タイトル
言語vs非言語|ぼくたちは二元論を超えていけるのか
著者 / 話者

言語vs非言語
ぼくたちは二元論を超えていけるのか

INTERVIEW with Shing02

聴き手|市耒健太郎清田直博

どこから言葉はくるのか?
De La Soul vs 手塚治虫 ヒップホップの醍醐味
ラップというものは自分のアイデンティティと直結していなければとダメだと思っています。僕は東京で生まれて、物心がついた頃にはタンザニアにいて、千葉で小学生から中学生になり、15歳の時から現在までカリフォルニアに住んでいます。大学で電気工学とコンピューターを専攻しながら、一方で日本の古文を学び、理系と文系、日本とアメリカ、さまざまな二項対立の間を行き来しながら自分自身のアイデンティティを模索していました。そして、ヒップホップのカルチャーに触れ、そのアート性やメッセージ性に惹かれ、いつの間にかラッパーとしてステージに立つようになっていた。どんなアーティストでもそうだと思いますが、それまでの自分の活動や人生、つまり自分のアイデンティティを作品にどれだけ込められるかが勝負なんです。僕が日本人として「なぜヒップホップをやるべきか?」という問いと対峙した時、自分の持っているものを強みに転換しなければやる意味がないという答えに行き着いた。自分はアメリカ人でも黒人でもない。自分が日本人として育ってきた環境や文化、他の人が見て来なかったものを自分の強みとして表現しなければならないと悟りました。
瞬間的に湧きあがるインスピレーションとともに、自分の人生経験や外から受けてきた影響を総括しつつ作品に注入していく。僕がヒップホップに出会った当時、一人のリスナーとして衝撃を受けたのは西海岸の新しいラップや、東海岸ではDe La SoulやA Tribe Called Questなどのコンセプチュアルな作品だし、一方で僕が日本人として受けてきた衝撃は、手塚治虫や星新一のストーリーや、三島由紀夫や遠藤周作などの文学。そういったメジャーなものでもあらゆるものを融合させたら何が起こるのかという実験が、僕が最初に作ったアルバムでした。音楽という表現は映像とか文学やマンガに比べると、もっと手軽に作ることができて手軽に人とシェアできるもの。ヒップホップを通して知った音楽の楽しさを、僕は英語ではなく日本語で伝えたいと思ったんです。黒人は日本語でラップできないし、日本人である自分にしかできないことをやってみようというのが始まりでした。次第に英語の良さも気付いて、英語の曲も作るようになりました。
インスピレーションをどこから持ち込むかというのは、本当にアーティストの勝手だし自由。サンプリングやミックスはヒップホップの大きな魅力の一つですが、ソースの由来それ自体が表現になり、そこにその人なりのアイデンティティが反映される。曲のストーリーを作る上で誰しもがどこからかインスピレーションを借りてくる。言語だって借りているし、言葉だって借りている。いろんなものを借りてきた結果、どこまで自分らしいアレンジができるかどうか。ただフォーマットをコピペしているだけなのか、自分なりに咀嚼して、アレンジして、工夫して、磨いて、吐きだされたものかということが、作品としての大きな違いになります。
ラップというのは歌というよりも、むしろ言語として普遍的な「しゃべる」ことの延長に近い。アメリカのストリートで使われる「rap」(ラップ)という言葉には、「話す」と意味があります。例えば「I will rap with you later」と言えば「後で話そうぜ」という意味になる。元々、ラップは「rhyme」(ライム、韻を踏む)だけではなく「普通にしゃべる」ということの延長でもあるわけです。そこに独特のリズムやスラングが入ります。スラングとは日本語の方言みたいなものなので、そのコミュニティ内の人間でなければ真似ができない、テリトリーが付いたランゲージ。だから、ヒップホップカルチャーはテリトリー意識が強い人たちによって作られた「言語」を前面に押し出した音楽であり、音楽のジャンルさえも超えたアートの一種であり、音楽のルールに縛られない音楽と言えるのかもしれません。サンプリングしたビートに乗せて、しゃべりの延長としてラップを刻む。高価な楽器を買う必要もなく、学校に行かなくてもアイデアさえあれば自分はアーティストになれる。この事実はヒップホップが生まれたとされるニューヨークのブロンクスの黒人たちによってもたらされて、非常にショッキングなアートでした。その自由なカルチャーが世界中の人たちを魅了し、ヒップホップが爆発的に広がっていったのです。

どちらが先に生まれるのか? トラックvsリリック
僕は曲を作り上げるスタイルとして、その曲ごとの世界観をとても大事にしています。世界観というのは言葉にできない、そのとき頭の中に浮かんだビジョン、心の情景。その世界をまず音を土台にしてイメージを膨らませます。音の背骨になるビートをサンプリングソースやオリジナルの音源からつくり、その上にギターやベースなどの楽器演奏を載せてテクスチャーを与え、曲の土台となるトラック(伴奏音楽)ができ上がる。曲の世界観はこの土台ができた段階でほぼ完成しているんです。
人間にとって、音楽はムードや雰囲気をつくる大きな要素です。人間にはいろんなムードがあって、何も考えずにぼんやりしているときもあれば、日常の些細なことに思考を奪われているときもあれば、深い哲学的な思索を巡らすときもある。そのムードを引き出し、感情を呼び起こすのが音楽の役割だと思っています。トラックをつくるプロセスは非常にランダムですし、自分がどのタイミングでどんなレコードを聴いているか、その時どんな心境なのか、その雰囲気を反映させながら、絵を描くように曲を作っています。音としての言語と言っていいかもしれませんが、音の言語で自分はどんな世界を表現したいのか? 明るい曲を作りたいのか、暗い曲を作りたいのか。もっと具体的に、何拍子の曲を作ってみようとか、どのくらいの速さのBPMで作ってみようとか。それは一つの遊びのようなもので、遊んでいく過程で面白いアイデアが出る。さらにそのアイデアを曲にしたとき、完成度を高めるためにはどうすればよいかを考えていく。そういうプロセスが楽しいんです。
でき上がったトラックを聴きながら、その雰囲気に合うのはどんな言葉なのか? 自分の言葉を載せていきます。音楽的にインスパイアされるところから言葉が生まれるんです。日本語なのか英語なのか、言語のチョイスも一つですし、どんなトピックが合うのか、どんなタイトルが合うのか、一人称にするか三人称にするか、どんなストーリーにするか、詩の世界をどんどん練り上げていきます。曲は一つのストーリーですから、いわゆるスクリプトをするという点において、一冊の本を書いたり、映画をつくるのと同じ作業なのかもしれません。そこで作り手として、他の人がやっていないことを敢えてやるチャレンジも必要です。わざと古い言葉を使ってみたり、言葉の響きを引用して、自分の世界観を作るためのいわば道具として、言葉を一つのペイントとして使っている感覚です。曲としては最終的にリスナーの共感を呼ぶ事が目的なので、言葉や詩の意味を明確に伝えることに固執するのではなく、曲全体としてイメージや雰囲気として伝わっているだけでも充分な場合もあります。
サイエンティフィックにトラックを作り込み、アーティスティックにリリックを浮遊させて、その出会いと衝突の中から一つの曲が生まれる。脳に訴える部分と感情に訴える部分があって、その両方がそろって成り立つのがアート。言語というのは脳でフィルターしなければ意味が分からないものですが、音は一瞬でムードにシンクロできるんです、自分の感情が。

言葉は何をはこぶのか?
言語が非言語になる瞬間
言葉には言語学的な「language」(ランゲージ、言語)と、音としての「language」があります。定義を伝える機能的な言語に対して、感情を運ぶための視聴覚的な表現でもあります。後者は英語で言えば「vehicle」(ビークル、乗り物)、日本語で言えば「言霊」であり、感情をパッケージする手段としての言語です。例えば、同じリリックを10人のラッパーがラップをすると全然違う結果になる。ヒップホップやダンス音楽にはリミックス文化というものがあって、同じ曲で同じテイクであっても、リミックスされた新しいトラックに乗せると曲の雰囲気がガラッと変わる。声を録音する、声を届ける、あるいは生で伝える時に、表現としての言語になっているかどうか、そこが曲として一番大事なところだと考えています。スラングに始まり、アクセントに始まり、自分の声のイントネーション、声のトーン、声の大きさ、声のフロー、ラップは表現としての言語を駆使した総合的な芸術です。
例えば、本当にカッコいいラッパーは「あいうえお」だけを言ったとしても、カッコよく言えるんです。本当にシンプルな子供の歌を歌ったとしてもカッコよく聴かせる力量がある。もちろん歌詞の内容も大事ですが、歌詞以外にもストーリーやリリックの面白さ、韻の踏み方、発声、まさにいま自分が発した歌詞を「面白いな」と感じている間に、もう次のこと言葉を無意識で発しているような連続感、フロー。ヒップホップの本当に良い曲を聴いた時に感じる喜びは、美味しいご飯を食べた時と同じように、すべての小さなプロセスが重なった集大成を、五感全てを使って味わう喜びなんです。
そう考えると、言語だけではなく人間自体もvehicleだと言えるのかもしれません。人間という乗り物、器を使って感情を表現し、伝える。そのための道具としての言葉。声帯を使った空気の振動が人の耳に伝わるバイブレーション、脳に響く言語としてのバイブレーション、雰囲気としてハートに直接伝わるバイブレーション。音がなくても伝わるバイブレーションは、絵画かもしれないし映像かもしれない。人間の持っている魂やスピリットは、生物学的な感覚器官を超えて伝わり、伝え合い、双方向芸術にまで飛躍していく。まだ自分のアイデンティティを模索していた頃の僕がラップやヒップホップのカルチャーに一番共感したポイントは、感情を表現する上で、日頃の些細なストレスや政治的な抑圧から歴史的な抑圧が、全くの生のまま、裸のまま出てくるところです。人間の持つ「生」が言語の機能を超えて、非言語的な高みに達する瞬間。それを表現できている曲が一番カッコいいんです。