タイトル
臨界状態にいるぼくたちは、今日どうしようか

べき乗則は臨界状態の証し

べき乗則は、Vilfredo Paretoというイタリアの経済学者が初めて発見したものです。彼は富がどのように分配されるかを様々な国で調べました。結果、どの国でもごく少数が富の大部分を得て、残りの大多数は富をあまり得ていないことに気づきました。その収入と人数の関係を数式で表すとべき乗則が現れたのです。以降、地震やハリケーン、都市の人口、株式市場のゆらぎなど、様々な所でべき乗則が見出されてきました。

そして、1970年頃に物理学の分野でもべき乗則が発見されたのです。もともと物理が扱ってきた固体や液体、気体をいくら観測してもべき乗則は見られません。ですが、液体が沸騰して気体になる温度付近など、複数の秩序が競合している領域でべき乗則が見られたのです。そのような境界付近では物質を構成している分子は、液体になればいいのか気体になればいいのか決めることができないため、系全体のゆらぎが非常に大きくなります。そのようなゆらぎの大きい系が、べき乗則を使ってよく記述できることわかったのです。

ある系でべき乗則が成り立っているとき、その系は「臨界状態にある」ということができます。臨界状態にある系では、ほんの少しの変化によって、全体が非常に大きく変化する性質を持っています。例えば、水と氷が共存している系では、系の温度が0度をほんの少しでも下回れば系は固体になりますし、逆に少しでも系の温度が上回れば液体になります。また、臨界状態にある系は、系全体が時間的にも空間的にも均一ではなく大きなゆらぎを持っています。水と氷の場合は、温度や気圧を厳密に調整しないと臨界状態は現れませんが、先程挙げた地震やハリケーン、株式市場などは、秩序だった構造を作ろうという力と、無秩序でバラバラになろうとする力とがせめぎ合った結果、自然に臨界状態が実現しているのです。


株価にも立ち現れた単純なルール

また、べき乗則と深い関係にあるフラクタルの話をしましょう。フラクタルは自然界で頻繁に見られるパターンです。例えば木。木は複雑な形をしていますが、その形をよく見ると、幹から枝が生えその枝から小枝が生えて……という構造になっている。ある構造をズームアップすると元と同じ構造があって、その中にもまた同じ構造がある……という入れ子が自然界の様々な場面で顔を出すのです。ほんの小さな流れが小川となり、それらが合流して川となり、大河を形作る河川もそうです。宇宙でも、星々が集まって銀河を作り、銀河同士が集まって銀河群や銀河団を作り、銀河団同士が集まって超銀河団を作っている事が分かっています。こうした入れ子構造をシンプルに記述する為の数学的な概念がフラクタルなのです。

こうしたフラクタル構造は非常に複雑に見えますが、実は非常に単純なプロセスのくり返しによって生み出されます。例えば、DLAシミュレーションの図に示したパターンは、

  1. 真ん中に粒が一つある
  2. 遠くから別の粒が一つふらふら流されてきて、最初の粒と接触したらそこでくっ付く
  3. 次の粒が流されてくる


こうしたプロセスをくり返した結果できたものです。どの粒がどこにくっつくのかはランダムなので、同じことを何度試しても、全く同じものが生まれることはありません。しかし、何度試しても、完全に同じではないけれど、似た形のものが必ず生み出される。

それは自然に限りません。金融市場も先ほどの図と同じように、単純なルールが支配していると考えられています。市場の動きは複雑で予測ができません。その複雑さは、市場を動かしているのは人間で、人間の脳もまた非常に複雑だから--つまり複雑さが更なる複雑さを生む-- と考えそうなものです。が、人間の脳の複雑さとか個人の戦略の巧拙は、市場の動きとは全く関係がないようです。利益を目的とした売買戦略を持ったプレイヤーたちの相互作用さえあれば、市場のパターンは再現されていく。私たちの周りにある複雑な構造——先程挙げた木や川や宇宙など——だけでなく、人の作った市場や都市までもが、実は非常にシンプルなプロセスのくり返しで生まれている、というのは非常に興味深いものです。

少し見方を変えて、さきほどの構造上のある粒の上にいて、周りにある数粒しか見渡せないと想像してみてください。すると、全体を見下ろすことができないのですから、自分が全体のどこに立っていて、中心や末端がどっちにあるか知ることはできないでしょう。そこに個と世界における視点の問題が発生します。つまり、あなたは今、どこにいるのか。 現象の根っこにいるのか、それとも切れ行く枝の先っぽにいるのか。


いつ起きるのか、どのくらい大きく起きるのかが分からない

べき乗則や臨界状態の話をしていると、バタフライ効果やその元になるカオスを連想する方がいるかも知れません。カオスは、時間によってある状態から別の状態に変化する系が持つ性質です。私達は初期値鋭敏性と呼んでいるのですが、カオス的性質を持つシステムでは、ある時に生まれたとても感知できないような些細な違いが時間と共に急激に拡大し、最終的にまったく別物になるという性質を持っています。何が変化の原因になるか分からないため、カオス的なシステムでは長期的な予測を立てることができません。

例えば、人の乗ったブランコを10秒ごとに押してやるだけで、その軌跡はカオス的になり正確な予測はできなくなります。ですが、ブランコが前後に揺れること自体は変わらないし、突然飛んでいったり爆発したりすることもない。つまりブランコは予測不可能でカオス的であると同時に「安定」しているわけです。一方で、金融市場や山火事、雪崩などのべき乗則に従う臨界状態の系は違います。ほんの些細な変化が後々大きな結果を招き予測できないという点は同じですが、非常に不安定です。いつ起きるのか、どのくらい大きなインパクトになるのか、だれにも分からない。 次の瞬間には、株の大暴落や大地震が起きかねない状態にある。


売れてるCDがもっと売れちゃう不思議

自然界や人の作った市場などはべき乗則に従って予測不能だし、プレイヤー個人の能力とは関係なく動くにも関わらず、私たちは時代の潮流に乗ろうと考えたり、過去の事件や事例に学ぶことができると考えたりしてきました。私は、こうした見方は人の能力の限界ゆえではないかと考えています。もちろん人間の脳は非常に優れた器官です。人の持つ最高のものと言ってもいい。ですが、私たちが世界を把握する方法は単純なものに留まっている。例えば、どの国でも政治的なスタンスを左翼と右翼に分けて考えます。実際には革新と保守以外にも多くの論点があるにも関わらず、一本の軸の上で捉えてしまう。時代の潮流とか流行といったものもそうした単純化の一つなのでしょう。そして、それ自体はそんなに悪い単純化でもないとは思います。

流行に関しては一つ面白い実験があります。その実験は、ソーシャルネットワーク上に音楽マーケットを複数作り、市場Aは他人が何を買っているか全く分からない市場、市場Bは自分以外の10%がどの曲を買ったか分かる市場……、と他人の行動に関する情報を制限した時、曲の売れ行きがどう変化するかを調べました。その結果として面白いことが判ったのです。一つは、他人の動向が多く知らされている市場ほど、売れた曲と売れない曲の格差が大きくなるということ。もう一つが、ある市場のベストセラーが別の市場のベストセラーになるとは限らず、予測不可能だったということです。確かに、それぞれの曲には出来不出来があって、どの市場でも「良い曲」は常に真ん中以上に位置していたし、「悪い曲」が一位になることもありませんでした。ですが、同じ条件の市場でも、もう一度実験するとランキングが入れ替わったりしたのです。

この結果は、音楽としての出来と同程度に「他人が何を買っているか」という社会的情報が人の購買を左右していることを示しています。だとすると、実験開始直後にどの曲が買われたのか、その次の人は他人の動向をどの程度気にする人なのかといった、全体から見たら無視されてしまうような些細な偶然が最終的な売れ行きに影響を及ぼすことになる。音楽に限らず、流行とはこうした性質を持つように思います。一度流行しはじめると、「流行している」という情報そのものによって更に多く買われる。レコード会社や出版社はそういった予測不能性や偶然の力を認識しているからこそ、たまたまベストセラーになることを期待して、数多くの作品をリリースしているのです。


不確実性を能動的に生きよう

臨界状態にある世界では、自らの為した変化が手を離れて制御できなくなる可能性も孕んでいます。私たちの生活は絶え間ないイノベーションによって支えられており、次々と新製品や新技術が導入されています。それは素晴らしいことです。しかし、私たちはそのイノベーションがどこへ向かうか、予測することはできません。自分の作ったものであっても、それをどんな人がどう使うかを知ることは不可能です。例えばレーザーは、1920年代に発明された技術ですが、その応用については発明した当の本人ですら想像できませんでした。それが今では、DVDや眼科手術、人工衛星との距離測定など、幅広く利用されています。また、環境汚染や気候変動といったイノベーションによるしっぺ返しは、まさに臨界状態の予測不能性に起因すると言えるでしょう。

そんな世界で、個人はどう振る舞うべきでしょうか。まずは自分が安定して生活できるような、秩序立っていて予測可能な生活要素を持っておくことが大切だと思います。つまり、お金や食物を得たり、社会関係を維持する——。しかしそれだけでは十分ではありません。500年前の世界ならともかく、今の世界は非常にダイナミックに変化しています。これまで話してきた通り、ほんの少しの変化によって急激で巨大な変動が引き起こされるのですから、そういった小さな変化に敏感になっておいた方がいい。そのためには、自分とは全く違っていたり存在すら知らなかったような人や物、考え方に対してオープンであり続ける必要があると思います。確かに自分の知っている範囲で快適なパターンを繰り返して生きることは簡単ですし、安心でしょう。ですが、臨界状態にある世界ではより多くの世界や他者と繋がっていた方が、小さな変化の兆しを捉えられる可能性は高い。そして、なんの見返りも期待できないようなことも試してみることです。

もしもすべてが予測可能な世の中であれば、非常につまらないものになっていたでしょう。確実な世界においては、あなたが起こした行動がすぐ隣の人を少しだけ変えて、さらに隣に伝わるときには波紋が小さくなって、結局、全体に広がることは起こりえない。逆に完全に無秩序で予測不能だったら、私たちは一切どうすることもできない。わたしたちの住む世界が、秩序と無秩序の間で、そこそこ予測可能で、そこそこ予測不可能だからこそ、明日の予定を立てる楽しみもあるし、一方で、想像もしなかった出来事にドキドキしたりもできる。あなたのちょっとした変化が遠くの人に届いたり、増幅されて世界全体を大きく変える可能性がある。臨界状態にあるこの世界では、確かに、次の瞬間に何が起こるか予測できない上に、プレイヤーの個性を超えた複雑性も影響します。しかし、それは臨界状態の世界に生きる個人が無力であるということではないと思います。不確実性を能動的に楽しめるひとこそ、結果的に、不確実性の世界でうまくいくのではないでしょうか。