タイトル
「面白い家探し」から考える仕事術
著者 / 話者

文句なしに面白い不動産紹介サイト、「東京R不動産」。
面白いだけでは食ってはいけない。でも、食っていける「正しい」ことだけやっていては、面白くない。
東京R不動産が「正しさ」と「面白さ」を両立するまでに、何を考え、実践してきたのか、創設者・ディレクターの馬場正尊さんに、話を伺った。
話は仕事術から、人生論にまで…。

馬場正尊(以下馬場):博報堂94年入社で、そのころはまだ建築学科出身の人が広告会社に入ること自体が非常に珍しいケースでした。そもそも建築って専門領域ですから、僕も設計事務所とかアトリエとかに入ろうかな、と思っていたわけです。でも、学生結婚をしてしまいまして、それで、もう貧乏のどん底なわけです。これはもう、アトリエ事務所とか無理だ、と。ゼネコンとか、大手だと思って就職活動するわけです。でもピンと来ないんです。一応、内定はもらっていました。
そのころちょうど賞金稼ぎのためにコンペにたくさん出展してたんですよ。普通の建築家の人たちは自分の想いを込めた作品をつくるんですが、僕にはその用意がなかった。でもとにかく勝たなくちゃいけない。生活がかかっているし、勝てないのならばアルバイトしていたほうがいい。それで審査員の分析から入ったんですよ。「普通ならどんな案が出てくるか」を考えて、普通じゃない案を出していた。審査員が好きな建築家、本、作品。それをずーっとやっているうちに、いい加減な学生だったのに、かなり詳しくなっちゃったんですよ。12個出したうち、8個入選。2年間で300万くらい稼いだかな。
博報堂に入ってみたら、コンペで闘うために考えていたようなことはそのまま活きました。同じ事を土俵を変えてやるだけで、むしろ土俵が変わっているくらいの方が面白くって、空間リテラシーとかを活用した提案をバンバンしていました。建築の業界から広告の業界にやってきて、建築のリテラシーとか理論構築の方法論をそのまま広告に自然に取り込むことで、「これは新しいことなんだ」と気がつくいうのを会社に入ったばかりの20代半ばに経験できたっていうのは大きかった。そのあたりから、領域を横断していくことに対しては何の抵抗もないというか、他の領域を持ちながら違う領域にやってくるという、異邦人であることの強さというのは、その時に感じました。
コンペにいろいろ出展していた時に、勢い余ってアート系のコンペにも出し始めたんですよ。その審査員が、大貫卓也、佐藤雅彦。電通、博報堂のスターですね。その時に、建築家と話すよりも全然面白かったんですよ。マスに対して向き合っている姿勢が、マニアックでもいいっていう建築業界と違って、すごく潔い業界だと。これが建築から違う業界に飛び出したきっかけですね。
で、広告業界にいると、「自分でメディアを持っている」ってことが、なんてうらやましいことなんだ、と思うようになるわけです。代理店でしかないわけですから。

編集部:それはよくわかります。

馬場:当時「世界都市博覧会」というのがあって、朝日新聞の記事で「税金の無駄遣いだ」みたいな論調が盛り上がったんですよ。そのタイミングが都知事選と重なって、博覧会の中止を公約に掲げた青島幸男さんが、選挙運動をせずに勝っちゃった。青島知事は選挙運動じゃなくメディアで発言していった。そこで僕が目の当たりにした風景は、何千億円もかけた都市計画が、メディアの力によってひっくり返るってことなんですよ。メディアが都市計画のインフラだと、そう確信して、「都市の変革とメディアの関係性」についての論文を書いてみたいと思って、休職して大学に戻ったわけです。
でもそのテーマの論文が過去になく、所属する先生がいない。参考文献が建築学科にはない。そこで途方にくれてしまって、だったら自分でメディアを作ろうと思って雑誌の編集を始めたんです。
小さくてもいいから、小さいからこそインパクトのある、破壊力のあるメディアを作りたいと思いました。これは面白いと思って、いろんな人にプレゼンして人をかきあつめて『A』っていう雑誌を立ち上げて、何の知識もないのに編集長になりました。当時は収益源なんて何も考えてなかった。でもそこで経験した、小さくてもいいからメディアを持つことの強さを知ったんですね。これが後々「東京R不動産」につながっていくんですが。
「やめろ」とか「無理だ」とか周りに言われながら、「好奇心の奴隷」みたいな感じで、いきたいところにズバズバ行ってきた歴史ですね。
最初は、自分でメディアを持ちたいというのと、雑誌を作ってみたいという感覚で始めたんですが、やりながらいろいろ気づきがありました。まず、雑誌というかメディアが「魔法の絨毯」だということに気がつきました。それは何かっていうと、『A』っていう雑誌は「都市と◯◯(何か)」っていうのを毎回テーマにやっていたんですが、「都市と野生」っていう第5号で、宮崎駿にインタビューをしようと思ったんですよ。取材嫌いで有名だし、こんなチンケで誰も知らない雑誌の取材を受けてくれるわけがないと思ったんだけれども、宮崎駿に「私はあなたに映画について聞きたいわけではない。都市について聞きたいんだ」と。そういう挑発的なラブレターを書いたところ、取材を受けてくれたんですよ。そういうことを繰り返しているうちに、小さくてもメディアを持っていれば、いろんな人に会いに行ける。「魔法の絨毯」のようにいろんな処に自分を連れて行ってくれる、そういう感覚を持つようになりました。
次は、「本は企画書だ」ということに気がつき始めるんですね。プロジェクトを動かしていくための強いきっかけだと。それは『東京計画』っていう特集を組んだ時に、誰にインタビューしに行こうかと考える。「東京計画、東京計画・・・石原都知事だ」と。その時に「インタビューではなく、プレゼンをしよう」と思ったわけです。その時の『A』には、地方行政とかいろんな提案がたくさんあって、それが企画書になってたんです。ただの普通の企画書の体裁だと捨てられることがあっても、本というオブジェクトになると、捨てられない。この時「本は物事を動かすドライバーになる」ということに気がついたんですが、これは雑誌を作った後に気がついたことで、作ってる時はそんなこと考えてはいなかった。
そのころ、外資系銀行の知り合いから「不良債権処理で持っている古い建物をリノベーションしてくれないか」みたいな相談を受けたんです。最初はインテリアデザインの仕事か、と思ったわけですが、当時「2003年問題」といってビルがどんどん余ると言われていたこともあり、これは単なる仕事の依頼じゃなくて、新しい大きな社会の動きなんじゃないかなという想いに変わったんですね。そこで「Rプロジェクト」っていう、建物再生のプロジェクトを仲間たちと作りました。でも何からどうやったらいいか全くわからないわけです。でもまあ「メディアは魔法の絨毯」なので、友達から10万円ずつお金を集めて、とりあえず本を作る。アメリカでも「日本で本になる」っていったらみんな取材に応じてくれて、僕は取材という方法で、勉強していたんですね。つまり編集自体が「研究」であり、できあがる本が「企画書」になってくれて、「Rプロジェクト」の本はそれなりに売れて、都市を再生する人たちのちょっとしたバイブルになって、それを見た企業の人が相談に来てくれる、そんな状況が生まれた。まさに「魔法の絨毯」なわけです。
そのころ「自分の事務所もリノベーションして格好よくしたい」と思うになって、街の不動産屋さんに借りに行ったんですが、「改造OKな物件ないですか?」って言うとどこにいっても断られる。それでもなんとか神田にある、オーナーさんが「好きにやっていいよ」って言ってくれた物件を借りてリノベーションして使っていたんですが、できあがってオーナーさんが見にくると、「こんな格好よくなるの!?これもっと家賃高くなるね!」なんて喜ぶんです。この時に「物件を借りたいと思っている僕らのような人の感性と、街の不動産屋さんの感性の間に、埋めようのないミスマッチが起きている」と思ったんですね。その現象自体が面白いと思って「空き物件から眺める東京」みたいなブログをつけ始めたんですが、それを見た人から「この物件を借りられないか?」という問合せが来るようになって、それが「東京R不動産」を始めるきっかけになりました。
「東京R不動産」は「こういう物件を探してください」という問合せに対しては、「並んでいる物件しか扱っていません」と返します。要するに八百屋ですよね。仕入れたものしかないわけですから。これは街の不動産屋さんからすると全く意味がわからないらしいんですが、雑誌の編集から始まっている僕らからすると、集めてきた素材をメディアに載せるという、ごく自然な形です。雑誌に載せるネタを読者から言われて探しに行くなんて、ないですよね。編集権はこちらにあるわけですから。
あと、今までの不動産WEBサイトでは、「駅から徒歩何分」とか「何平米」とか、「フローリング」「追い焚き機能あり」とか、すべて性能情報だけで構成されているんですが、僕らの価値基準は「気持ちがいい」とか「格好いい」とか、そういうことなんです。アイコンにもよく表れていると思うんですが、「天井が高い」とか「レトロな味わい」とか書いてあるんですが、「レトロな味わい」なんて、言ってしまえば「古い」なんです。今までの不動産屋さんだったら新しいほうがいいに決まってるんですが、僕らは「レトロな味わい」とかいって喜んでいるんです。完全に価値が逆転していたみたいですが、建築とか雑誌の編集をやっていた僕らとしては、感性で空間を見るのはごく自然なことで、空間を完全に定量的に計られるわけがないので、定性概念で空間をひとつひとつ見ていった。そういうのがうけて読者が増えていったんです。最初の2年くらいは、読み物として見る人の数は増えていったもののそれで物件を借りようと考える人はあまりいなかったのですが、編集者とか建築家とかそういう同業者から借りたいっていう人が増え始めました。全く常識外れなことを自然にやっていた感じでした。
雑誌はどうしても静的なメディアですけど、「東京R不動産」はそこに「流通」がくっついて、動くお金もぐっとダイナミックなものになったんです。これもやってみて気がついたことです。それで僕は「Open A」っていう設計事務所をやりながら「東京R不動産」も並行してやるんですが、メディアを持っていることは強くて、普通の建築家はデザインして終わりなんですけれども、僕はデザインしたものを貸すところまでできるから、ありがたがられますよね。デザインにも責任が負えるんです。「なんでこのデザインになるんですか?」って尋ねられても、「こっちの方が貸せるからです」と言える。バラバラだと思っていたデザインと流通と不動産が、つながっていく感覚がありました。

編集部:かなり遡るんですが、安定を求めて就職活動をされたわりには、全然安定していない生活を選んでらっしゃるように見えるんですが…。

馬場:休職してやっていた3年間雑誌づくりが楽しかったんですが、会社に戻らなくっちゃいけなくなってしまい、その間にちょうど博報堂が上場していたんです。適当な会社だった博報堂が、戻ってきてみたらちゃんとした会社になっていて、浦島太郎感でいっぱいになったんです。それまでは、人生の先が見えないことが不安なんだと思っていたんですが、ある日仕事をしている時にふと顔を上げたら、オフィス全体が見渡せて、「あー10年後くらいに俺はあの部長席とかに座っているのかな」と、人生の先が見えて、すごく不安になったんです。

編集部:今まで、見えなくて不安だったのに、ですか?

馬場:「なんだ、見えても不安なんじゃん!」ということに気がついたんです。で、次の日に部長に「辞めます」と言いにいきました。怒られましたね。でもその時にはもう止まらなくなっていたので、「先が見えなくても不安。見えても不安。同じ不安なら見えない不安を選ぶか」という気分になって、行っちゃいましたね。

編集部:「東京R不動産」での会議って、どんな感じなんですか?

馬場:「東京R不動産」というのはそもそも会社じゃないんです。「東京R不動産」というメディアを複数の会社がアライアンスで持っている形になっています。「東京R不動産」は兼業ウェルカムなんです。それは僕らがそうだったから。あと一人ひとりの営業マンは、個人事業主なんです。まあ保険の外交員みたいなものですよね。個人で仕事をする脆弱さも、自由も知っている。組織でないと大きいこともできないってことも知っている。僕らは個人のよさと組織のよさのいいとこ取りをしたいという想いがあるんです。その結果辿り着いたのが今の形で、野球のチームみたいなものですよね。
兼業OKも、そいつが新しい事業を始めたら、「東京R不動産」全体と組み合わさって新しい発想ができるんじゃないかと。それでできたのが「toolbox」とか「密買東京」だったりするわけです。あれは全部社内ベンチャーの集積ですね。あまりにも遠心力を働かせ過ぎると、組織がバラバラになってしまう。でも求心力が強すぎても固まってしまう。求心力と遠心力の微妙なバランスで、チームをつくっていくことに気を遣います。ミーティングも、来てもいいし来なくてもいいんですよ。でもみんな来ます。
ミーティングのための工夫もいろいろしています。まず天板がホワイトボードなんです。縦にホワイトボードがあると、どうしても1対Nになるじゃないですか。ホワイトボードの前でペンをもつ人が、会議の主導権を持つ。だけど平面にあると、パス回しが、バルセロナサッカーができるわけですよ。主導権が一点に集まらない。コミュニケーションの方法と空間に対して意識的だから自然に生まれてくる知恵ですね。それで天板が外れて磁石で壁に貼れるようになっていて、アイディア出しは平面で、それをまとめるのは垂直で、空間特性を活かしたことをしていますね。

編集部:さきほど「好奇心の奴隷」という言葉がありました。もちろん好奇心が十分に満たされて金もめちゃめちゃ稼げるっていうのが理想的なのは当たり前ですが、なかなかそんなうまい話はないわけで、収益性とのバランスはどう考えていらっしゃるんでしょうか?

馬場:食べたいと思った時に寿司が食べられるくらいには少なくとも稼げるものでないと、社会的に役に立っていないしインパクトもないっていう証拠なんじゃないか、というイメージは共有しています。不当に儲けることには興味はないけれど、適度に収益が出るっていうのは適度に世の中に役立っているっていう証拠なので、そこは冷静に見ています。

編集部:不動産仲介業というと、成約物件数にある程度売上が比例するじゃないですか。そうするとあまり紹介物件を絞らないほうが儲かるんじゃないかと思うんですが、こだわりの物件を探すときに、絞るっていう作業をしますよね?そのバランスが儲けの方に傾いてしまうってことはないんですか?

馬場:「東京R不動産」の営業を見ていて面白いのが、稼いでいる人は尊敬されるんですが、面白い物件を探してきて面白い文章を書く人も尊敬されるんですよ。
そこはうまくリンクしていて、面白い物件を面白い文章で的確に紹介している人が、売上を稼ぐことができていますね。面白くない物件をいくら「東京R不動産」にあげても、成約しませんから。

編集部:そうか、普通の物件を探している人は来ないですもんね。そういう構造が成り立っているから、「面白い」と売上が両立できるんですね。
「この物件は面白いから載せよう」とか「この物件はやめておこう」とか、そういう判断はどう行っているんですか?

馬場:個人に任せています。雑誌『A』をやっていたときに、全部の情報がいったん編集長である僕のところに集まって、そこでYES、NO判断するじゃないですか。そうすると、僕がダメになると全部ダメになってしまう。それってサステナブルじゃないなと思っていたんです。それで、全然違う方法でメディアを作れないかな、と思って、「東京R不動産」は、編集長のところに情報が集まらない、個人の努力によってメディアが更新されていくっていう構造をつくりたいと思ったんです。だから「誰がやるか」っていうのはめちゃめちゃ重要なんだけど、いったん任せたら後は放っておく。あまりにも酷かったら、軽蔑されますから。そうやって緊張感を保っています。それが共有できるためには、人選びはとても重要なんです。結果、変なやつばっかり(笑)。組織としてはギリギリでバランスを保っているんじゃないかな。仕事をするモチベーションっていろいろあると思うんだけど、利益だけを追求するんだったら、違う職業を選んでいる、そんな人ばっかりですね。それも長続きしないってことはもうリーマン(ショック)でわかってるし、自分がハッピーな状況で仕事をしていないと長続きしないってことは、もう、みんななんとなく気がついてますよね。たぶん。それを素直にやっているだけだと思いますよ。

編集部:「東京R不動産」でもそうですし、馬場さんの人生でもそうなんですが、「失敗したらどうしよう」とか考えませんか?

馬場:いやいや、失敗はたくさんしていますよ。インタビューではわざわざ言わないですけど。失敗したら、ひどい失敗になる前に諦める。ふっと引く。失敗をそんなに失敗と思わない。とか、そのあたりがコツなんじゃないですかね。「教訓」という言葉に読み替える、というか。
失敗はしますよ、必ず。でも何もしないのが一番失敗のはずだから、だったらやっておけ、ダメだったら引っ込めたらいいや、って、取りあえずやってみることにしています。で、行けると思ったら行く、みたいな。あと、過剰なリスクはとらないようにしていますね。「一か八か」とかはない。

編集部:投資効率とかを考えられるっていうことですか?

馬場:というよりかは、追い詰められるとロクなことがないって思ってるんですね。背水の陣で臨むと、面白いことはできないですよね。精神的な余裕を持っていないと、冷静さを失いますね。

編集部:インタビューというよりかは、社会人の先輩として。今の若手社員でも、いろいろ面白いことを考えても、それが正しいかどうかわからないから潰されたりとか、たしなめられたりとか、そういう経験をしている人も多いと思うんですが、そういった人たちにアドバイスをお願いします。

馬場:そうですね。お伺いを立てる前にまずちょっと小さく始めてみる、とかですかね。最初はかなりがんばらないといけないでしょうが。それで「これは行ける」と思ったら、引くに引けない状況をつくりだしてから行く。まあ上手に根回ししておかないといけないでしょうけれど、そういう意味では「東京R不動産」でも博報堂でも全く同じでしょうが、キーマンになりそうな人、協力してもらえる人への根回しをして、断られないような状況に僕は持っていきますね。フライングでちょっと始めちゃって、徹底的に怒られたら、やめたらいいわけじゃないですか。怒られないように根回ししたり、飲みに行ったり、その場で意見とか聞いて取り入れちゃったり。いきなり「どうだ!バーン!」といくとつぶされちゃうから、じわじわと味方を増やしておいて、プレゼンする時にはもう話ができている。「こうなっちゃってるんだ。仕方ねぇな」みたいな。そういう風にすればうまくいくと思いますけどね。