タイトル
顔について話してみた

今日は、僕たちにとって「顔」とはいったい何なのか?顔はこれからどうなっていくのか?というちょっと不思議なテーマについて考えてみたくて、博報堂の若手社員に集まってもらいました。さっそく、それぞれが知っている顔に関する知識や、気になる事実を黄色いポストイットに書いてもらって、それを手がかりにして顔のことを考えてみたいと思います。

「3つの点があれば、顔に見える」

天井のシミだとか、タイルの模様だとか、僕たちは全然関係ないものでも顔にみえたりするよね。こうやって3つ点を書いたら、もう顔に見えてきちゃうでしょう。たしか「シミュラクラ現象」とかっていう名前で呼ばれていたと思うんだけど、顔といったら、やっぱりこの事実がすごい気になるな。
心霊写真とか、一時期話題になった火星の人面岩とかもこれだよね。人は無意識に顔を捜してるのかもしれない。
赤ちゃんが最初に人間を認識するのって、おかあさんの顔からだよねきっと。赤ちゃんが何よりも喜ぶ遊びっていったら「いないいないばぁ~!」でしょう。やっぱり人には顔を求める特別な意識があって、その顔が消えたり現れたりすることに興奮するんだと思う。
小さい子どもということで言えば、「頭足人」というのもあるよね。子どもに人の絵を書いてもらうと、大きな顔から直接手足が生えている絵を書く。首や胴体が見えていないという訳じゃないけど、やっぱり重要度が全然違うんだろうな。あと、それに関わる疑問は、そもそも、顔ってどこからどこまでのことを言うの?ってこと。首って顔じゃないのかな?口の中って顔か?とかさ。実は曖昧だよね
むしろ「場」っていう感じがしませんか?明確にこっからここまで!って区切りはないけど、表情が表れる「場」が顔。
なるほど。それは面白い視点だね。この間、他のメンバーと顔について話している時、「人間のカラダには足も手も2本ずつ、左右対称についているのに、なんで顔だけが1つちょこんと乗っかってるんですかね?」って聞かれてドキッとしたんだけど、
なんでって言われてもな(笑)
うん。でも考えてみれば、顔だって目も耳も鼻の穴も左右対称なんだけど、それを切り離さずにひとつの場として僕たちが顔を見いだしているっていうのが、答えなのかもしれない。

「顔には五感のほとんどが集まっている」

すごい根本的なことなんだけど、そもそも目、鼻、口、耳って、五感のほとんどが顔に集まっている。あ、触覚もあるか。五感全部が顔にあるってすごいことじゃない?
おぉ。確かに。当たり前すぎて忘れていた事実だ。そこから何が言えるだろう。
五感っていうのは感受する器官だから、顔は他人とか世界を受け取る場所っていうことだよね。反対に、相手に向かって口から言葉を放ったり、視線を送ったりもできる。
面白いですね。つまり、顔っていうのは、僕たちにとって世界の「入り口」であり、「出口」でもあるっていうことか。
皆にとって、自分のカラダの中で、いちばん「自分がそこにいる」って思える場所ってどこですか?僕は顔なんだよね。頭とか胸とかお腹じゃなくて顔。この皮膚の上に自分がいるっていう感覚がある。それって、今の話と繋がっていて、五感を通じて世界とやりとりをする場所だから、ここに自分がいるっていう実感があるのかな。
心は胸とか丹田にあるっていう感覚も分かるけど、確かに顔にある感じもしますね。どっちも自分からは見えないっていうのが共通点ですよね。足とか手とかだと自分で見ることができるから、なにか客観的なものに思えて、遠くに感じる。
あとは免許証とかパスポートとかに顔写真を載せるように、他人とか社会がその人を識別するのが顔だからこそ、自分自身でも私がここにあると思うってのもあるんじゃない。

「その人を思い浮かべようとする時、真っ先に思い浮かぶのは、顔」

今の話に重なるんですけど、誰かを思い浮かべようとしてまず浮かぶのって、カラダや声というのもありはするけど、やっぱりその人の顔ですよね。顔はそのひとを象徴しているってことだと思う。
それでいうと、日本の古い和歌のなかで、顔に関する描写がないかを調べていて気がついたんだけど、和歌の世界では「顔」ではなくて「面影」っていう表現が圧倒的に多いんだよ。ぼんやりと浮かぶその誰かのイメージとしての顔っていうのは、顔を考える上で大切な視点だという感じがしたな。
顔って、物理的なカタチだけじゃなくて、その人の人格とか精神とかメンツみたいなものを表しますよね。「顔が広い」とか、「顔が効く」とか「顔に泥を塗る」とか、顔の慣用句って大体、メンツとか社会的な人格という意味合いですし。
精神や人格と顔の関係ってことだと、生まれながらにカワイイ子は素直に育ちやすい傾向があるって聞くよ。
カワイイ子とかイケメンがいいヤツだ、とは必ずしも言えないと思うけど、顔が、内面を規定するっていうのはあるよね。フィクションでも大体、悪者は悪い顔してるし、主人公はイケメン。ヒロインは美女。「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。」みたいな話もある。中身が外見ににじみ出るっていうのは普通だけど、逆のベクトルもありそう。
それはあると思います。僕、ごらんの通りハーフなんですけど、思春期になると、みるみる自分の顔が外人っぽくなってくわけです...あんまりにも変化するから自分でもどうしていいかわからなくなる。そうやって顔が変わってくると、やっぱり性格まで変わってくる。その顔でそれはないだろうみたいなのがあるから。
わかる!僕もハーフだからその感覚すごい分かる。
ハーフあるあるか(笑)いずれにせよ「顔は変わるものだ」と。メイクとか整形とか、人工的な加工の分を差っ引いても、成長したり、老化したりして、同じ人間の顔も自然に変わっていくってことだね。
政治家っぽい顔とか、風俗嬢っぽい顔とかもありますよね。社会的な立場とか環境が顔をつくるんですかね?
あるねー。やっぱり表情が顔に張りついていくのかな。タレントとかも、たくさん視線浴びるから垢抜けてキレイになるっていうしね。顔は、誰かに見られて顔になる。一緒にいる人に顔が似てくるっていうのも、よく言われるよね。
夫婦の顔は似てくるってよく言いますね。血のつながりないのに。おなじもの食べてるから?
それもありそう。あとはやっぱり、毎日顔を合わせてると表情だって似てくるってことなんじゃない?
うん。笑顔の人をみると、自然に笑顔になるし。「顔は鏡」とでもいうのかな、人は自分の顔を直接見ることはできないから、他者の表情を介して自分の表情を想像することしかできない。そうやって他者と表情を映し合っているうちに顔そのものが似てくるっていうことかもしれないね。
人の顔って、それまでの人生で向き合った無数の表情の集合体なのかも。顔は、今まで出会った人の顔でできている。表情だけじゃなく、シワとか痕跡も含めて、その人の歴史であると。
ココ・シャネルが「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績。」っていう名言を残してますよ。
おお!さすがシャネル。いいこと言いますね。
ここまで、顔×ECO、顔×EGOっぽい話題は結構出た気がするんだけど、意外と顔×EROに関するトピックが出てないね。顔って他者を誘惑するもので、エロスの側面もあるような気がするけど。誰かありませんか?

「SEXのとき電気を消してほしいのは、顔を見られたくないから」

人にもよると思いますけど、sexの時、顔を見られたくないから電気を消したいっていう女性は結構いると思います。
(男性陣一同)
そうなんだ!
身体とかよりも顔? 表情を見られたくないってこと?
すっぴんとかよりもある種無防備というか...
野生だもんね。自分のコントロールの範疇を出てしまった表情。顔は、本能があらわになる場所。
でも表情って、野生なんですかね? 文化な気もするけど。
どっちもあるんじゃない? 痛い!とか気持ちいい!とかは野生というか生理的だけど、笑いとか怒りとかは文化的なものという気がする。
見せても恥ずかしくない表情はおしなべて文化的かもしれないですね。人に見られたくない顔―たとえばSEXの時の表情とかは野生? 違うかな?
いずれにしても、女性がそういう野生的な顔を見られるのが恥ずかしいということは、逆から言うと、男性はそういう顔に欲情してるのかもしれない、と思ったんだけどどうかな? 本質的には男女関係ない気もするけど。
そうかもしれない。顔そのものに対して欲情するわけじゃないけど、たしかにまったく顔のないポルノでは欲情しないんじゃないかなあ? 顔があるってことは、その身体が「誰か」特定の個人のものだってことじゃない? 個人にはそういう誰かを誰か足らしめているいろんな社会的な肩書き、文化的な防壁みたいなものがあるけど、そういうものが一気に崩れ落ちて匿名的な野性があらわになるのがエロいんじゃないかと。
熱弁したね(笑) いや、でもわかるよ。仮面舞踏会とかもエロチックだけど、あれにはどういう意味が見いだせるんだと思う?
仮面舞踏会やったことないからわかりませんが(笑)顔を隠すことで、個人個人が誰なのか曖昧になって、身体の野性が解放されるっていうことじゃないですか。だから、逆から言うと、普段は顔が身体・野性を束縛してるのかもしれませんね。
面白い。そうすると、顔は普段は身体(野性)の拘束具で、その顔を隠すことで、身体が野生を取り戻すというエロスもあるけれど、理性の存在である顔そのものに野生がよみがえる瞬間もまた、エロスの極みだってことだね。
そうすると、メイクをするとか、表情をつくるとかっていうのは、ある種の「躾」みたいなもんなんですかね。顔の野生を手なずける、顔の調教?

「女性は化粧後の顔を自分の顔だと思っている」

女性は化粧後の顔を自分の顔だと思っているっていうデータがありますよ。
あーそうかも。人によりけりだとは思いますけど(笑)結構そうなんじゃないかな。
だから、電車でメイクとかする女性に対して「すっぴんの元の顔見られて恥ずかしくないの?」っていう男性の疑問がよくあるけど、そういう女性はメイク前の顔は自分の顔だって感覚がないから(笑)、気にならないんだって。
それはちょっと極端ですけどね。私はメイクをしてない顔って、仕事する上ではマナー違反って感覚がありますよ。就活メイク、とかもあるし。メイク規定ある職種もありますよね。百貨店とか、CAとかも?
メイクは社会性の一部だと。でもそういうメイクって、いわゆるモテようとする、誘惑するためのメイクとは別物だよね?
だと思いますけど。感覚的に。
タレントの西川史子先生が「化粧をしていないと自信のある発言ができない。スッピンの私は、優しいことしか言えない」みたいなことTVで言ってましたよ。
メイクは仮面? あるいは武装?
そうかもしれない。違う自分になれるっていうか、モードを切り替えるっていう感覚はありますね。
顔をつくって、使い分けるんだ。便利だなあ。男はポーカーフェイスとメガネぐらいしか隠す術ないもんね。
でも本当、昔っから人間は化粧とかイレズミとかペインティングとか、手法は違えどずーっと顔を加工してますよね。塗ったり隠したり何かつけたり。「顔の加工」自体は普遍的な感じがする。なんでだろう?何がしたくてそんなめんどくさいことするの?
安心したいんじゃないですかね?
ああ~。自分の顔を直接は見れない、っていう不安こそが普遍的なのか。自分の顔と向き合い、加工して、顔を所有しようとする。でも、どれだけやってもリアルタイムで自分の顔を直視することはできないから、逃げられてしまう、っていういたちごっこ。もどかしいし、不安。
おもしろい。それはちょっと納得できる。
自分の顔がコンプレックスで、1年間鏡を見ずに生活した女性、っていうのがいるらしいですよ。彼女はそれで強迫観念から解放されて幸せになったんだって。顔なんて、見ない方が幸せなのかもしれないですよ。
真逆の例で、東日本大震災のあと、被災地の女性向けにメイク講座をやったら、すごく喜ばれた。化粧品なんかよりもっと切迫して必要なものがたくさんあるはずなのに、鏡に向かってメイクをしたら「元気づけられた」っていう女性が多かったっていうのが、ちょっと話題になってた。
いい話だね。
化粧って「メイク」っていうけど、「ケア」の側面もあるのかもね。自分の顔をケアするっていうと、すごく内省的に聞こえる。メイクするっていうと、ちょっと表層的な印象。だいぶ違う。

食事をしている顔は性的

あとエロスってことでいえば、食事してるときの顔ってエロくないですか?そもそも口が性行為に使われるっていうのもあるけど。
ちょうど「食ってエッチ」というテーマで別の記事もつくってるんだよ。リンクしたね。個人的には、内と外の境が曖昧になるというところに共通点があると思うんだよね。食べることや排泄することって、ようするに外のものを内側に取り入れたり内側のものを外側に出したりする行為でしょう。性行為もそうだけど、どこまでが自分自身かという境目が揺らぐ瞬間っていうのは無防備で、なにかそこにエロスが生まれるんじゃないかと思う。
どこかの部族では「性器は剥き出しでもぜんぜん恥ずかしくないのに、食事してるのを人に見られるのが恥ずかしい」っていう文化があると読んで、わからんこともないな、と。食べてる顔ってもう露骨に野生的だし、無防備ですよね。それを隠すためにテーブルマナーとかあるんじゃないかと思うぐらい。
全身で顔だけが剥き出しっていうのは普遍的かと思ってたけど、そういう話を聞くと、案外ひとつの文化に過ぎないのかもね。
実際、イスラム文化圏では、女性はベールで顔を隠すよね。
ムハンマドとか、聖人の顔は描いちゃいけないことになっていますよ。
え、そうなの?
たしかにムハンマドって顔のイメージないな。キリストとかモーセはあるけど。
身体はちゃんと描くんですけど、顔の部分だけ、光で見えなくなってるんですよ。映画とかでも、顔は絶対に映らないアングルになっていて、映る場合は顔自体が発光する感じで見えなくなるんです。顔は聖域だから。
顔は聖域! なるほど~。なんかそれはひとつの本質な感じがするなあ。実際、人の顔って気安く触れないですもんね。肩とか背中みたいにはいかない。
うん。なんかこう、踏み絵みたいにして床に顔の写真とか敷き詰めたら、すごい歩きにくくなりそう。顔を踏むのって抵抗あるよね。
そういうアート作品とかありそうですね(笑)
顔があると、無条件に目がいってしまう。顔は存在するだけで、見るものに呼びかけてくるんだよ。
雑誌の表紙とかもほとんど顔ですしね。その方が売れるらしいし、CMとかでも、人の視線はタレントの顔に注がれてるらしいです。
「戦うつもりか愛しあうつもりがなければ、黙ったまま10秒以上互いの目を見つめあうことはできない」っていう言葉があるんだけど、これも顔が聖域だからってことで腑に落ちる感じがする。
視線って強いですからね。まじまじと見られるのって怖い。「寝顔は愛おしい」って話がありましたけど、寝顔は一方的に見ることができて、自分が見られる不安がないってのも大きいんじゃないですかね。
それは大いにあると思う。
さて。ここからは「顔の未来」について考えよう。たとえば顔認証技術みたいな顔を巡る今日的な事象とか、今後こうなるんじゃないか?という憶測、こうなったらいいなという希望など、何でもいいので自由に出していって下さい。

人は顔に縛られる?: 顔認証

新聞の記事で「顔認証が進むと、そのうちカードすらいらなくなる時代がくる」みたいな話があって。もともと現金があって、カードがでてキャッシュレスになって、次は顔認証でカードもいらなくなる。ということで、究極のてぶら社会到来?
そう考えると、顔って持ち物なのかもしれないですね。サイフとか身分証とか印鑑とか、そういうものの代替になれる。逆にどんだけ手ぶらになっても、顔だけはないといけない。
本当にそうなってくよね、近い将来。現金もカードもいらなくなって、自販機とかでも顔をかざせば、 電子マネーでピッ!て、Suicaみたいに。それは何か、普通に便利だけどね。顔さえあれば何でもできる。
でもそれって逆から言えば、悪いことできないですよね。常に監視されてるわけだから、街のどこにいても。息苦しいっちゃ息苦しいんじゃないですか。実際、監視カメラの解像度もめちゃくちゃ上がってるから、雑踏の匿名性みたいなものがなくなるわけだよね。リコメンドとかもされそう。スタバいくとこの人はいつもコレ飲んでるから今日はコレがオススメです、みたいな。リアルAmazon状態。
うわ、未来っぽい(笑)あとは、いくつかの会社がもう既にやってるはずだけど、顔が鍵になる。指紋認証みたいに、顔をかざせば鍵が開く。顔がIDになるのは、たぶんそのうち当たり前になる。
メイクしすぎたら家に入れないとかありそう。あとは整形してなりすましとか。「模倣整形罪」とかできそう。メイクとかむくみとか、個人の変化をどの程度許容できるんだろう? 整形したらちゃんと届け出ないといけなくなるんだろうね。
今まではパスポートとかキャッシュカードとかだったけど、はじめて人体とか生きてるもので社会に縛られるわけですよね。それってなんか気持ち悪いなって思うんですけど。
でも署名とか印鑑で縛られてるっていうのも、大丈夫?って感じしますけど。ぼく二十歳になった時びっくりしましたもん。こんなんで世の中回ってんだ! って。印鑑と署名って、メソポタミア文明と大差ないじゃんて。だから生体がIDになるっていうのは、技術が追いつけば自然な流れって気もする。
でも、そうやって顔とか生体でダイレクトに権力に縛られれば縛られるほど、整形とかメイクとかフェイクとか、そこから逸脱しよう、自由になろうっていうエネルギーも大きくなる気がする。とりあえず、サングラスつくっている会社の株を買っておこうか(笑)

人は顔から自由になれるのか? :メイク・整形

「顔の未来」って話をすると、どうも暗い話とか怖い話になりがちなんだけど、何かポジティブな、こんな未来がきたら嬉しいみたいなのってありませんか?
女性が化粧から解放される未来っていうのはあり得るんですかね?
『Fifth Element』って映画で、ミラ・ジョヴォヴィッチが空から降ってくるシーンがあって。最初スッピンなんだけど、マスクみたいなのを顔に当てると、フラッシュみたいなのがたかれて一瞬でばっちりメイクされる、ってのはありましたよ。そういう感じになるとか?
整形と化粧の違いって、復元可能性でしょう基本的には。もしも、まるっきり違う顔になるけど、簡単に取り外して元に戻せる、新しい化粧のようなものが生まれたら、それに対してはあんまり拒否感ないのかな。だとしたら、まるで違う未来がくるよね。好きな顔をつくっておいて、それをワンデーのコンタクトみたいにぴたっとつける、みたいな未来。
顔から解放される未来? でも本当に好きに顔を変えられたら、あらゆる差別とかコンプレックスがなくなったりするのかな? 生まれ持った顔の良し悪しっていう不条理な優劣がつかなくなれば、本当の平等がくるのかもしれない。
若返り、アンチエイジングも。ずっと若い顔でいられれば、年齢による差別がなくなる?
今すごいもんね。ボトックス注射とかもかなり身近になってきてる。そのうちエステとかヘアサロン感覚になってくるのかも。ハゲだってなくなるでしょ?顔に表れる年齢ってものがなくなる。年齢から自由になるってのはあるかもね。
そうなると少子化が激化するんじゃない(笑) 顔だけ若いからまだまだ恋愛できると思って、結婚するとか子どもつくるとかならなくなって。
それはちょっと波紋を呼びそうな発言だけど、おもしろい視点だね。少子化の原因は、女性の顔がアンチエイジングの技術で若々しいままだからという説。顔が若いから、まだ私はいつまでも若いと思うし、まだモテるっていう状況がつづく。でも身体的には子どもをつくるのは難しいくらいの年齢にいってしまう。
実際、そうなりかけてますもんね。「アラフォー女子」とかみんな苦笑するけど、何十年か前から考えればありえないほど若くて可愛い。美魔女とか、年齢を超越していますよ。男はどうか知らないけど。
「美しい50代が増えると、子どもは減ると思う」ですね。
またちょっと明るい未来じゃなくなってきたよ(笑)
でも思考停止はしてるけど、それはある種のユートピアではあるんじゃないですか? 老人ホームにいくと、かわいい60代女子がいっぱいいて、まだまだみんなガンガン恋愛してる(笑)。思春期の部活動みたいに。それが僕らの未来?
あと、日本は整形タブー。結構「親からもらった大切な顔に傷をつけて」って感覚が強いよね。顔は聖域だとか整形はよくないことだというのがどっかにあるけど、純粋にそれを取り払えば開けてくるものはあるのかな。みんなが美しくて、ユートピアのような世界がくるんだろうか。
そうなってくると、みんな見た目と中身が一致しないっていう世界になってくるんですかね? 女子大生かと思ったらおばちゃんでした、とか。欧米人かと思ったら栃木出身でした、とか。みんなそういうのばっかり(笑)
認知的不協和。人はみかけによらなくなってくる。実際、整形とかだけじゃなくて、世界中でもっと人種がごっちゃに混ざってくるとそうなるのかも。僕自身、ハーフで見た目は外人だけど日本語しかしゃべれないから、すごい認知的不協和を与えているよね。
人種の壁も、年齢の壁もガラガラと崩れ落ちていく? それは見方によっては自由になるということなんだろうけど、そうなるときっと、別の縛りが発生してくるんだろうなあ。ファッションとかで、たとえばB系の服着てたら同じトライブに属してる仲間、みたいなのは、今でもあるっちゃあるけど。
結局、いま現在、顔が背負ってる機能を、別の何かが負うだけなのかもね。それも、ある意味では顔の拡大なのかもしれない。

拡大する「顔」:Facebook は顔の本

Facebookって考えてみるとスゴい名前ですよね。「顔本」て。強烈。
FacebookとかSNSまわりで言うと。まずプロフのアイコンはSNSの「顔」ですよね。
めっちゃつくり込んでる人いますね。アングルとか光とかをすごい綿密に計算して撮ってる女の子とか(笑)。WEB上でメイクをしてるみたい。顔の編集。
似顔絵とか、雑誌のカバー風に加工したヤツとかをアイコンにしてる人もいるよね。あと自分の子どもとかペットとか。
ありますねー。なんかでも、アイコンにどんな画像使うかで、ある程度その人の趣味とか嗜好がわかっちゃう感じはする。アイコン性格診断とかできそうですね。
最近の10代ぐらいの子とかって大変らしいよ。僕らだと大体、高校~大学生ぐらいでmixiが流行りだして、もう会わなくなってた地元の友達と、久しぶり~!って感じでつながったりしてたでしょ?でも、今は小学生ぐらいからSNSやってたりするから、いわゆる「高校デビュー」的なことができない。環境かえて、別のキャラでデビューしようとしても、デビューした瞬間に過去さらされたりするリスクがある。つまり、顔が使い分けられない。
それはしんどいな~。でもそうなると、サブアカ取って複数のアカウント使い分けたり、SNSによって顔を変えたりするんでしょうね。mixiでは大人しいけど、LINEではめっちゃチャラいとか。あるいは呟きまくってデータサーキュレーション起こす人とかもいるだろうし。たぶん実際は色んなテクがあるはず。
SNSと顔ということで言えば、「タグ付け」の恐怖だよね。
どういうことですか?
「タグづけ」って要は、自分が写ってる写真を、Facebook上に他の人がUPして、「〇〇さんと××さんが写っています」ってタグをつけるわけ。だから、酔っぱらったりして自分が知らないうちに撮られてた写真だとか、仕事抜け出してこっそり出てた合コンの写真とか、そういうのがうっかり出回っちゃったりする。
それが嫁に発覚して怒られている先輩とかいるよね(笑)。だからもう最近は、飲み会で写真撮るときに「タグづけOKですか?」って訊くのがマナーになりつつあるらしい。顔にタグをつけるって、そもそも不思議な感覚だよね。
Facebook関連でいうと、「この人友達ですか?」っていうの出てくるじゃないですか? 友達の友達とか、出身校が一緒とかで知り合いを予測してリコメンドされてるんだけど。それで毎日のように「友達ですか?」って見せられていると、本当は面識ない人のはずなのに、もう知ってる人みたいな感覚になってくる(笑) 会社とかでたまたますれ違ったりすると、知らない人なのに挨拶しそうになるみたいな。もしかすると、向こうも同じ感覚になってるのかも。
その感覚わかる。なんか、一般人が会ったこともないタレントに「香取クーン!」とか、思わず気軽に呼びかけちゃう感覚って、TVで毎日観てるから知ってる人みたいに錯覚しているんだと思うけど、それが芸能人とかじゃなくて、一般人レベルで起こってる感じ。
自分の知らない所で、拡大しつづける「顔」。だからこそみんな周到に顔を編集したり、使い分けたりするわけだね。

顔が近づいてきている

ネットに上がる写真を見ていて思ったんだけど、顔のアップの写真って、写メとかデジカメが一般化する前は、普通の人は撮らなかったんじゃないかって気がします。記念写真は昔からあるけど、全身かバストアップでしょ?SNSのアイコンみたいな、顔だけトリミングされたアップ写真って、最近になって急激に増えているんじゃないかな?
おもしろい! 顔は拡大するだけじゃなくて、近づいてきている。たしかに、織田信長とか坂本龍馬とかも、全身像しかないね。 肖像画だってバストアップが普通だし、時代を経るに従って顔がずんずん近づいてきている。このままいくと目とか鼻のアップとかまで寄ったりして。なんで近づいてきてるんだと思う?
自画撮りという行為が生まれたからじゃない。顔のアップって、自分の腕伸ばした30センチかそこらの距離で撮るでしょ。第三者がそこまで近づいてきて撮ったら普通こわい(笑)近ぇよ!ってなる。
撮るデバイス自体がどんどん個人に近づいてるのも一因かもね。町の写真屋さんの三脚カメラは町のものだけど、家族のカメラは家族のもの、でもインスタントカメラとかケータイになると完全に個人のものっていう。
見る画面自体がちっちゃくなってるっていうのもありますよね。写真ならまだしも、ケータイとかiPhoneのちっちゃい画面で全身像見せられても見辛い(笑)。インターフェイス(inter-face)の進化が、顔=フェイスのあり方を変えると。

Inter-Face

お。「インターフェイス」って、もしかして結構本質的な言葉なんじゃない?フェイス自体が、見方によってはインターフェイスともいえそうだし。
顔と顔の間? 顔が向き合うっていうイメージ?インターフェイスって正確にいうと何?
「界面や接触面、中間面といった意味を持ち、転じてコンピューター周縁機器の接続部分をあらわす」ですって。入力するための接触面ってことですね。iPadの画面とかそういう境界面?
サーフィス(sur-face)とかも顔が入ってますよね。表面にも顔がある。
「sur」はフランス語のオンじゃないですか。顔の上っ面=表面。「上辺」的な。
意外と顔にあたる言葉って言語によっても違いますね。
ファサードとかも?フェイス、ヴィサージュも使う。よりモノっぽい感じかな。
フェイスって女性名詞なんだ、フランス語では。外形、外観、姿、性質。
おもしろいな。外観であり、性質なんだよね顔っていうのは。
顔は物心二元論に入りきらない。身体っていう外面・モノでありながら、心・精神っていう内面でもある。そもそも近代的な世界観からはみ出してしまうものなんじゃないですか、顔は。エコ/エゴ/エロが切り離されてるっていうのも、人間/自然とか、自己/他者とかをバチッと明確に区切って捉えてるからだと思うんですよ僕は。でも本当は白黒ハッキリ分離できるものじゃないはず。だから、顔との新しい向き合い方を考えるっていうのは、エコエゴエロを統合して考えてみるのと、根っことしては一緒なのかもしれないなと。今更ですが。
うん。最近マーケティングでも使われる「ペルソナ」っていう言葉があるでしょう。もともと「仮面」を意味していて、今では「人格」みたいな意味で使われる言葉だけど、原義をたどると「それを通して(per)」何かが「鳴り響く(sonare)」っていうことなんだって。自己と他者、自己と世界のあいだで、それを通して互いに響かせ合うものが顔なのだってこと。顔は部位ではなく「場」であるって話が出てたけど、まさにそうだね。顔=あいだにあるもの。その意味では、FacebookアイコンとかのWEB上の「顔」も結構、顔そのものの本質に近いのかもね。