非言語ゾーン|出汁の写像

日本料理は出汁のうまみを中心に構成される世界唯一の料理体系とも言われる。
碗物はその真髄のひとつである。京都盆地は四方を山に囲まれた椀状の地形を有す。
その椀の水面にあたる碁盤の目状の市中を歩くと、あちこちで民家の奥に井戸を見つけることができる。それはまるで京都という都市自体、巨大な出汁の上に浮かんでいる水上都市であるがごとくの空想を抱かせる。
出汁に限らず、野菜、豆腐、茶、酒…… あらゆる味覚はすべて水をプラットフォームにして機能しているのではないのか。
ここでは、この仮説に立脚し、巨大な出汁=京都のフィールドワークを試みた。

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視点|1|ingredients成分

かつて赤茄子と呼ばれたトマトは、昆布出汁のうまみ主成分と同じグルタミン酸を豊富に含んでいる。
直火で炙られ皮が弾け飛んだトマトが誘発する食欲は、出汁の記憶と結びついている。

きのこは手で裂くとうまい。きのこ類も鰹節や昆布と並び優れた出汁素材である。干し椎茸に含まれるグルタミン酸やグアニル酸は、
乾燥させたのち再び水に浸すとたっぷり溶け出す。この「戻し汁」は他の料理の出汁として使うことが出来る。

「きのことすだちのおひたし」。ぶなしめじ、白舞茸、やまぶし茸、えのきを、出汁、薄口醤油、酒、塩でさっと煮て冷やす。すだちを浮かべて食べる。

「松茸ご飯」。出汁、薄口醤油、酒で米を炊き、松茸と三つ葉を加えて蒸らす。

塩鯖は福井の若狭湾から陸路で京都に運ばれた。「鯖街道」である。足の早い鯖に塩をふっておくことで、都の人間が食べる時分によい塩梅となった。
京自体は盆地に位置する内陸の都であったが、鯖街道や琵琶湖、淀川という水運チャネルを通じて日本海、瀬戸内海、
太平洋から多様な魚介類が集積していた。鯖寿司は昆布で米を炊き、青じそのみじん切りを加えるといい。

温室栽培が一般化した現在では、多くの野菜は年中食べることが可能である。
それでも同じ野菜の成分分析を季節ごとに行うと、本来の「旬」の時期に分析したものが最も栄養素を多く含む場合が多い。
秋にごぼうを食べるなら、土つきのものを買い、皮を剥かずに表面の土だけを洗い落とす。その時に最適な道具が「たわし」だ。
オーガニック・レストランが増加している欧米でも野菜を皮ごと調理することが多くなり、日本の「たわし」の優れた機能性に対する注目が集まっている。

Photo|© エレファントタカ(『京都おかず菜時記』/小平泰子・京阪神エルマガジン)‖右ページ下の写真を除く

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視点|2|micro-craft ミクロ/技術

鰹節は世界一硬い食材である。
京都の東寺近くで古くから乾物を扱う「うね乃」の本枯れ鰹節は何重にもカビ付けされており、特に硬い。
良質なカビが内部の水分を吸い上げ、乾燥を極限まで進行させる。
この究極の硬さをもつ鰹節を二つ用意し全力で叩き合わせると、一方が真っ二つに割れる。
断面を見るとまるで生肉のような鮮やかな深紫色が現れる。

本枯れ鰹節の断面を走査顕微鏡で観察すると、カビが菌糸を根や茎のようにのばし、花のように成長していることがわかる。[fig.5]
「鰹節は呼吸している」と言われるのはこのようなメカニズムによる。

世界一の硬さをもつ鰹節を削る作業は簡単ではない。
「うね乃」では機械式の削り機を導入し削り節の生産を始めたが、同じ薄さに削っているのにも関わらず、出汁を引くと味が落ちたように感じた。
結局、職人が手動で刃に当てる古いタイプの「鳥羽式」に戻して生産を続けている。
後に機械式と鳥羽式の削り節の断面を顕微鏡で比較観察してみたところ、薄さは同じでも鳥羽式の断面には微妙な凹凸が見られた。
「うね乃」では、鳥羽式では熱の発生が最低限に抑えられることと、凹凸がうまみ成分であるイノシン酸の溶け出しやすさに関わっていることが
出汁の味を左右しているのではないかと考えている。鳥羽式の製造会社は既に廃業しており、
部品交換などは東寺界隈の板金工などに発注して独自に調達して行っている。

鰹節の断面には筋線維の境界に沿って無数の「粒」が突出している。これは酵素の働きから生成したアミノ酸やイノシン酸などの
うまみ汁ではないかと考えられている。このように外側に表出した粒構造は鰹節のカビ付け回数が多いほど少なく、断続的になっていくことから、
カビ付けの回数とうまみの内部保持力は相関していると思われる。[fig.1|一回カビ付け fig.2|三回カビ付け]

三回カビ付けした鰹節と五回カビ付けした鰹節の表面を比較すると、より多くの菌糸が認められる。
これもうまみ成分の多寡と関係しているのだろうか。[fig.3|三回カビ付け fig.4|五回カビ付け]

「糸削り」用の刃は「うね乃」の職人が自分達で鏨(たがね)で刃付けしてつくっている。

「うね乃」では鰹節粉をつくる際、節状のものをいきなり粉状にするのではなく、一旦薄く削り節にし、それを米の脱穀機を改造したものにかけて
微細な粉末状にしてゆく。これは無用な加熱を最大限避けるためである。出汁のうまみにとって香りは死活的に重要であり、その香りは揮発性である。
よって、いかに揮発を誘発しない加工法を採用しているかが出汁のうまみを決めることになる。

遠くない将来「世界一の朝食」の地位は、砂糖をふんだんに使ったパンケーキから、削りたての鰹節・天然昆布で出汁を引いた味噌汁と
土釜で炊いた新米で食べる朝食に、とって代わられるだろう。

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視点|3|macro-plane マクロ/平面

京都市内には一体いくつの井戸が存在するのか。今回、京都市役所に依頼して市内各区役所で把握している数を初めて集約してもらった。
その総計は2322[2013年3月末現在]。上水道が発達していながら、地理的に限定された範囲にこれだけの井戸が密集して現存している近代都市は世界的に珍しい。
しかもその大半が個人宅のものである。この井戸の水質が、出汁を引く、豆腐をつくる、酒を仕込む、織物を染めるといった古来の営みにとって、
文字通りのインフラストラクチャーとなっている。東山にある有名料亭「菊乃井」では、東京の赤坂店で昆布出汁だしを引くために本店の井戸水を運ばせている。
その水質による味の違いは、水として飲んでもわからないが、出汁を引くとはっきりわかるという。

図|京都市生活衛生課から提供された元学区ごとの井戸件数をもとに編集部で作成
(個別井戸を示す青印は該当元学区内の任意の位置に描画しており実際の住所とは対応しない)
特別協力|京都市保健福祉局保健衛生推進室生活衛生課

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視点|4|macro-solidマクロ/立体

現在でも2300以上の井戸の存続を可能にしている京都盆地とは一体何なのか。土木工学を専門とする関西大学の楠見晴重学長は、
弾性波探査によって人工的に小さな地震を起こし、地層面から反射・屈折してくる地震波を観測することで地層構造を明らかにした。
地表近くの粘土層は非常に薄い。これは地下水を汲み上げても地盤沈下を起こしにくいことを意味する。
そしてその下の砂礫層は十分な厚みをもつ。この砂礫層が盆地を包囲する山々から浸潤してくる雨水を大量に包蔵する構造となっている。

京都盆地の地層構造を立体的にシミュレーションすると、地中に211億トンにのぼる地下水の山々、文字通りの水脈が現れる。
その水量は琵琶湖に匹敵する。楠見氏はこの地下水の山を京都水盆と名付けた。
京都水盆が包蔵する地下水の唯一の出口は、京都盆地の南端に位置する「天王山」と「男山」間の、わずか1kmの隙間である。
天王山にはウィスキーの産地として知られる「山崎」が、男山には徒然草でも語られる古来の神社「石清水八幡宮」が存在する。

資料提供・著作|楠見晴重[関西大学学長/環境都市工学部教授]

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視点|5|transparency 透過

梅雨の雨をたっぷり飲んだ夏の鱧(はも)。そのうまさは無類であると言われる。
古来、西日本の漁師の間では鱧は美味い魚として知られていたが、全身にびっしり埋まる骨のため、
一般的に食するには至らなかった。京都大学フィールド科学教育研究センターの神松幸弘研究員によって作られた
鱧の透明標本を見ると、その内部を立体的に把握することができる。鱧の小骨は背骨から生えていない。
つまり「ほかのどの骨ともくっついていない」、「筋肉の中に浮いている骨」である。
それゆえ骨抜きで抜くのには多大な労力を要する。一方で鱧はスタミナが強く、交通機関が発達していない時代に
瀬戸内海から京都に運んでも、一定の鮮度が保たれていた。
そこで食文化が発達し腕利きの料理人がいた京都で、長尺の庖丁を素早く何度も引きながら
鱧の全身の骨を細かく裁ってゆく「骨切り」の技術が考案された。
これによって鱧を新鮮なまま食する習慣が一般化した。

鱧の骨切りに特化して鍛造・刃付けされたのが骨切り庖丁である。
使いこなすのに必要な修業期間は10年とも20年とも言われる。
京料理「高澤」三代目の高澤陽一氏の使う骨切り庖丁は先代から二代にわたって使い込んだものである。
長年砥ぎ続けた結果、尺がずいぶんと短く磨り減っているが、身体の一部となっているため
簡単には新品に買い替えることができない道具である。


下左
料理人が
骨切り庖丁で切った
鱧の骨の断面。
滑らかな切り口となる。

下右
機械で切った
鱧の骨の断面。
もげたような
切り口となる。

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視点|6|underwater水面下

うまい井戸水で仕込んだ豆腐はうまい。

写真・下|Photo|© エレファントタカ(『京都おかず菜時記』/小平泰子・京阪神エルマガジン)