いのね。
会社も似ているところがあって、やっぱり信じ切っている人達はすごいリスクでもいけちゃったりするんだけど、普通そこでビビって、ビビったら最後もういけるものもいけなくなっちゃうわけで。結局、勇気が要るんだよね、リスクをとるというのは。やっぱり幼稚園に入る前は、だれもが勇気があるけれど、思春期の教育と大人の社会の合意のプロセスで人は勇気をどんどん失ってしまう。また例え直観があっても、直観に対してアクションを起こすためにはある程度勇気が必要なんだよね。たとえば週末、お風呂で一人でぼうっと考えてて、「こんなのがおもしろいかな」と思ったときに、「でも、きっと誰かがこれやってるよね」とか「僕がこれをやっても、僕の力じゃ……」と、みんな多分そこでやめちゃうの。「今晩何食べようかな」と頭が切り換わって、忘れちゃう。ぼくなんかがMedia Labで一生懸命やっているのは、「忘れる前に、つくってみよう。つくったものをYoutubeに載っけてみようぜ」の精神なのね。とりあえず動く、つくる。これがすごく重要で、勇気も結果も与えてくれるし、スキルにつながるので。
Media Labに名物コースがあって、How to build almost anythingというコースがあります。3Dプリンターとか3Dスキャナーとか、エンジアリングも塗装も、全部あって、もう何でもつくれちゃう。だれかが「これ、どうやってつくるんだろう?」と言うと、下の階でつくれちゃう。つまり大体ほとんどの世の中のものが、このコースを終わるとつくれちゃうんです。最近、How to build almost anything that builds almost anythingというのが出来て、それはもっと、ファブリケーションのツール自体をつくるコースなんだけれど、そのコースを終えた子どもたちは、ものすごい自信がある。世の中全てのものがどうやってつくられていて、自分がそれをつくるための知識を得ている。例えばフォトグラファーの人だったら、カメラというツールとフォトショップみたいなレタッチソフトがあって、そのハードやソフトウェアのツールボックスの制限の中でしかクリエイティビティを発揮できない。でも、今なら自分でカメラもつくれる、コンピューターもつくれる、ソフトも書ける、三脚もつくれる、全部つくれるようになると、創造の範囲が無限になるし、勇気もつくのね。それはすごく重要。結局、世の中には自分がいじっちゃいけないって騙されているものがたくさんあるんだね。開けると保証が切れるみたいな感じで、パソコンも開けられないし、車も開けられないし。
編集部
開けちゃいけないって無言の圧力ありますよね。
JOI
いじっちゃいけないわけ。でも、本当の創造では、全ての人が全てのものをしなきゃいけないと思うんだよ。
編集部
リチャード・ファインマンの日記でもいじりまくってますよね。
JOI
「自分がつくれないものは信じない」って、ありましたよね。
編集部
ファインマンの哲学とか、あと、フレッド・ハプグッドがちょっと昔に書いた『マサチューセッツ工科大学』も読み直していたのですが、実はインターネットが始まる時代から、ラフコンセンサス・ランニング・コードの創造哲学があったんだなと、改めて感じています。
日本の企業に関して、もう少し踏み込んで聞きたいのですが、Media Labセミナーで日本の企業では、予定調和にしか物事を改良できないという「インクリメンタリズム(漸進主義)」が支配しているというお話をされていて、常に創造力とは非連続性をつくるというか、本当は破壊的なものであると。でも、企業は、株主に対する説明や、合議的にモノを決める文化など、構造としてインクリメンタリズムに支配されてしまう部分があると思うんですよね、個々には面白い人がたくさんいるはずなのに。
JOI
その通り。集団でものをやろうとすると大体インクリメンタルになっちゃうんだよね。学会でも、今ピアレビュー(同系研究の複数チームによる査読)ってありますよね。そもそもそのピアレビューという形式は、一気に5人ならその5人がそのことを理解しなければ言っていることの価値がないということになるわけであって。
編集部
そうですね、最大公約数みたいな。
JOI
そう。ほんとにとてつもなく新しいものというのは、大概誰もわかってくれないし、信じてもくれないので、とりあえずつくっちゃったほうが早いんだよ。よく例で使うんだけど、世界で一番人気の百科事典をつくるにあたり、「ウィキペディアのミソは誰でも編集出来る、です」と言ったら、誰も多分お金を出さないし、やる前には、誰もそれが当たるとは予想していなかったと思うんだけども、やったら、この有り様なわけで。
良い分も悪い分もあると思うんだけど、結局日本ではとても周りの人たちを意識して、尊敬される人をみんなで尊敬して、日本の芸術とかクラフトも、先生となるべく同じパターンを続けるわけですよ。伝統を続けるというコンセプトになっている。西洋だと逆で、先生と生徒も再発明する、先生と違うものをつくるのが当たり前で。日本だと、本当にちょっとしかインクリメンタルに成長していないものを見て、みんなで「ほほお」と。実は、ぼくはレスリングと柔道の両方やってたんだけど、レスリングでは自分でよく技をつくっていたんです。相手のシーンを見ながら、しょっちゅう自分の技を変えて。一方、柔道の大会で、自分が勝手に練習した柔道の型じゃない技を使ったら・・・・・・。
編集部
柔道の新技を!
JOI
そしたらすごく怒られて(笑)。「100年早い。自分で技をつくっちゃいけない」と。「何で? 勝てばいいんでしょ」、「いや、それは違うんだ。型があるんだ。」と言われて。すごく西洋と日本のギャップを感じましたね。勝つのがポイントじゃないと言われた時にすごくびっくりして。「型をちゃんと覚えてるかどうかがポイントだ」って言われて。これは結構深いなと思いました。
日本では和がすごく大事で、そして和を大切にするということは、基本的にあまりリストラクチャーを起こさないってこと。これは島国だからなのかもしれないけれど。そうすると、権威を疑って自分のものを考えることが難しいという前提を理解した方がいい。逆に、日本ですごく面白いのは、一部の文化人とかアーティストには、めちゃくちゃなぶち切れたことをされても許すという文化があるよね。芥川賞とか、結構スーパースターたちはかなりクレイジーでもいいけども、それを見守る普通の人はそんなことをしちゃいけない、みたいな。ごく少数のエキスパートたちが、高度成長をコントロール出来た時代にはそれでよかったけれど、今はイノベーションコストが下がって、本当は集団で権威を疑わなければいけない時代なのに、「あなたとあなたは権威なので創造していいよ」というふうになっていて。日本の学者が少し権力保守的な力が強すぎるとも言える。
編集部
なるほど、それはおもしろいですね。その話でちょっと関連するかもしれませんが、先日JOIさんは、日本は「わかるもの」の研究が多いとおっしゃっていたんですね。最初は何をやっているかさえわからないものが少ないと。R&Dで言うと、わかることをR&Dしてもしようがなくて、わからないことを探すみたいな。
さっきの合意形成の話じゃないですが、みんな「ああ、そうだよね」ということで物事が進んで、「おまえ何やってんだ、そこで。わけわかんないな」ということは、大体の企業ではストップされるんですね。「おまえ、お金の無駄遣いだから」と。そこには、やる人の創造性も問われるけど、やらせる人の創造性も問われますよね。目利きというか。そこら辺はいかがでしょうか。また、創造的かもしれないマッドな人のジャッジメントはどうすればいいんでしょうか?
JOI
青色発光ダイオードもそうだけれども、最近日本での面白い研究は東大などから離れているんですよ。結局、大企業の研究所よりも、小さいところで好き勝手にやっているチームの方が面白いことを発見している傾向にある。これはそんなに新しいことでもないのかも知れない 。車のメーカーでも、下請の小さいところでいろんなクレイジーなことをやったりしているし。
日本でちょっと面白い芽は、企業のなかであまり投資家のことを考えないで、合理性を突き詰めないで勝手にやれている会社が結構あることですね。日本の美学というか、必要以上にやるとか、ちょっと非経済的なとこまではまってしまうオタクっぽい文化があるわけだよね。アニメ文化もそうだし、特にクリエイティブなカテゴリーはすべてがそうだと思うし、すごくそれは大切なことだと思う。
アメリカはマーケットが厳しいから合理主義があって、数値化して測れるものしかやらない。一つにおいては、日本がまだデザインとか、創造性のフィールドで世界に影響できるのは、その非合理的な煮込み文化だと思うんだよね。
編集部
その点、もう少しお伺いさせてください。例えば、博報堂というメディアやクライアントとのビジネスで利潤を上げる会社が、この雑誌『広告』に関しては芸術と科学を探求する基礎研究として結構自由にやらせているんですよ。世の中では「大企業」の負の側面が強調されるけど、実は予算をサンク(埋没)させる能力もあって。本田技研がゴキブリを研究して、ぶつからない移動体を考えたり、昔はソニーの研究所でも、トヨタの研究所でも、すごい面白いものを考えていて、半分クレイジー半分天才みたいな人がいっぱいいて、それを大企業だからこそサンクできていたような気がするんだけど、今、その影さえもちょっと薄くなっているような印象を持っています。先日のMedia Lab TOKYOに来ている人たちの顔つきを見ると、ちょっと感じざるを得ないというか。
JOI
ちょっと今、元気ないですよね、そういう意味でね。
編集部
大企業を否定するだけなのもちょっと嫌だなと思っていて、きっと大企業のよさはあると思うし、日本らしい考え方にも希望を見出したいんです。
JOI
そうですね。多分、高齢化も影響しているんじゃないかと思うんだよね。会社の平均年齢が大分上がってきてるんで。あともう少し外国の血を入れる、特に研究では日本に外国の血を盛り込まなきゃいけないと思うんですよね。やはり中近東なども20代だし、行くとすごい元気だもんね。まだ水準は発展途上なんだけど、とにかく元気。やっぱり平均年齢って結構大きいと思うんだよね。そういう意味で、大学がすごく楽しいのは、平均年齢が若いから。ともかく元気
編集部
中近東のお話も、MITの話もそうですが、創造性は個人だけの話じゃなくて、組織とか場とかのいろいろな文脈が絡み合うと思うんですよ。そこでの血の巡りって、お金の流れもそうだし、知恵の流れもそうだし、オープンであることもそうですよね。創造的な場つくりのためにはどういうことに心がければよいでしょうか。
JOI
さっきの勇気にもつながるんだけど、結局、みんなが一生懸命考えて、考えたことを発言したり、つくってみるという文化が必要。その文化も、もちろん教育とその人が育ってきた過程もあるけども、もう一つはその場の雰囲気があって、これはDJをやっているのと似ているんだよね。やっぱりみんなが踊り出すと踊りやすくなる。それって全部伝わるんだよね。だからその研究所なり、会社なりが、全体的に組織として煽情的で、みんな勇気があって、もうどんなクレイジーなアイデアでもどんどんつくっちゃうノリに一度なれれば、そうじゃない人が入ってきてもそういう気持ちになっちゃう。DJと一緒で、全体がしゅんとなっていると、エネルギーを上げるのはすごい難しいと思う。そのためには、ある程度の刺激を与え直さなきゃいけないけれど、考えられることは全部やればいい。部署間の壁をぶち壊したり、才能の人たちを混ぜたり。たとえば企画書という安易な合意プロセスもやめるとか、プレゼンもやめるとか。あとR&Dやブリーフィングもやめて、そして、とにかくつくって、デモンストレーションだけにするとか。あとは基本的にシステムインテグレーターとか、そういうなるべく中間の、これは代理店そのものの存在が……また怪しくなるんだけれども……。
編集部
お気になさらず、どうぞ。
JOI
広告に限らず代理店をなくすべきだと思うんですよ。結局、なるべく物事は直でやる。このまま行けば、自分で自分のまわりのものをつくる時代に急激に移行すると思うんですよ。理想のクリエイティブワールドにおいては、とにかくツールがすごく使いやすくなって、加工しやすくて、食べ物でも何でも自分でつくる世の中になるんじゃないかなと。会社の中でも、ソフトウェアにしても何にしても出来る限りのものは自分でつくるというあり方だね。もちろん、そのつくり方を覚えるために会社と組んだり、教えてもらったりするかもしれないけれど、何でも出来る限りケイパビリティーの中に持ってきて。ただ、それでも全部つくるとなると難しいから、ネットワークでつくる過程に必ず参加しているという状態。
編集部
つまり全部作るわけではないが丸投げしない。たしかに発注と思考が分離しては危険な感じもします。でも、分業化って広告でも製造でもそういう状態は長く続きましたよね。

JOI
手を動かす方と頭で考える方の両方にその経験とクリエイティビティが重要で、サプライチェーンの中でぶつ切りにしないで、違う誰かと協力してやっていてもクリエイティブ・シンキングのプラットフォームを共有化する。広告代理店など日本の会社で考えると、やはり現場にお客さんを連れていくというのが一つのイメージかもしれないけれど、きれいにしてから渡すのではなくて、ラフコンセンセス・ランニングコードのプロセスにお客さんを巻き込んでいく。そういった意味で言うとIDEO(アイディオ)のようなクリエイティブなコンサルティングエージェンシーはその流れに行ってるよね。日本の広告代理店ももっと出来ると思うけど。
もう一つ言い方を換えれば、周りに自分のお客さんを賢く感じさせることがすごく重要だね。自分が賢いからお客さんに物をつくって渡しているわけではないので。やはり僕が「スポンサー」から「メンバー」に名前を変えたのは、「みんな一緒につくるんだよ」というコミュニティをつくらなければいけないかなと思っていたから。そういう意味で、コミュニティは今すごく重要なキーワードなのではないかと思います。
編集部
なるほど。それが大学機関の拡張であるし、企業の概念の拡張ですよね。コミュニティという、オープンネス。実はこの雑誌ではひとつ大テーマをかかげていて、それは科学と芸術の融合なんですね。フィールドとしてではなく、科学的思考と芸術的思考が混じった状態での創造力を見てみたいと考えています。JOIさんには日常化してきているのかもしれませんが、日本では、まだまだ科学やエンジニアリングの現場と、芸術やデザインの現場がすごく乖離しているんですね。そこの融合に関してJOIさんがどうお考えになっているかお伺い出来れば・・・・・・。
JOI
まず、2つ次元があると思います。アーティストは基本的にあるものを皆が見ない方向から見る。もしくはそのツールを、もともと設計の用途以外の用途で使ったりする。一方、エンジニアは発想がインクリメンタルです。基本的にこれをもうちょっと早くするとか、もうちょっと磨くなどのアイデアは出てくるけれども、不思議なかたちで考え直すということはやっぱりアーティストでないと出来ない。つまり、アーティスティック・シンキングというのは、みんなから見えない角度から物を見せるということで、僕はそれをやらないと科学技術は基本的に伸びないと考えています。ノーベル賞を取っている人って大体みんなアーティストだと思うんですよ。例えば、反体制的に、開発に際して当たり前のものを当たり前でなくすることってすごく重要なことだと思うんです。
一方、デザインですごく重要なのは、デザイン・コンストレイント(デザイン上の制約)を定義して超えて行く力。例えばMITにいる無線の研究者は、無線で何でも出来ちゃう。でも、携帯電話でこれだけの、こういうデザインと相互作用で、そして、これぐらいのパワーでつくらなければいけない、そういうデザイン・コンストレインのブリーフをする。そしてそれをすべて満たす。デザイン・コンストレイントするのがデザイナーで、デザイナー無しで無線の研究なんか、あまり意味がなかったりするんだよね。たとえば今のNOKIAにこのレーダーをつけて、手のジェスチャーを使っているレーダーと、このパワーで、こういうことができるものがつくれるかなどと規定していく。すると、このレーダーのエンジニアは、いきなり目的に向かって開発できるようになる。エンジニアリングってすごくぎりぎりの環境で生きる生き物のようなもの。何してもいいというゲームってすごく楽しくないよね。やっぱりルールがあって、それでコンストレイントがあって、そのコンストレイントの中でどうやってクリエイティブにするかというのがすごく面白くて。そのコンストレイントを正しくイメージ出来て、そこにきちんといろいろなアイデアを持ってきてコンストレイントを超えるストーリーを出すのがデザイナーの仕事で、具体的に超えるのがエンジニア。例えば1人の人がデザインとエンジニアリングの両方わかるといいものが出来る場合が多い。
編集部
なるほど、まさに本当にそうですね。最後に稲田君、何か聞きたいことありますか。彼はさき程ご批判をいただいた東大で人工知能を研究していたんですが、現在広告会社でネットワークと個のクリエイティブなどを研究しています。
稲田
ぼくは人工知能のボトムアップ系の遺伝的アルゴリズムを研究していたんですけど、それはトップダウンの一つの数式ですべてを支配する概念じゃなくて、一つのエージェントが増殖していって世界をつくっていくというのが結果的に全体最適になるのかなとぼくは思っています。今日ずっとJOIさんのお話を伺っていて、改めてそのような指向性がこれからの世界の全体最適をつくっていくのかなと思いました。それは、これからの経済の仕組み、投資、結局ビジネス周りの装置全体にも、同じような印象を受けたんですけれども、こういう認識で正しかったでしょうか?
JOI
まさに、そうだと思います。もうちょっとこれは話がずれるんだけれども、実は、ビル・ジョイがこの前来て話をしたんだけど、やはりコンピューターって、ムーアの法則が伸びているのに、もうほとんど進化しなくなっちゃったよねと。で、結局そういう意味で言うと、アーキテクチャーがもう変えられなくなって、変えられるような人が正しい場所にいなくて。ビル・ジョイはチップから言語も含めて全部コンピューターをつくりなおそうと言ってたんだ。今、君が言っていたように、もうちょっとエージェントっぽくして、アプリケーションを開いてから何かが動くんじゃなくて、常にいろいろなものがインタラクションを起こし、メモリーとプロセス的なものと合体するべきだよねという話をしていて。そして、それをどこでやるのかとなると、やっぱりコンピューターサイエンスでは出来ないよね、会社でも出来ないよね、じゃあMedia Labでやろうよという話をしていたんだよね。
今のコンピューターシステムの中で、結局、上で何となく仮想的につくることはできるけれども、本当にやろうとすると、半導体と、もっと言うとマテリアルのところまで下げないと駄目で。どうせだったら、今バイオロジーも入ってきているのだから、バイオと半導体とコンピューターも全部ゼロから考え直して新しいものをつくっていこうということも考えています。これは結構、ビル・ジョイや何人かといろいろ話をして盛り上がっているところなので、これを発表するときに、また一度お話しさせてください。
編集部
今の話題は、結局JOIさんがドキドキするのって、コーディングとかエンジアリングとかバイオサイエンスとかのエッジーな各論だけじゃなくて、そういうものが一緒に動いたときの本質をディスラプト(破壊)できる瞬間。そこに創造性の根幹を感じました。
JOI
そうですね。思いついたときにドキドキするだけじゃなくて、自分がコンセプトをどんどん出して、中身ができる仲間が世界中にいる。そのフィードバックが数時間後に帰ってきたりする、それって興奮しますよ。ぼく自身はすごい音楽はつくれないんだけど、いいDJなら出来るぞみたいな感じで。
編集部
JOIさん、今日はお忙しいなかどうもありがとうございました。すみません、10分オーバーしてしまいましたけど。
JOI
どうもありがとう。
編集部
ありがとうございました。
伊藤穰一
LOGOUT@MIT, BOSTON AM9:11 MAY7, 2012
「広告」編集部
LOGOUT@AKASAKA, TOKYO PM22:11 MAY7, 2012