タイトル
N:NのGAME CHANGERS
著者 / 話者

ぼくにとって初めてのカンヌだった。というよりも、海外広告祭を見に行く事自体が初めてだった。あ、いや、国内広告祭的なものに行ったことも呼ばれたことも、関わったこともなかった。ん、それ以前に、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバルはもはや広告祭じゃないんだった。

そんなぼくがカンヌに到着して、生まれて初めての表彰式を会場の端っこから眺めて一番感動したのは、Film Craft部門とFilm部門だった。どちらか1つ感動した方をと言われれば、迷わずFilm Craft部門を挙げる。正直いうと、 表彰式で『Meet the Superhumans』を見て、ちょっと泣いてしまった。それが初見ではなかったにもかかわらず、だ。それはFilm Craft部門の受賞作たちが他のどの部門よりも優れていると思ったからだとか、ぼくがFilm好きだからだとかそういうことではない。むしろ本心でもぼくはFilmよりも他の部門に惹かれているといってもいいくらいだ。

敢えてわかりにくい言い方をすれば、ぼくが感動した理由は、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』を現代を生きるぼくらが見ても、誰もスクリーンの前から逃げ出したりしなくなっていることと、根っこは一緒なのだと思う。各部門でグランプリもしくはゴールドを獲得した作品は会場の大スクリーンで紹介される。Film Craft部門とFilm部門の場合は、作品そのものが投影される。素晴らしい音響とともに。一方、それ以外の部門は、応募ビデオや静止画1枚が投影される。つまり、生活者がその映像と出会った瞬間を、表彰式でかなり正確に再現できるのが、Film Craft部門とFilm部門。それ以外の作品紹介は、どうしても説明になってしまう。その広告に出会ったときの生活者の気持ちを理解することは、ぼくらにはできないのだ。推測はできても。

では、Film Craft部門とFilm部門の間に感じた違いは、何かというと、これも同じ違いだ。表彰式会場での再現性の違いだ。1:Nの映像プラットフォーム(会場の大スクリーン)を意識している前者と、1:NだけでなくN:Nも意識している後者の違いから発しているのではないかと思う。これは、Film部門がカテゴリー分けがされていて、従来のテレビやシネアド用だけでなく、インターネット用などのカテゴリーもあるためだろう。インターネット上(N:Nのプラットフォーム上)で見られることを意識した素晴らしい映像とその仕組は、必ずしも1:Nのプラットフォーム上で映えるとは限らない。

映像プラットフォームのGame Changer

ぼくがカンヌに到着したのはフェスティバル3日目。他の編集部メンバーよりも数日遅れで到着した特設編集室@カンヌで、「Game Changers」というタイトルの本をみつけた。カンヌ公式本。Game Changersとは、「それまでの状況を完全にひっくり返す人やアイデア、出来事」とでもいえるのだろうか。

同名のエキシビジョンがフェスティバル会場で行われていて、60回を数える過去のフェスティバルで高く評価され、Game Changeをしたとされる広告キャンペーンの作品・資料が展示されていた。広告業界の枠を飛び越えて、世の中にも大きな変化をもたらした歴史的な広告キャンペーンがずらり、だった。

このカンヌに関して、Game Changersという概念はあくまで過去の歴史的受賞作品・広告キャンペーンに向けて使われたものだったが、カンヌ初来訪のぼくが今年カンヌで見た中でGame Changerだと感じたのは、広告キャンペーンではなく、映像プラットフォームとしてのYouTubeだった。
それを強く感じたのは以下の2点からだ。
1つは、本誌にも掲載されているグランプリ受賞作品のタイトルをYouTubeで検索してみるとヒットしない作品はないことだ。すべてが、当たり前のようにYouTubeで視聴できる。というか、すでにこのことを指摘しても、当然でしょ、と思わせるところがすごい。
そしてもう1つは、今年の受賞作を見る限り、「YouTubeを面白く使ってカンヌをとってやろう」という意気込みを感じる作品は見当たらず、ただ、当たり前のようにYouTubeを使っていたことだ。もはやYouTubeを使うこと自体の新規性はゼロになり、当たり前のようにYouTubeを使っているだけだ。当たり前のように使う存在になるってどういうことなんだろう。

グランプリをとりまくった "Dumb Ways to Die"は、4300万回以上もYouTubeで視聴。"The Beauty Inside"だって、"Real Beauty Sketches"だって、YouTubeにあがっていないものはない。といってもいい。どれも「動画をアップし共有するプラットフォーム」という、直球ど真ん中の使われ方をしていた。もちろんその裏に、緻密な戦略が存在しているのだろうが。YouTubeによってこれまで行われてきたGame Changeの1つをみた気がした。もしかするとぼくが訪れていない去年や一昨年のカンヌも似たような状況だったのかもしれないが、間違いなく7年前はそんな状況ではなかっただろう。YouTubeの誕生は2005年。いまから8年以上前のことだ。

Game Changersは多くの人の人生を変える

この誌面で何を急に告白するんだという感じだが、そういえば、ぼくはYouTubeに人生を変えられた。少なくともぼくの人生には、YouTube以前以後、2005年とか2006年あたりに、はっきりと線が引かれている。それも、かなりぶっとい線が。何が嬉しくて、2005,6年ごろロンドンに留学してる日本人大学院生が、一歩出ればカレー屋が何十軒と並んでいて、切り裂きジャックの犯行現場ツアーが行われているバングラデシュ人街の家で、70年代に糸井重里が司会をしていた某番組(オープニングもやばい!)や、着物姿の某俳優が銀座のホコ天でテレビ番組のインタビューを受ける設定の時代劇に出会わなきゃならんのだろう。そして、(俺が出てきた)日本ってやばいじゃねーか!と、大西洋とアメリカ大陸と太平洋を越えて感動せねばならんのだろう。ああ、YouTubeとかいうプラットフォームに人生を変えられてしまった。それらの権利関係無視の動画はすぐに削除され、その後のYouTubeは権利関係にしっかりと対応した運用が行われるようになり、ぼくが出会った、生まれて間もないYouTubeはもう既にここにはないのだけど、その後のYouTubeは当時よりもより多くの人の人生を、より激しく変えているような気がしている。

フェスティバル会場から徒歩で数分のところにある、Google主催のGoogle Creative Sandbox会場での"YouTube Creators Panel"と名付けられたセミナーで、ぼくは、ぼく以外のYouTubeに人生を変えられた人たちをみつけた。いや、ぼくなんかよりもずーっと激しく人生が変わった人たちで、彼らはYouTubeを「見る対象」としてだけでなく、「撮ってアップする対象」「アップした動画で多くの人とコミュニケーションをとる場所」として活用し、人生が変わった人たちだ。「SORTED Food」、「DanIsNotOnFire」、「AmazingPhil」、「Orangina」という4つのYouTubeチャンネル(アカウント)を運営する4組。砂浜と冷たいフリードリンクにつられて集まってくる広告クリエイターたちにYouTubeをどうやって活用すればいいのかを伝えるセミナーだった。

その4組の中でも目立っていたのが、「DanIsNotOnFire」のDanと、「AmazingPhil」のPhilの2人。2人はロンドン在住の20代のイギリス人男性で共に同じフラットに住むフラットメイト。Danは自身のチャンネルに200万人以上の登録者を抱えている。つまり、Danのアップロードする動画に興味があったり、新着動画のお知らせを欲しいと思っていたりする人が200万人以上いるということで、確かに彼がアップロードした動画の多くはあっという間に100万再生を超えてしまう。一方、Philのチャンネルの登録者は100万以上で、これも非常に多く、彼らの動画の視聴者は英語圏を中心に世界中で視聴されている。そして、彼らの活躍の場はYouTubeにとどまらず、「Dan and Phil」というラジオ番組をBBCラジオ1で制作している。

彼らが短いセミナー中、何度も繰り返していたのが、「ユーザーと対話をすること」「コミュニティを作って、管理すること」「ウソをつかないこと」の3点だった。そして、彼らはYouTubeだけを使うのではなく、facebook, twitter, tumblrなどを同時に活用しているらしい。と、おそらく、真剣に仕事に取り組んでいる広告関係者であればわかっていることを、念押しされたような気もした。ちょっと冷たい飲み物でももらってこようかと思い始めたぼくの腰を重くしたのは、会場から彼らへ投げかけられた質問だった。

テレビ番組は1:Nのメディアといえるか
会場から投げかけられたは「次にやってみたいことは何か」というDanとPhilへの質問だった。ぼくは彼らがどんな未来っぽい答えを出してくれるのかと想像して、思わずニヤニヤしてしまったのだが、2人は軽く冗談を交えながら、さらりと、テレビ番組の制作をやってみたいと答えていた。その理由は、大きな予算が使え、多くの人に伝えられるから、だそうだ。YouTubeでチャンネルを持ちつつ、BBCラジオ1で番組を持ち、マスメディアに触れはじめた彼らの実感なのだろう。
一方、未来っぽい、N:N的な、理解を超えた回答を期待していたぼくは、一瞬クラクラしてしまったのだが、いまから考えれば、頭がクラクラしたのは会場の熱い日差しのせいだったみたいだ。仮に彼らがテレビ番組制作という目標を叶えたとしても、彼らが大事だと語っていた「ユーザーと対話すること」「コミュニティを作って、管理すること」「ウソをつかないこと」をやめるわけではない。YouTubeやtwitterやtumblrをやめるわけではない。つまり、彼らがもし1:Nのフィールドに進出したとしても、N:Nのコミュニケーションは機能し続ける。彼らの制作するテレビ番組は、YouTubeやtwitterで「ユーザーと対話し」、「コミュニティを作り管理し」ている彼らの制作する番組なのだ。彼らの制作する番組は、それ単体としても存在しうるが、常に変化し、見る人によって、見る環境によって、内容を変えるN:Nのコンテンツとしても存在しうるのだ。ひとつの映像を取り上げて、1:NなのかN:Nなのか、ということはどうでもいいことなのもしれない。むしろ、1:Nでのコミュニケーションを前提とする、という幸福な状況が奇跡的だったのかもしれないとすら思えてくる。渥美清が寅さんとして存在し得た幸福な状況には、現代ではなかなか出会えない。

無限の可能性を秘めた世界が広がっていると見るか、映像に対する危機とみるかは人それぞれだろうが、ぼくは圧倒的に前者だ。