タイトル
カンヌ大学、開校!
著者 / 話者
松浦 良高

広告業界のレジェンドの一人、バートル・ボーグル・ヘガティ(BBH)創業者で「サー」の称号を持つジョン・ヘガティ氏。彼は一つのことを言い続けている。それは、世界中の他の産業に比べてこの産業だけが良くなっていない、ということだ。
「イギリスでの調査にもあったけれど、この広告業界くらいだよ。消費者が、20年前よりも今のほうが悪い、と答えているのは。例えば、ピザだって、自動車だって、20年前より明らかによくなっているだろう? もし、消費者が何か問題があると答えていたら、それをもっと良くするのは業界全体の使命だ。だから、我々は、仕事をもっと良くするしかない。みんなが見たくなくて、見ないようにしていて、僕らはそれを何とか見せようとしてだまそうとする。そんな関係は最悪でしょう。そうじゃなくて、みんなが見たくて、喜ぶようなことができないのだろうか? そういうクオリティの仕事を目指さないとならない」

リベラルアーツの場へと向かうカンヌライオンズ

広告産業をもっと良くしていこう。その気運の象徴となっているのが、カンヌのセミナー群だ。<広告>という枠組みから脱して、<クリエイティビティ>の力で、世の中を良くしていこう。そのために、学ぶべきことは多い。筆者はこれまで8回にわたってカンヌ広告祭のとりわけ「セミナー」に参加してきたが、そこで感じたことは、カンヌのセミナーは、「ビジネス界最高の学びの殿堂」になっているということ。セミナーがカンヌ大学とも呼ばれる所以だ。
特に今年のスピーカー選びで目立つのは、その重厚さと幅の広さ。もちろん主体となっているのは広告産業関連(クライアント企業、メディア企業、デジタルメディア、デジタル系エージェンシー、そして広告会社)ではあるのだが、それ以外の人選が、サイエンスからアートまで、まさにリベラルアーツの場を目指しているかのようだ。『利己的な遺伝子』の著者として知られる生物学者リチャード・ドーキンス博士、建築界からはレム・コールハース、写真界からはアニー・リーボヴィッツ。パンクファッションのゴッドマザー、ヴィヴィアン・ウエストウッド。ミュージシャンでは、いかにも広告業界を毛嫌いしていそうなルー・リードという意外な人選。日本が誇るPerfumeのパフォーマンスが人気を博したと思えば、ハーバードとウォートンという2大ビジネススクールが初めて講座を持ったり。MIT Media Labの石井裕、Wikipedia創始者のジミー・ウェールズ(サイトで寄付を募っているあの人)、天才集団Google X、タンブラー、Twitter、Facebook、YouTubeといったIT業界のトップたちも勢ぞろいという豪華さだ。
カンヌ広告祭において「セミナー」は1990年に設けられたが、当初は、広告祭に来る人たちを教育し、インスパイアするための一連の講義、という位置づけで、たくさんのテレビ広告のスクリーニングをする合間の「おまけ」のように、申し訳なさそうにいくつかの講演があるだけだった。私がカンヌに初めて行った2004年度の時間割を見ても、セミナー数はまだわずかで、各セミナーとセミナーの間にはたくさんの隙間時間があり、私たちはその合間に集まっては、聞いたばかりのセミナーの内容について時間をかけて熱く語り合ったりしたものだ。
それが今では、カンヌの会期中まったくの隙間なしに(お昼休みもない!)、朝から晩までセミナーが開かれるほどになっている。今年のセミナーは全部で59コマあり、会期中の日曜日の朝から土曜日の午後まで、びっちりと詰っていて、コマを増やすために今年度からは同時刻に会場を2つに分けてセミナーを実施するほど。
さらに、セミナーだけではなく、フォーラム、ワークショップ、テックトークなど、会場の大きさを変えたり、インタラクティブ性を強化したり、あるいは、テクノロジー関係のテーマにフォーカスしたミニセミナーも開かれるようになり、カンヌの学びの場としての役割は年々強くなってきているように感じる。この変遷は、業界のニーズが高まっているからで、一番大きいのはデジタル革命による業界の変化なのだが、セミナーの進化は、もっと深いところでの変革意識を感じさせる内容となっている。

誌面の都合上、多岐に渡る刺激なセミナーの内容を広くここで紹介していく余裕はないため、私のパートでは、あえて広告業界内部に起きている本質的な変化、そこに関わるようなトピックスに焦点をあてて、レポートしていきたい。

広告主のほうが広告会社よりもずっと先進的!?

この数年カンヌのセミナーに出席していて感じることは、クライアント企業の発表数が増えているということ。ある発表によれば、今年も約3000社の広告主企業がカンヌに集まっていて、それぞれの企業が、クリエイティブやテクノロジーの最新動向を吸収し、ネットワーキングすることを目的にしている。クライアントの発表を聞いていて思うのは、彼らのトップマネジメント、そしてブランドの考えは、非常に先進的だということだ。驚かされるほどにクリエイティブの力を信じ、また、新しいテクノロジーの取り組みに付いてもオープンである。その度合いは、一般的な広告会社よりも強いかもしれない。この章では、先進的なクライアントの考えの一部を、コカ・コーラのセミナーを中心に、レポートしていく。一流の世界企業である彼らに見えている世界から私たちが学べることは無限にあると痛感した。
コカ・コーラは、毎年カンヌで積極的にセミナーを開催していて、常に会場も満員になる人気のセミナーである。今年は、コカ・コーラが、最も効果的な広告主に送られるCreative Marketer of the Yearに選ばれたこともあって、コカ・コーラ自身のセミナーもあれば、カンヌディベートと呼ばれているWPPグループのCEOであるマーティン・ソレル卿がホストをつとめるトークセッションにもコカ・コーラのCEOとCMOが登場し、2コマにわたって、プレゼンスをアピールしていた。こういった一流のブランドが、カンヌのセミナーで冒頭に決まって言うのが、「ここにいる、みんなにありがとう。皆さんのクリエイティビティが我々のビジネスをドライブしてくれます」ということ。クリエイティビティを有効に活用してビジネス課題を解決し、ビジネスを広げることに成功している企業がこのカンヌに集まっている。
 それでは、コカ・コーラのセミナーに入っていこう。
彼らのセミナー「WORK THAT MATTERS(価値ある仕事)」は、ジョナサン・ミルデンホール氏(VP/Global Advertising Strategy and Content Excellence)と、アイヴァン・ポラード氏(VP/Global Connections)が二人でテンポよく交互に発表した。今年は、前述のCreative Marketer of the Yearを受賞したこともあり、127年にわたるコカ・コーラの歴史における広告とその制作に対する思いなどを紹介してくれた。
最初に出てきたのが、1955年のコカ・コーラの平面広告である。ご想像の通り、この時期にアフリカ系アメリカ人の女性が広告に出ることは非常にラディカルなこと。この女性の名前は、メアリー・アレキサンダー。会場にはお年寄りになった彼女のストーリーを伝えるインタビュービデオが流れた。当然ながら、彼女は当時のことを克明に覚えている。75人もいた中からオーディションされて選ばれたこと。ギャラは、当時の600ドルを小切手でもらい、写真を撮られただけで、こんなにもらえるのか!と驚いたこと。
そのビデオを見ると、とっても無邪気なお話しのようだが、実は、1955年当時にしたら、本当にものすごいラディカルで、プロボカティブなことなのだ。まだまだ当時は、セグレゲーション・ベンチというアフリカ系アメリカ人を差別するベンチも存在するほど人種差別の存在している世の中で、コカ・コーラは、Togethernessという価値を社会へ大胆に提唱した訳である。
セミナーの最後には、「我々を引き裂いているものよりも、一つにしてくれるものの方が偉大だ」という考えのもと昨年実施されたキャンペーンを紹介してくれた。それは、国境紛争などが耐えないパキスタンとインド、両国のショッピングモールに、大きなスクリーンモニターとカメラの付いた特別な自動販売機を設置して、自動販売機とそのスクリーンを通じて、両国の国民がインタラクティブにコーラをシェアし、踊り、友情をシェアする、「Small World Machines」というキャンペーンである。「デジタルテクノロジーとクリエイティブで、ものすごい影響力を持てる。今の時代は、そういうコミュニティだ」
こうやって見ると、コカ・コーラは、大きな時代の流れを見極めながら、その流れに乗るだけではなくて、その流れに対して自分たちの主張をしている。自分たちが理想的と考える社会の実現のために、ハピネスを言うだけじゃなくて、ハピネスを世の中に創り出していくために、何ができるかを考えているというのがブランドの強さになっているのだと思う。
結局、言っているだけでは、何も変わらない。具体的に行動を創りだしていく、人を動かしていく、というところまで強いブランドは、影響力を発揮しようとする。そのことが、そのブランドの文化になるし、強いブランドとしての条件の一つになるのだと教えられた。

クライアントと広告会社の新しい旅立ち

それでは、強いブランドを常に更新し続ける企業の考え方というものはどのようなものか。カンヌディベートにおける、コカ・コーラのトップマネジメントの発言を紹介していきたい。
まず、CEOであるムーター・ケント氏は、いい仕事をするためには、「エコシステム(生態系)を作らないとならない。一番いいリソースは、外にある。イノベーションは外から来るんだ」と発言。やはり、何でも自社内でやるのではなくて、自分たちのブランドにとって一番いいものを外部から取り込んでいくのだというオープンな考えがある。
ケント氏いわく、「例えば、サトウキビから砂糖が精製される工程の副産物である糖蜜という植物由来の素材を使用したペットボトル「プラントボトル」という考えは、そもそもは、インドからきたアイディアで、それは、外部のパートナー会社からきた」。こういった、新しいイノベーションが、外から入ってくる。あるいは、取り込んでいかないとならない、それがコカ・コーラのイノベーションに対する考え方だ。従って、「どうやって、パートナーシップを作れるか。それが、成功への道筋だ」。
いわば、アウトサイド・イノベーションともいえる、オープンな姿勢。ビジネスを強くするいいアイディアを、常に外から求めている。
コカ・コーラは、広告会社との関係性について、「ブラシを買うように代理店を買うわけじゃない。モノを買っているのではなくて、バリューを買っているわけだから。Shared Value(共益)、すなわちWin-Winモデル、それが大事なのである。クリエイティブ業界は、我々にとってはベンダー(納入業者)ではない。むしろ、パートナーである」と述べていて、広告会社との関係性を非常に重視していることが感じられる。ただ、コカ・コーラが期待する広告会社というのは、「ジュニアパートナではなく、むしろ知的な情報インテリジェンスの交換ができるエージェンシーであることが大事」と期待値は高い。コカ・コーラでは近年、ビジネス、政府、市民社会の3つのプレーヤーを、「ゴールデン・トライアングル」と呼び、この3つの領域をしっかりとふまえ、協力も得ながら、多くのビジネス上のチャレンジに立ち向かわなければならないと述べている。健康問題や環境問題など、多くの問題が複雑化していくなかで、それらを解決するためには、このゴールデン・トライアングルをつなぐ協力関係というものが必須になると考えているのだ。
コカ・コーラくらいの大きな会社になると、それだけの社会に対する責任感もあるし、見渡さないとならない領域も広くなる。しかし、それは、これからの企業の多くに求められる視点、そして、広告会社にも求められるパースペクティブなのかもしれない。
「広告会社に対して、イライラすることはないか?」 とマーティン・ソレル氏に振られて、コカ・コーラのジョセフ・トリポディ氏(Executive VP/Chief Marketing and Commercial Officer)は、このように答えた。「チャレンジをしない、あるいはリスクをとろうとしない提案が最も嫌いだ。もちろん私たちに対してチャレンジする提案をするのは難しいけど、望んでいるのは、ポジティブな対立なのだ。さらに、もう一点は、我々のビジネスすべてのステークホルダーのこと、ニーズの全体像を知って欲しい。全体を知った上でのコミュニケーションを提案してくれることが理想的だ。」
得意先の期待を超える提案というものは、広告会社のミッションだが、得意先が求めていないこと、時には対立をも引き起こすようなポジティブな対立、それが変化を呼ぶし、それを望むブランドは強い。そういった中でも、先ほどのゴールデン・トライアングルのように広がったステークホルダー、全体像を見渡してほしい、というのがこれからの企業の広告会社に対する期待なのかもしれない。

人類の歴史上、最も多く再生された動画広告

IBMのジョン・ケネディ氏(VP/Corporate Marketing)によると、最近2年間だけで、それ以前のすべての歴史上のデータを上回るデータが世の中で生まれている。それだけの、データが世界中で生成されているし、ある意味それだけのデジタル情報が世の中に増えてきている。
同様に、昨年最もたくさん視聴された動画広告は、やはり、これまでの歴史上もっとも視聴された動画広告になったわけで、それは、皆様もご存知のユニリーバの“Real Beauty Sketches”(リアル・ビューティー・スケッチ)である。2013年4月からスタートしたこの動画が、この1、2ヶ月の間に、世界中で、約1億6000万回も視聴されたというのは、本当に驚くべき数字である。
YouTubeのロバート・キンセル氏(Global Head of Content)も、YouTubeを当初はテレビと全く同じと思っていたことが最大の間違いだったと認めている。しかし、テレビと違って、YouTubeは一方通行ではないこと、そして、壁掛けで固定されたテレビと違ってどこでも見られること、さらに、見ている人も、単なる視聴者にとどまらず、ファンとして、エンゲージして、参加することができる、そこが違うんだ、と主張していた。
それは、ユニリーバのフェルナンド・マチャド氏(Global Brand VP)が言っていたこととも似ていて、彼らは、
―Be Authentic リアルであること
―Be Committed ひたむきであること
―Be Nimble すばやく対応すること
という3点が今の時代には大事だと言っていた。
マチャド氏は、全世界で1億6000万ビューもあったあの動画も、YouTubeに置いただけで拡散したわけではないと言っていた。モニターが無数にあるユニリーバ社の戦略会議室で、細かくリアルタイムにウォッチしながら、PRやテレビ広告などを戦略的に入れて、これだけの拡散ができたのだと言っていた。
コンテンツやストーリーテリングといっても、従来の発想とは全く違う発想や感覚、スキルが求められる時代なのだ。

イノベーションが目的になってはならない

東京およびニューヨークをベースとするクリエイティブ・ラボであるPARTYは、「プロトタイピング・コミュニケーション」と題して、広告ではなく、プロダクトを創っていくのだという彼らの考え方を紹介してくれた。
彼らはクリエイティブディレクターと、テクニカルディレクターがペアとなって仕事をするスタイルをとっており、3Dプリンターを使ったキャンペーンや、250台のカメラのストロボをプログラミングしたPVなど、最新のテクノロジーを使ったケースを紹介してくれたが、創始者の川村真司氏と清水幹太氏は、「大事なのはイノベーションじゃないんだ。正しいアイディアを実現させるために、正しいテクノロジーを使えばいいんだ!」と提唱していた。
確かに、他のセッションでも、触覚技術やプロジェクション技術など様々なテクノロジーの話が紹介されていたが、軒並みテクノロジーだけを紹介するセッションは寒かった。日本でも何かとイノベーション、イノベーションと騒がれる昨今だが、単に新しい技術で変化をつくればいいというわけではない、ということだろう。
デジタル技術革新の時代におけるアイディアやクリエイティビティ。こうした問題についてはセミナーで多々議論が交わされていた。
Facebookのセミナーのゲストとして急きょ参加していたDroga5の創始者であり会長でもあるデヴィッド・ドロガ氏は、カンヌで最多受賞歴をほこるクリエイターとして有名だが、「俺が広告の仕事を始めたころは、アイディアがメディアを通じて広がるのは、ビルトインだった。テレビで広告を流せばよくて、どのくらいの人が見てくれるかは全く気にしなくてもよかった。でも、今は全然違う。メディア環境が全然違うし、ものすごい細分化が起きている。いろんな技術革新が起きていて、どうやって広告を見ないようにするか、という障壁も起きている。」とメディア革命による変化を指摘した。でも、ここからが、史上最多受賞のクリエイターだと思ったのだが、「でも、それは逆に広告業界にとって、いいことだと思うんだよね。嘆いていても仕方がない。こういう環境だからこそ、クリエイティビティの量と質を強制的に考えさせられるでしょ。実は今、僕はユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツについては、これっぽっちも興味がないけど、ユーザー・ジェレネイテッド・コミュニティについては、ものすごい気になっているんだ。」
彼のような天才は、前述のデジタル時代におけるクリエイティビティの質(アイディア)についても、量(規模、広がり)についても、その両方を自然に、同時並行に、考え抜いている、それこそが、今の時代に求められるクリエイティビティなのかもしれない。

「レジェンド」は本質を見ている

近年のカンヌでは、学びの場としての意義を強めているが、それとも関係してか、伝説のクリエイターに光を当てるようになってきている。2011年に創設された、Lion of St. Markというのは、広告業界において長年にわたり功績を残してきた、まさに広告界の伝説に授与されるアウォードである。これまでその伝説に選ばれたクリエイターは、3人しかおらず、その3人はまさに名実ともに、近代広告業界を引っ張ってきた誰もが認めるレジェンドである。2011年に賞が創設されたその第1回の受賞者は、冒頭でもコメントを紹介したBBHの創始者、ジョン・ヘガティ卿。続いて、2012年はWieden and Kennedyのダン・ワイデン氏だ。ともに、カンヌでの受賞も多く、ヘガティ氏は、リーバイス、アックス、ジョニーウォーカーなどの広告で有名だし、ワイデン氏は、ナイキ、P&Gなどの広告が有名である。特に、2012年は、セミナーでこの伝説の二人の巨頭対談が特別に用意され、会場がこれまでにない盛り上がりを見せたことが印象的であった。
その後、3人目の受賞は一体誰かとみんな今年のLion of St. Markを噂していたところ、今年2013年は、リー・クロウ氏(Chairman of TBWA\Media Arts Lab and Director of Media Arts/TBWA\Worldwide)が受賞することになった。リー・クロウといえば、ご存じの方も多いと思うが、1984年のマッキントッシュの広告を始め、Think Different、あるいはiPodの広告など、近年にいたるまで一貫してアップルの広告を手掛けてきた伝説のクリエイターだ。またその中で、アップルのスティーブ・ジョブズとの30年にもわたる友人関係も築いてきたことも有名である。

リー・クロウは、40年くらい広告業界に身を置いているわけだが、珍しいことに、そのキャリアはずっと同じ会社で歩んできている。また、アメリカで当時広告業界が一番熱かったニューヨーク・マディソンアベニューとは一線を画し、「そんなの西海岸でだってできるよ」ということをカリフォルニアで実証してきた。
そもそも、リー・クロウは、広告会社に入る前に、ボーリング場で清掃の仕事をしていた。そこからどうにか広告の仕事をしたいということで、広告会社シャイアットデイに行って、1年くらい粘って、最終的には何とか入れてもらえた。当初の給料も、1万ドル(現在のレートでいえば、約100万円)くらい。
そんな時、会社で社長だったジェイ・シャイアットに会えた。そんな彼にかけてもらえた言葉は、今でも忘れられない。
「お前、入れてよかったな。何とかこの会社で、1年くらい生き延びられるといいな。まぁ、1つでも何かいいことしろよ!」
それが、リー・クロウの広告会社での原点なのだ。
「ジェイは、なにごとも完全だと思わなかった。いろんなことに納得しない。そして、口癖のように、80%くらいの仕事は良くない、それを良くするというのが仕事だと言われた。」
こういうキャリアのスタート時期のジェイからの教えが、リー・クロウの伝説化につながっていることは、間違いない。そして、彼に大きな影響を与えたもう一人の人物は、かのスティーブ・ジョブズだという。
「すごい広告は、マーケティングミラクルを起こす。それは、スティーブ・ジョブズとの仕事で感じた。」
「1984」と呼ばれるマッキントッシュの広告。これは、歴史にも名前を刻んだ、有名な広告で、ジョージ・オーウェルの小説「1984」をモチーフに競合パソコンメーカーを意識したセンセーショナルな広告だ。1983年の発表会映像では、この広告が流れ、観客からは、鳴りやまない拍手。そこで、スティーブ・ジョブズは満足そうに、これを作ってくれたのは、ジェイ・シャイアット、リー・クロウ・・・、と彼らの名前をその場で示して、彼らに称賛を贈った。このように、アップルとのたくさんの広告を制作してきたリー・クロウ、「Think different」など多くの広告が、自身の思い出に残っているという。
ジョブズについては、このように形容していた。「頭がいい人。もう彼は25歳からすべてわかってた。この箱に入っているものが、世界を変える、とよく言っていた。携帯電話、音楽、なんでも本質を理解していた。だから、日々すごいチャレンジだった。最初に会ったころは、こいつは誰だ?この会議室にいる価値のあるやつか?とチャレンジを受けたよ。」

メディアの変革や、テクノロジーの進化に揺れる業界に対して、リー・クロウは、まだ決め付けるのではなく、状況を見守っているような感じだ。
「テクノロジー。まだ、どうやって使うか、まだわからない。そのうち、分かったころに、アーティストが、テクノロジーを取り込んで、使いこなすだろう。でも、まだそこまで行ってない。まだ混乱だ。なにしたらいいかわからない。確かに新しいメディア、タッチポイントはテクノロジーで生み出されてきた、それはもちろん新しいクリエイティブ革命の一部になるかもしれない。だけど、その革命はまだ起きていないように思うし、私たちもそれが何を意味しているのかを理解しきれていない気がする。それらの新しいメディアと伝統メディアをどう使って、ブランドを私たちのカルチャーや生活の一部に取り込むための方策というのはまだまだ発見の途中なんじゃないか。」
確かに、変革は起きつつあるけれど、これが何を意味しているのか、どう使いこなしたらいいのかというのは、まだ実験の途中のような感じでもある。そういう風に思うと、何も焦ることもなく、状況を見極めようぜ、というリー・クロウの考え方は、納得がいく。別に焦って、無理矢理何かを決め付けてやってみることもなければ、色々と試しながら、様子を見ればいいのではないか。そして、時間がたつ中で、次第に新しい時代の新しいクリエイティブというものの進化が見えてくるのではないか。
伝説は、ゆったりとした自信があって、ちょっとのことでは全く焦らないのであった。

伝説から学び、自ら新しい風を

広告業界に新風を巻き起こしているデヴィッド・ドロガは、若くして既にレジェンドのオーラを帯びている数少ない人物だ。セミナーの中で彼は、「俺は、広告を作るためにやってるんじゃない、社会をよくするためにやってるんだ。」と明確に言っていた。
広告業界の外からは、そうは見えないかもしれないが、この日本で広告の仕事に関わっている新しい世代も今、ドロガと同じような想いを抱いているのではないだろうか。実際は、日々の忙しさ、現実の仕事と向き合う毎日の中で、「社会や人々の生活をよくする」なんてことはそう簡単にできるわけではないのだが。。。
筆者個人は、広告でも野球でもビジネスも何の領域でもいいのだけれど、先人の教え、とりわけ伝説の人の教えというのには一つの真理があるという風に思っている。そのまま受け入れるかどうかは、人それぞれだけれど、伝説には伝説なりの僕らには見えない見えることがあるのだろうし、そこには何かしら絶対的に参考になる教えのエッセンスがあると思っている。クリエイティブ業界で成功し、もう億万長者になっている彼らにとって、お金なんかは、そんなに大事な価値ではないだろう。したがって、聞いている僕らも単なるスタンスやお勉強ではなくて、その教えを芯から信じられるか、本当にそれで実際に自分を変えて、自分が動くか、僕たちは伝説たちに問われているんだと思う。伝説からの教えに触れた僕らには、小さくても、仕方無くてもいいから、何かしらアクションするという責任さえあるんじゃないかと。そして、それが業界を良くすることにつながるし、ひいてはそれが人々の生活や人生を良くすることにつながるのだから。

どの業界でも同じだろうが、広告を取り巻く環境はこの数年で大きく変わった。そして、クリエイティブ業界で働くクリエイターやプランナーなどは、この先どうなるのかという先の見えない不安に駆られている。そんな道の先が暗くて見えない中を、伝説のクリエイターたちは、彼らにしか見えない伝説としての知見という灯りで我々に道筋を示してくれようとしている。今回のセミナーでは様々な分野のレジェンドといえる人物が登壇しているが、彼らに共通しているのは、その業界や分野を超えて、あらゆる人々に勇気とインスピレーションを与えてくれることだ。