タイトル
ぼくが動物だったころ 第一夜
著者 / 話者

ぼくが動物だったころ

ぼく(本誌編集員|大里学)はかつて動物だった。今も動物なんだけど、以前はもっと動物だった。より野生だったといってもいいのかもしれない。高校生のころは、風呂が大嫌いで、週に1,2回しか風呂に入っていなかった。たぶん、そのへんの室内犬でもそれくらいは風呂に入っているだろうし、ぼくは室内犬ではなく放し飼いの汚いやつだった。そして、いつでもどこでも寝っ転がったり、とにかくなんでも反抗しておけばいいのだと思って生きていた。大学に入り、田舎のルールからは少し逃れることができたけど、少しだけ自分に責任ができ、大学とか学部とかいう小さな社会に適応しようとした。それから、少しだけ海外に住み、日本ではない社会にも適応しようとしてみた。たまたま会社員になり、営業になり、所属する会社という狭い社会への適応はしてきているし、ついこのあいだ結婚もしてステータス的にはかなり社会化したといってもいいと思う。

そんなこんなで、ぼくは、ヒトという動物から、社会化した人間へとどんどん近づいてきている。
たぶん、ぼくだけじゃなく、他のひとも動物だったんだろうし、同じように社会化した人間に近づく道を歩んでいるんだろう。まあ、他のひとが自分と同じように世界を見ているのかどうかってことについてはあまり自信はないけど。

酒は、というか、アルコールは、ぼくなんかが説明するまでもなく、まずは大脳の外側の「人間っぽい」部分を麻痺させるらしい。ぼくが酒を飲むと、そして酔っ払うと、内側の「動物っぽい」部分がぼくの中で目覚める。「正しさ」とか「面白さ」からは解放されたかのように振舞うんだけど、酔った時のかすかな記憶をたぐると、どうやらぼくは「正しさ」の逆張りをして「面白さ」を求めようとしているだけな気がする。動物に近づいても、「正しさ」や「面白さ」からは逃れられていない。

飲み会で、ウーロン茶かカルピスウォーターを注文するようになって1年半が経つ。

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今号の『広告』や、ぼくが担当しているこの記事が、work in progressという手法をとっている。だからもちろん「HOW」が最も重要なんだろうけど、同時に「WHO」、誰がwork in progressしているのか、も重要なんだろう。たぶん。編集者が、しかも編集の経験もほとんどなく、広告業界ですら知名度ゼロの32歳の「WHO」なんて誰も興味ないってことはわかりつつも、自分のことを書かなきゃいけないと思い、書いている。

この企画の締め切りの約1週間前まで、ぼくは新婚旅行でフランスに行っていた。旅行期間はほぼ3週間といろんな意味でずいぶんと思い切った旅行だった。この文章の左に出ているであろう議事録を読んでもらえればわかるんだろうけど、今号の制作がスタートした最初の2週間だけ編集会議に参加し、あとはずっと旅先だった。旅先では、「酒、酔っぱらい、酒場」についてではなかったが、今後の記事に協力いただけそうな方々とも出会えた。でも、日本との時差、一日中歩きまわることでの疲れ、そもそもが新婚旅行であるっていうことなどもあって、旅先で「酒」企画をすすめることはできなかった。動いてはみたんだけど。つまり、「酒、酔っぱらい、酒場」についてのこの企画については進捗度0%の状態で帰国したってことで。それが締め切り1週間前。こりゃもう記事自体が飛ぶなー、と思いながら、 市耒編集長と電話で話したところ「一発ギャグでもなんでもいいから自由にー!」と言われ、「やるか」となったのが、締め切り5日前。とはいえ、こりゃ誰かのチカラを借りるしかない、と大学の同級生で編集者の天川智也氏(以下、天川氏)に助けを求めたのが締め切り4日前。そこからは、怒涛のような3日間で、現在が締め切り6時間前。

今回ぼくがお話を伺ったのは、「酒について」の文章を書いたり、研究をしている方々ではない。今号のテーマであるところの「面白さ」についてはぼくが保証できる人たちに、酒のことを聞いてみた。そして彼ら3人を含め、この4日間、お会いしたすべての人達に共通の質問をぶつけてきた。「この企画どうしたらいいとおもいます?」

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第一夜
橘川幸雄氏
Kitsukawa Yukio

大里:正しいということとおもしろさ、その両方について考えてみたいなというのが今回のテーマなんです。酔っ払うというのはアルコールという物質が脳に影響を与えて人間が動物に戻っていく、本能を目覚めさせるという効果があるのかもしれないし、あるいはふだんと違う場所に行くことで当然だと思っていることが当然ではなく感じるという効果があるのかな? そういうことも含めて、橘川さん、教えてください!!

正しさは客観性、おもしろさは主観
橘川:正しさとおもしろさという区分があって。普通に考えれば正しさは客観性、おもしろさは主観じゃない。だから正しさは普遍なんだよ。おもしろいというのは主観だから、ある人はこれをおもしろいといっても他の人はおもしろくないということがあってね。
 仕事というのは99%言われたことをしっかりやることなんだよ。で、残りの1%が自分の楽しみなんだ。企画を立てて楽しいと言ったって、いったん通っちゃえば、あとは約束したことをきっちりやるのが仕事なんだよね。どっちが正しいというわけではなくて、あくまで比率の問題だけど、正しさとおもしろさがいっしょになっているというのが仕事なんだよ。おもしろい仕事というのは全部がおもしろいわけじゃないんだよ。どんなクリエイティブだって最終的には言われたことを仕上げるのが仕事じゃない? おもしろさというのは、簡単にいうと、人間って外側から内側に入ってくるベクトルと内側から外側に出て行くベクトルがある。正しさというのは外側から内側に入ってくるベクトル。おもしろさというのは内側から外側に出て行くベクトルだからバラバラなわけ。大事なのはバランスだから、まず、おもしろいか正しいかという区分が間違いだよね。正しさのなかにおもしろさがあるか、というのが合ってる。ただ、おもしろさを否定して、正しさを肯定するという風潮があったりしてね…。

日本人は正しさとおもしろさのバランスをうまくとれる
橘川:日本人というのはそのバランスがうまくとれる民族だと思う。たとえば占領されてパン食えと言われたときでも、そのなかで焼きそばパンができたんだ。日本の菓子パンというのは世界に誇れるんだよ。正しさと関係なく遊び心があったわけだ。それは大企業がやったわけじゃなくて、街のパン屋さんがお客さんを見て、あいつらを喜ばせてやろう、と思ってできた文化じゃない。すべてがそうだよ。車だってそうだよ。トヨタが「カイゼン」っていうけど、つまり改善ていうのは楽しみなんだよ。一人ひとりの欲求が内側から出てきてるんだよ。だからトヨタ自動車は焼きそばパンであるという持論があるわけだ。

数値が暴力を振るった!
橘川:戦後日本の成長はマーケティング論なんだよ。家電にしても食品にしても、お客さんのニーズとか志向とか驚きとかに対してサービスしてたわけだ。そのマーケティングが90年代に崩壊したんだよ。遊んじゃいけないというふうになったわけだ。図に乗ったところがあったんだよ。自分のブランドで作れば売れるみたいな。それで90年代にマーケティングを捨てて経営コンサルに移ったわけ。経営コンサルというのは利益率とか…正しさの追求なわけ。今までの「焼きそばパンの文化」が組織としての正しさという論理とぶつかって、数値主義が暴力を振るったんだ。出版業界もその煽りを受けて、80年代半ばまでは、会議といってもおもしろいってどういうこと? みたいなことを話してたんだけど、90年代になって、売上がどうどか…そんな話ばっかりになっちゃった。それは正しいかもしれないけど、おもしろくもなんともないよ。だから持ち込みなんかもなくなっちゃったよね。とりあえず必要なのは過去の実績だから…ということは新人には門戸が閉ざされているわけだ。なんといっても持ち込みに来るような新人には実績なんかないんだから。そんなのって、楽しくもなんともないし…もうダメ。ダメだよっ! いくところまでいくしかないな! 集中と拡散だよ!

日本のニートは超近代的自我
橘川:日本のニートって最先端だと思うわけ。つまり近代的自我が超近代的自我になっちゃってるわけだよ。ヨーロッパのニートってただ遊んでるわけだよ。仕事もしない、勉強しない、やる気もないというのがニートということになってるわけじゃない? でも日本のニートって徹底して社会から切れたりしてる。日本の本当のニートってすごいんだよ。一日中インターネットやってるんだよ。一日中インターネットやって世界中のことを知りつつ、外部からのコミュニケーションを受け付けていない。人とのコミュニケーションは切れてるんだけど、世界とはつながっている。こんな自我って他にないよ。日本は実験してるんだよ。次を模索してるんだ。

酒には二種類ある
橘川:酒には二種類あって、ひとつはアル中の酒。これはアルコール自体が好きなんだね。それから酒場とか酒場の雰囲気が好きという酒。この二種類があると思うんだ。俺は酒自体にはそれほど興味はないんだけど、70年代頃はゴールデン街には定期買って行ってたよ。つまり酒場という場所を介したコミュニケーションが好きだったんだね。コミュニケーションといっても、けっこう暴れたんだけどね(笑)。

酒は正しさとおもしろさの領域を曖昧にしてくれる
橘川:正しさとおもしろさ。つまり客観と主観のバランスのなかで現代人は生きてると思うんだよ。これがストレスになるんだよね。一方は締めつけたいと思ってて、一方は暴れたいと思ってるからね。そのへんを曖昧にしたいっていう欲望があってさ、アルコールはそのマージナルな領域を曖昧にしてくれる。ドラッグの一種なんだよね。合法的で一番気軽なドラッグかもしれない。俺なんか酒場派だから、酒を飲んでコミュニケーションを取るのが楽しいんだよね。コミュニケーション欲求を満たしてくれるから。

酒は進化を繰り返させるもの
橘川:人間て本来は野生なわけだけど、野生なまま生きたらダメなわけだ。でも定期的に野生に立ち戻る必要はあって、そのとき、リスタートを切るために酒は必要なのかもしれない。一回元に戻って、そして社会に向かう、社会化するというプロセスが必要なんだよね。進化を繰り返す。アルコールはその手伝いをしてくれるんだよね。社会なんて人工的なものだから完璧に社会の歩調に合わせて生きていくなんて無理なんだよ。

正しさを自分で決めることほどさみしいことはない
橘川:さみしさというのは重要な気持ちで、田舎ではあまり生まれることのない感情だよね。連帯があるから、そういう気持ちが生まれることは少ない。でもそこから一人で都会に出てくると、さみしさという感情が生まれるんだよね。東京はそういう気持ちを持った人間が集まっちゃったんだよ。さみしさを補完するのが酒場だったりする。
 田舎の正しさは共同体の正しさだから、自分で決めなくてよかったんだよ。でも都会の正しさは個人的に立ち上げなければいけないから、これはさみしい。自分の正しさを自分で決めることほど大変なことはないんだよ。
 昔、桜田淳子って秋田から出てきたアイドルが結婚するとき言ったことがあるんだけど、俺はそれを聞いて衝撃を受けたんだよ。「結婚相手なんて自分で決められるわけありません」て言ったんだ。それまで彼女は田舎でのルールに従って生きてきたから、自分で自分のことを決めたことがなかったんだよ。それが都会に出てきて自分で自分のことを決めなければいけなくなった。そのときに痛感したと思うよ。自分では自分のことは決められない。自分で自分のことを決めるほど大変なことはないってね。
 …とまあこんな話でだいじょぶかな? うん、よくしゃべってつかれたよ。どこか行く? そうね、みんなでワインバーでも行こうか(笑)!