タイトル
アルゴリズム vs 人間の創造性
著者 / 話者

アルゴリズムは人がつくる。世の中の大きなトレンドも人がつくる。
でもアルゴリズムはどんどん賢く、強く、とてつもなく速くなっている。
その時、人間の創造性は?

市場の7割を超える

顔の見えないトレーダーたち

現在、ウォールストリートの金融取引の7割近くがコンピューターによる自動的に証券を売買するアルゴリズム取引であるのをご存じだろうか?ヒトがほとんど介在しなくなった金融世界。様々なモデルに基づいて証券を売買するコンピューターの取引スピードは限りなく速い。8分間で120万回の取引を行うコンピューターを前にして、人間が判断し行動しても、取引できるのはせいぜい2、3回である。そんなコンピューターが圧倒する世界では人間には制御できない事件が起こる。2000年5月6日わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落し、世間を騒がした出来事がある。「フラッシュクラッシュ」と呼ばれる、この出来事の背景にアルゴリズム取引による短い時間での大量発注が原因ではないかと言われている。
金融の世界では、我々の想像を超えるスピードで人間とコンピューターの闘いが既に起こっている。ただ、コンピューターの取引の根幹をなす脳は人間が作ったアルゴリズムであり、正確には「人間自身がつくったアルゴリズム vs 人間」とが闘っていることになる。こうしたアルゴリズムは、クオンツ(計量アナリスト)と呼ばれる行動な数学的手法を用いて投資戦略や金融商品を開発する専門家によって作られる。主に、工学、数学、物理といった理数系分野での修士、博士号を持った人が中心で、80年代、アメリカのNASAのロケット打ち上げ計画が凍結されたことで、こうした多くの数学者、物理学者がウォールストリートに向かい、それ以降、金融工学が大いに発展した。

25ミリ秒で取引できるコンピューターに対して人間はせいぜい数分に1回の取引。速さが要求される取引において、もはや人間に勝ち目はない。フラッシュクラッシュによって市場のトレンドもまたコンピューターに操作されることが明白になり、金融市場におけるコンピューターの存在感が非常に高まっている。

人間生活に人知れず影響を与え始めているコンピューターやアルゴリズム。人の限界を遙かに超えるパワーを持つものに対して、私たちに残されたものは何なのだろうか?

小さい波と大きなうねり

アルゴリズム取引の主戦場は数分の世界。ここでの価格予測は外的な要因が少なく予測しやすい。しかし、数ヶ月から数年での予測は外的要因が大きすぎて予測が難しい。機械的な変動に呼応するように反応するという期間の短い小さい波はコンピューターに予測できても、政治・経済動向・文明観までも踏まえた世の中の大きなうねりを考えるのはコンピューターには難しいのである。
現実の金融市場は、人間の気ままな振る舞い、心理によって市場が大きく変動する。必ずしも合理的に行動しない人間たちは、金融市場の複雑さをさらに増大させ、モデル化を難しくさせる。人間の心理を読み、大きな流れを読むのはまだ人間に軍配があがる。
世の人たちの環境、生活、心から、大きなうねりができていく。世の中を動かす大きなうねりは、人間たちの行動や関係そのものから来るものであり、人間が作りだしていくのである。

閉じていない「系」の世界では

IF文は太刀打ちできない

アルゴリズムとは入力に対する出力への変換式である。つまりアルゴリズムによるあらゆるコードは、それがどのように複雑であろうと、「If」つまり「もし◯◯であれば、こうしなさい」という判別式による命令系統によって、動かされている。いくら進化したアルゴリズム取引が日々の金融取引の大分部を占めたり、チェスの世界チャンピオンや将棋名人を破ったりていても、今のコンピューターには、人間を超えられない大きな問題がある。

たとえば「マクドナルドでハンバーガーを買ってきて」と頼むとどうだろうか。人間なら近くのマクドナルドに行ってハンバーガーを買ってくるだけだが、人工知能がこの問題を解く場合、どこのマクドナルドに行くべきか?どうやっていくのが良いか?歩いて行くのか、車で行くのか、その場合、どうすれば最短距離で行けるのか、途中で何か障害が発生しないのか、ハンバーガーは、普通のハンバーガーを指しているのか、数多あるハンバーガーのどれなのかなど、無数の選択肢の可能性があるが、そのほとんどがその問題と関係ない。しかし、まわりの環境から、何が関係あって、何が関係ないかを調べるために、無限の計算が必要になって思考が止まってしまう。

ルンバはこの点では優れていて、掃除している部屋の地図を作成せず、いくつかの単純な行動で部屋の掃除を行っている。例えば、らせん状に掃除したり、壁伝えに掃除したり、障害物にぶつかったら角度を変えるなどの行動をして結果的に掃除を行っている。一見すると、ルンバは非常に高度な知性を持っているように見えるが、実は、その場その場で対応していると、最後には掃除ができていることに過ぎない。しかし、現時点のもっと高度な知能型コンピューターに対してこれをお願いすると彼には何もできなくなってしまう。当然、鎌倉駅前に置き去りにして「今日はくつろいでおいで」とキスして野放しにすれば、彼は微動だにせずずっとそこに居るしかできないだろう。つまり、チェスや将棋のような閉じた世界ではなく、一見して閉じていないように見える世界、例えば現実世界のような一見して単純に閉じていない世界、自由に開いている世界系では、そもそも探索する世界が何なのかを捉えることができず、関数の定義さえできない状態におちいるのである。 
鉄腕アトムのように、人間のように自由に考え、発想できる人工知能は「強いAI」と呼ばれ、閉じていない世界でも自由に思考し、創造的な活動ができるとされる。強いAIが、開いた系の世界を考えるとすれば、それは、精神世界も含むリアルな世界集合を相手にすることになり、宗教や思想など無限に広がる世界を相手にすることができ、人間に限りなく近くなる。しかし、強いAIを実現するブレイクスルーは現時点では見つかっていない。閉じた系の世界ではものすごく優秀なアルゴリズムでも、閉じていないように見える複雑な現実世界では、IF文を書くこともできない。大きな世界の事象を捉え、大きなことを起こすには、あまりにも考えることが多すぎて閉口してしまうのである。

心が震える世界をつくる。

コンピューターは、閉じた系の世界、その中の土俵ではとてつもなく速く、強い。でも、人間は今まで生きてきた社会そのものを、環境を、文化を作り出してきた。ひとつもルールがなかった世界にルールをつくり、文明、文化をつくってきた人間には、能動と自由とを持っている限り、今後も人間らしい覇気を持ち続けることができる。しかし、もし今ある世界を受動をしはじめたら、勝てる見込みはない。
人間にできること。それは、アルゴリズムそのものを考えること。そして、ルールがない世界自体をこしらえてしまうこと。
人間よりもずっと正確で確実に処理をしてくれるコンピューターとは対象的に、人間は間違いを犯すし、ずっと怠け者だし、一貫性がない。酒も飲む。でも、開いた系のこの世界では、非形式的な部分でのクリエイティビティを発揮するには、それくらいがちょうどいいのかもしれない。開いた系の世界では、まだまだ人間にクリエイティビティの可能性がある。世界を見る視点を変えてみる。アルゴリズムが住む世界のルールを考えて、新しいルールを作ってみる。コードを書くだけではなく、プログラム体系自体を創造する。ストーリーを書く。新しい価値感をつくる。心が震える世界をつくる。
音楽は数理的な研究と創造性がもっとも緊張感をもって戦っているフィールドのひとつだ。音楽は、メロディ(音階)とリズム(調子)とハーモニー(調和)の掛け合わせで構成される。つまり、理論上は、コード進行の快楽は、明快に解析できるはずである。アルゴリズム上では、系は閉じていると定義されうる。タイムコードの断面の気持ちよさも要素分解できれば、時間経過の積み重ねも、要素分解できるからだ。シンセサイザーなどの電子楽器の演奏情報のデータ形式であるMIDIは、基本的にはピッチ、ボリューム、ベロシティ、ゲートタイム、エクスプレッションという0から127の数値からなるパラメーター変数の組み合わせでメロディーやひとつひとつの音符の表現を行っている。現代のシンセサイザー音源は、膨大なデータ量があり、ぱっと聞いてもそれが、生音かシンセ音かどうかはわからない。このMIDIデータ内での組み合わせでほとんどの音楽表現が可能だとすれば、組み合わせ問題を解くのに優れたコンピューターはいずれ人間の心を揺さぶるメロディーを簡単に作り出せるかもしれない。

バッハの「2声の逆行カノン」という曲がある。この曲は楽譜を裏から透かして見たものが楽譜になっている。まるでDNAの二重らせん構造のように二つの旋律が絡み合っていく。数学的意図を持った上で、バッハはこの曲を書いたとされる。DNAの二重らせん構造や、木の葉っぱや複雑な海岸線など、自然界には自己相似性のあるものが多く、こうしたものの背景にはフラクタルといった非線形数学が隠れていたりする。音楽には科学的に要素分解できる法則があるし、そこには膨大な組み合わせがあるが、閉じた系であり、コンピューターが比較的得意としている領域でもある。

バッハがこの音楽の系の中で数学的にも、芸術的にも優れた作品を組み上げたなら、カート・コバーンはどうだろう。プリミティブな楽曲をチューニングのずれたギターと魂を吐き出すかのように声を絞り出す情景にはMIDIや数学的には因数分解しきれないパラメーターの山がたくさんある。複雑な音色やメロディーを構成し、その楽曲の中の音を紡いでいくかのように声を振り絞るトムヨークの声、東京で活動するバンド「nhhmbase(ネハンベース)」の突然変異的な楽曲構成、単純に因数分解できない複雑なパラメーターが彼らには溢れている。彼らのようなアーティストが、コンピューターにできない我々のコアなクリエイティビティの源泉を惜しみなく振り出しているかのようでもある。

残念ながら、計算されつくした装置によって最高の音楽はできる。そうやって作ったバッハの音楽を聞くことはできても、彼にその制作哲学を聞くことはもうできない。ただ、僕は音楽でさえ、その究極の要素分解ができるという立場をとって一応仕事はしている。しかし、そういうことができないという結論を見たいという欲求があるし、実際、そういった主張を肯定したい自分も一方にいるのだ。
「系」を開こう。