タイトル
行け、若者。
著者 / 話者

行け、若者。

GKデザイングループ会長 榮久庵憲司

1929年東京生まれ。東京藝術大学図案科卒業。キッコーマンの卓上醤油びん、ヤマハオートバイ、秋田新幹線「こまち」のデザインなど、代表作無数。日本インダストリアルデザイナー協会理事長、国際インダストリアルデザイン団体協議会会長を歴任し、高度成長の中で文字通り「インダストリアルデザイン」の背骨をつくってきた伝説のデザイナー。巨匠は、今、何を想うのか。

やっぱり、僕から見ると、室町時代がすごくて、400年前の足利時代末期、義満、義政のときに、日本の文化というのは一気に発展した。よく展開された。一杯出来た。お茶もそうだし、お能もそうだし。今ある伝統的と呼ばれるものも大半は、その時期にできたと考えてもいい。それから江戸に入って、庶民の文化も花開いて、道具や風流みたいなものも増えていったのに、それが一気に消えちゃう。それが1945年なんですね。

これからの日本人は室町から育てられたものを、もう一度見ながら、そういう時代の空気や美意識を思い出して、それを今様化すればいいんだ。

やっぱり、物作りにおいては、クラフトとインダストリアルの違いが大きいでしょうね。アメリカが入ってきて、まったく同じものがばんばんできるようになっちゃった。それは全く悪くないし、むしろ良いことなのだが、問題は、「道具」に対する思想だと思う。簡単に言うと、道具は奴隷なのか、それとも心を持っている存在なのか、ということ。一度、道具を奴隷にしちゃうと、ただ工場で型に入れてただ作り続けて、それを思想なくだらだらと売って、使い終わったり、余ったりしたら捨てる、という。そんなのは文化でもなんでもない。

日本には昔からアニミズムという、すべてのモノには精神が宿り、霊性が宿るという、とてつもなく優れた考え方がある。これは単にモノを大事にするという概念より、もっと上の概念。熱田神宮の草薙(くさなぎ)の剣に象徴されるように、日本の神話には、道具というものが神体を帯びることが多々ある。身の回りの道具に心を認めると、一気に世界が美しく変わる。そういうことの欠如が、大きく日本の物作りにも影響しているのではないだろうか。アニミズムがこれからの日本の突破口になるのは、間違いない。

単純に日本のマニファクチャがスローダウンして見えているのも、規模ではなく、精神ね。人間に、誠実だとか、着実だとか、素直だとか、謙虚だとか、そういう「修行」の対象に「物作り」がなってない。マニュアルができたら、マニュアルどおりやれば、がちゃんがちゃんとできちゃうんだから。ところが、かつての物作りって、「制作イコール修行」だった。したがって、モノのツクリに「人間」がばっと浮かび上がってしまう。いい制作をするということは、いい修行をするということで、それはすなわち人格的に共に成長していくということで、最近はそれがなくなってきているんじゃないかな。だから日本の生産がマニュアル化されれば、韓国だろうが、中国だろうが、作れちゃう。でも本当の物作りってのは、そうじゃないんだ。

産業製品にだって心は宿る。昔のカメラはすごかった。今のカメラはなんだか持ち甲斐がない。なんでなんだろう。昔はキヤノンだって、ニコンだって、ライカに追いつけ、追い越せで、切磋琢磨した。カメラの発展を見ても、東郷平八郎がバルチック艦隊を破ったときの双眼鏡のレンズがカールツァイスなんだよ、そもそも。そういうものが発展してカメラになってきた。そういう意味で、同じ道具でも、命を掛けた精度を目指したわけだから、持ち甲斐があるものを作っていたわけだ。

昔のSONYの小型テレビにしても、私が初めて60年代にNYへ旅行したときに、五番街で人が群がっているわけ。それでみんながショーウィンドウで見ているのが、SONYのテレビ。周りの人々が「これは日本製で、なかなかすごいのを海を超えた連中が作ってるぞ」なんて言っていて。なかなか鼻高々だったな。昭和の半ばに、SONYの小型テープレコーダーが躍動的に進化したときも、当時の製造部長だった大賀典雄さんが何度もダメ出しを繰り返したと言う。誰が理由を訊いても、「私の耳がその音を受け付けません」というだけ。その大賀参りを10回繰り返してやっと完成品として認められる。昔の人はそういう目利きと志を、当然のように備えていた。

今の若い人はやたらデザインと言うよね。デザインって単に何かの表面をなぞる仕事じゃないんだ。そこを分かってほしい。僕が東京藝術大学に入ったときはね、図案科(今のデザイン科)といっても、まだ日本画科や油画科の格下に見られていてね。「畜生」とおもって、アメリカのインダストリアルデザインの雑誌とか、室町の道具とかいろいろ調べて、上野でいろいろレポートを書いて、校門のところで、新入生に20円くらいで売って配ってね。内容は、芸大図案科がどれだけ古くさいかとか、もう少し産業と直結したデザインをすべきだとか、いろいろ芸大の悪口とかを書いていたから、あるとき、油絵の教授がおっかない顔で一部買ってね、おそらく林武さんだったと記憶しているが、全部読み終えて一言。「君の言うことは正しい!」と。図案科の先生がそれを知って、僕を呼び出して、机を手でバンと叩いて「飼い犬に噛まれた気分なり」と高らかに怒鳴って、それでおしまい。昔の教育って、そんな感じだった。

クラフトでも、インダストリアルでもいいんだけど、モノを作る上で、大切なことは、自然に「肉薄」するということじゃないかと思う。つまり自分が作り出すものが、そのアサガオの花とか、そこのケヤキの木と同じくらい、みずみずしく生きてくれるものだろうかということ。水ってなんだ。太陽ってなんだ。それと使われるこの道具は一体どんな生命を宿すのか、ということを考え抜くこと。それは道具が、機能や人格を身につけるということでもあろうし、実際にそこまで精神を入れて作り込んだものは、自然と並んでも、共生して見えるものです。うわべの共生ではなく、自然に認められるほどの美しいものを芯から作り出せるかが、これからの課題ですね。

昭和20年に江田島の海軍兵学校針尾分校に入学しました。あの夏に、復員したときのことを今でも覚えている。広島の駅に降り立つと、建物も何もかもなくなっていて、街からは遠くの瀬戸内海が見えたんだ。普段は、決してそんなことないのに。あったのは、究極の「無」。半年くらいしたら、駅前に闇屋ができてね、ジェラルミンの鍋とかあって、ひっくり返すと三菱のマークがついていた。零戦を設計した連中も仕事がなくなっちゃって、そういう時代。そういう「無」の時代が、僕を形成している。

僕は何もない野原で、手に握るものが欲しかったんだ。僕は、そのとき、「モノ」と心の中で契約したんだ。
覚えてほしい。モノは、世界と人を結ぶんだ。

若者には、もう一度、世界と人を結ぶモノを作ってほしい。