タイトル
いまお金で買えるもの 「正しさ」を拒む、ヤフオクの「その他」
著者 / 話者

古いタイプの資本主義に真面目につきあって、過剰反応している、そういう正しさこそが、世の中の面白さを奪っているのかもしれない。

古代、自然の恵みを人々は物々交換により共有していた。しかし、人間が増えモノも増えると物々交換が成り立たなくなり、交換を媒介するモノ、保存が効いて運びやすいモノが物質的価値と形式的価値をともに備える物品貨幣として流通するようになった。やがて、素材自体が希少価値を持つ金銀銅などがコインとして物品貨幣に取って代わり、そのコインの預かり証が紙幣となり、その紙幣を発行していた銀行が貴金属の実質的な価値の裏付け無しに紙幣を刷って流通させるようになった。現代では、クレジットカードの登場によってコインや紙幣を使わずにモノが買えるようになり、さらにインターネットが出てくるとクリック一つでお金を管理し、モノの売買ができるようになった。貨幣の本質が物質から離れ、お金から実体的な価値が無くなり抽象的な形式だけになった、素っ裸のお金。

実体を持たなくなったお金は、その価値を定着させるモノを探して、いま情報空間をさまよっているように見える。その一方で、モノも同様にカテゴリー毎に分類されデータベース化され、検索すれば一発で望みのモノにヒットする。インターネットはあらゆるモノと個人の欲望を抽象化してマッチングさせ、お金が持つ「無限の交換可能性」すら減少させつつある。人間が原初から持っている交換の本能、そこから得られるコミュニケーションの楽しみや実感といったものも失われてきている。いま、お金で買えるモノが多過ぎて、モノが分かり過ぎて、逆にお金は行き場を失っているのではないか?

個人が売買を行う日本最大のサイト「ヤフーオークション」では、取引される商品にはもちろん定価がない。売り手と買い手のコミュニケーションによりモノの価値が決定され、売買される。そのプロセスの中で多少のギャンブル性に交換行為の楽しみを見出すこともできるが、多くの商品は分類されて抽象化され、カテゴリーの枠の中に押込められている。

しかしその中でも、カテゴリー「その他」に集まってくるモノは分類による抽象化と単純化を拒み、そのモノ自体の具体性、あるいは出品者の趣味や価値観を強烈に主張してくる。中には「商品」というカテゴリーにすら入らないようなモノ、お金が目当てで出品されているとは思えない値段で取引されるモノもある。そこで行われているコミュニケーションは、モノを通じて自身の価値観を共有できる「誰か」に向けて発せられるメッセージであり、むしろお金が発生する以前、物々交換以前の「贈与交換」の形式に近いのではないか。お金で買えないモノを買いたい、お金じゃないモノを売りたい。ヤフーオークション「その他」には、お金やカテゴリーで抽象化されない、人間とモノの間にある複雑な関係性や面白さであふれている。

*出品リスト画像のキャプション
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