タイトル
伝統工芸が伝統と呼ばれることがおかしい
著者 / 話者

円と線

紋様を突き詰めて考えると「円」と「線」以下はない。円と線は、これ以上削ることはできない完成されたモチーフなんです。逆に、円と線さえあれば、実は何でも描けてしまう。最低限の要素でどこまでできるかということを自分の挑戦としてやっています。日本の文化を語る上で「削ぎ落とす」という表現がよく使われます。しかし、削ぎ落とすということをあらためて考えると、例えば、100あるものを10まで削ぎ落とすといった時に90は無駄だったということになる。それならば、1つ1つ要素を着実に積み上げていって、10で限界、ここが完璧、ここしかない、という地点を探るべきだと私は考えています。
 和装である着物へ本格的に取り組み始めたのは、東京藝術大学の大学院時代からです。着物にドット柄をあしらうこところから始めました。立体的な体に載ったときの丸の大きさ、距離、遠近、全体のバランスなどを試行錯誤しながら、あらゆる種類のドットの組み合わせを実際に作ってみました。その時に、自分が一番心地よかったのが等間隔、10㎝のドットに対して10㎝の空白。いわゆる水玉模様ですが、一般的には女性のイメージが強い。しかし、要素が等間隔で並んだ時、急に幾何学的に見え、性別を超えたどんなイメージにも属さない幾何学のリピートが目の前に現れたのです。「可愛らしいイメージで」とか、「ちょっと派手な感じにしたくて密度の濃い感じにしました」など、ファッションが語られる時にありがちな安易なイメージを何も持たない、ドットと縞を使って作品をつくろうと思ったのはその時からです。
 円と線は、世界中のどんな文明にも発生しているモチーフです。古代文字の中にも見られるように、人類が初めて描いた形は丸だ、とも言われています。月や太陽、動物の目など、人間の生や信仰に関わるもの、根源的な何かを昔から人間は「円と線」というシンプルな要素で表現してきました。私もその中の一人であるし、私だけが特別な何か新しいことをやっているという意識はありません。突拍子もない、人の反応を騒がせるものづくりは難しいことではありません。しかし、大したことをやっている様には見えないのに、多くの人の目を惹いてしまうようなもの、限られた要素で最大限の可能性を探る、そんな作品をつくりたいと思っています。
 制作のプロセスではMacも使用していますが、幾何学的に正円と直線を描いたり、繰り返すことが簡単にできるように思われがちです。しかし、手描きしたものをスキャンして、Macで置き換えて、出力して、型を手で彫るというような、デジタルとアナログの狭間を行き来しながら、最終的には手作業に落ちてくる。染色の段階でも、最近ではインクジェットの機械で染めることもありますが、最後に生地が縮んで楕円になってしまうので、そこを計算しなければならなかったり、また職人の手作業でも円と直線は非常にゆがみが出やすいモチーフなので、大抵の職人さん達はやりたがらない。円と直線という一見単純に見える柄には、それだけの高い技術力が要求される。職人達と手を取りながら、伝統という枠にとどまる事なく、技術の限界にも挑戦していく、その強い意志がこのシンプルな円と直線という柄の中に込められているのです。

和」に甘んじない 伝統×革新とかいう簡単なものではない

私の仕事の周りには、「伝統」、「手仕事」、「職人」というようなキーワードが常に取り巻いていますが、実はそれらは私たち日本人の日常生活の中で当たり前に存在しているもの。私自身はそのようなことを伝えるために活動をしているわけではありません。着物は文字通り「着るもの」であって、西洋の衣服が輸入されてから「洋服」と区別するために作られた言葉。他国で見られるような伝統的な民族衣装とは違い、日本ではまだ着物は比較的に身近なもので、現代でも海外のファッションブランドに着物の要素が取り入れられるほど評価されています。しかし今の日本人にとって、日常から切り離された「着れないもの」という虐げられた存在になってしまっている。日本の中で、着物が今どのように存在すべきかについて真剣に向き合わなければならないと考えています。
 また同様に「和物」という言葉がありますが、日本人が日本のものを「和物」と呼ばなくなり、当たり前に捉えるようにならない限りは、グローバルな社会で、個として、一人の人間として、他の国の人たちと対等でいられないという思いもあります。自分は日本人であるということがまず前提になる、そのような状況をつくるための象徴的なものとして、私は着物を扱っています。着物や和物に限らず、大きく言えば、世の中の身近な固定観念や思い込みのようなものを覆していくこと、それが私の活動の趣旨なのです。
 このように言葉で概念構築され、多くの人が思考停止のまま言葉に取り込まれてしまう状況があります。私が「デザイナー」ではなく、「アーティスト」と名乗っているのも、表現者として何をしたいか、モノや形の背景や状況に注目してもらいたいから。「デザイン」という共通言語が曖昧に安易に使われる結果、私の活動が限定的なものに誤解されてしまうのです。私は「テキスタイルデザイナー」でもなければ「ファッションデザイナー」でもなく、職人の手を借りて一緒になって物をつくっています。私はただ円と直線で柄をつくり色を決めただけで、技法も素材も全部昔からあるもの。私自身は大したことをやっていないという思いがある。「デザイン」の先にあるものを語ることが重要だと考えています。例えば、私の祖母に「手ぬぐい、見て、これ新しいデザイン。」と言えば、「かわいいわね。」で話は済んでしまう。「じゃあ、おばあちゃん、デザインって何か知っている?」と言ったら「え!?」っと固まってしまう、これは多くの日本人にも言える事。少しおこがましいかもしれませんが、考えるということの力をもう一度養うことが必要なのではないでしょうか。
 例えば「手ぬぐい」には無限の使い方があります。人それぞれに、好きなように使えばいいのです。しかし「手ぬぐい」と言った途端に、多くの人が「手ぬぐいってどうやって使うんですか」と聞いてしまう。手ぬぐいは昔のものだから、現代の生活では使い道がないのではないかというイメージを持ってしまう。そこで私が手ぬぐいの名称を「100×35」というサイズで表記すると、どんな用途でも使える布になるわけです。このような思い込みや固定観念を日本人が日本のものに対して強く持っているからこそ、それらをいかに崩していくか、それが私のやりたいことなのです。

技術の臨界を追いたい

手仕事のものには「味わい」という厄介な存在がある。「注染」という、布地の白い部分を型で糊を置き、それ以外の部分に染料を注いで染め、後で洗うと糊が取れて柄が残るという染色技法があります。これは非常に滲みが出やすい技法なので、それを「味わい」と称して商品にし販売する業者がいたり、一方でこれを当たり前のものとして消費者が「味があっていいですね。」と受け入れてしまう状況がある。その「味」は職人が手を抜いて染めたからかもしれないし、技術力がない結果かもしれないのですが、職人の方から「結構味があっていいだろう」って言ってくることもあります。私が「本当ですか? もっと頑張ったら綺麗に染められますよね?」と聞くと、言葉を濁しながらも「実はできる」と言ったりする。職人の持つ技術の限界を見極めて、指摘していかなければ、染色の技術力は下がる一方です。また、消費者側もそれを「味」として認めてしまうと、ものを見る目が養われなくなる。そのような負の連鎖によって日本の伝統技術がどんどん衰退してしまうのではないでしょうか。だからこそ、技法や素材の性質をよく理解した上で、職人の技術のレベルもしっかり見極めた上で、私は制作に取り組んでいます。特に注染という技法は、必ずと言っていいほど布の曲がりやよれ、染料が溜まって際が濃くなったり、左右対称の柄のはずなのに色の出方が違うなど、どんなに職人が頑張っても完全なものはできません。だからこそ、私は極限まできれいに仕上げ、そこからかろうじて見えてくる手仕事の痕跡を、使う人に探して欲しいのです。
 伝統技術がまだ伝統になっていなかった時代、技術が革新され続けていた時代がかつてありました。この注染が生まれるまでの間も、天然染料が化学染料になり、海外からも技術が輸入され、どんどん革新されていった時代がありました。現在では様々なことが機械で手軽にできるようになり、どんな柄でもインクジェットの機械で全部プリントできる時代になっています。通常、このインクジェットという技法は、コピー商品や廉価物をつくるための技法として使われることが多いのですが、例えば手描きで友禅で花柄を描き、その柄をコピーしてインクジェットで染めて、安い価格でレンタルに出したり、販売したりしている業者もいます。安いと思われていますが、技術としてはまだ発展途上で、出力する枚数や、データの作成にかかる手間、染めた後の仕立ての難しさを考えると、手仕事と比較して一概に安いとは言えません。
 インクジェットの染色プロセスでは、私がMacで着物の原寸大のデータをつくり、それを職人さんに渡して、それをそのまま出力して染めてもらいます。工程自体は少ないのですが、データがそのまま出力されるのでかなりシビアな仕事が要求されます。本来ならばインクジェットはグラデーション表現や写真をそのままプリントするのが得意なのですが、私は敢えて単色で染めています。RGBで1%ずつ変えて色見本を出すのですが、その時に一番注意を払うのがインクジェットの吹きつけ具合。染料の配合によっては単色にならず、柄に目を近づけると単色部分にドットが見えてしまうこともあり、インクジェットで簡単にできる仕事を敢えてやっていません。インクジェットも進化の過程にあり、機械の得手不得手を探りながら職人といっしょに機械自体を改良しています。機械の特性の最適化というよりは、限界を知りたいのです。
 染色技法の歴史という点ではインクジェットは最先端にありますが、伝統的な技術だと思われている注染ですら明治以降の大量生産技術です。伝統的な手仕事による染めから、インクジェットによる現代的染色まで、全ての技法をフラットに捉えること。現代にできる染色技術の臨界を追いながら、私が100年前の伝統芸術から受けたような感動を、100年後の人々にも与えられるような仕事をしたいと考えています。