タイトル
なにが起きているのかを知らなくてはならない
著者 / 話者

「私たちが情報を生成する能力は、私たちがそれを理解できる量をはるかに超えている」
“Visual Complexity – Mapping Patterns of Information” by Manuel Lima

「つながりまくった世界」の現実とイメージング

現在のハイパーコネクティビティを備えたインターネットの世界は、“WEB(クモの巣)”といった牧歌的なイメージをはるかに凌駕している。マニュエル・リマは『VISUAL COMPLEXITY』で、現代ネットワーク状況のリアリティを衝撃的なビジュアライゼーションで伝えた。それは人間にとっての新しいイメージの獲得でもあり、リマが「キュレート」した多くのビジュアルは、ほとんど現代アート作品としても鑑賞可能だ。
例えば、クリスタファー・ベイカーによる”Email Map”。ベイカー自身が交わす膨大なEメールの軌跡は、何にたとえることができるだろう。あるいはクリス・ハリソンによる “WikiViz”。Wikipedia内のリンク構造を可視化したに過ぎないのだが、膨大な情報が複雑に相互関連するイメージの異様さはどうだろう。
検索とメール。いまや仕事やプライベートにとって欠かせない2つの行為が、毎日意識していようがしていまいが、世界中で莫大なデータを生成し続けており、それが実は「異様な事態」であることを改めて認めよう。そして、彼らのビジュアライゼーションによって、私たちは初めて、その事態を直感できる。

マッシブ・データ・フローから自動生成される自分

人知を超えた莫大なデータが世界に横溢している状況は、「マッシブ・データ・フロー」とも呼ばれている。コンピュータの処理速度が飛躍的に向上し、今までは非現実的だった大量のデータ処理が可能になり、その恩恵として、様々な領域の研究者が、様々な対象からデータを取り、解析することが出来るようになってきている。
 ITやビジネスの世界では、その状況を「ビッグデータの時代」とよび、データ活用のために日々知恵が絞られている。私たちの日々の行動の多くは、膨大な履歴データとして私たちの外部に蓄積されている。そして、その履歴はアルゴリズムの中に取り込まれ、また私たちへとフィードバックされる。例えば、Amazonでの自分のショッピング履歴が次の自分のショッピングへと連鎖し、または他人のショッピングへと連鎖し、そしてその履歴はまた自分のショッピングへと連鎖していく。この連鎖の中で生成していく自分とは、いったい自分なのか自分のコピーなのか、あるいは他人の集積なのか。
 <私のデータ化>は、お気づきのようにネット上のことだけではない。GPS機能が情報機器に標準装備され、ICカードによる電子決済が普及することで、リアルな生活空間での私たちの行動履歴はどんどんデータに蓄積され、変換され、読み取られていく。この状況を監視社会などと称して善悪の判断をしてももはやしかたがないと思われるぐらい、我々の生活のインフラとして根を張ってしまった。
 以前のように<世界>と別に<仮想世界>がデータでつくられるような概念なのではなく、<世界>自体がデータと不可分だと考えた方がいい。ただし、この<世界>では、私たちの主体性という概念すら覆されてしまうことのないように気をつける必要がある。なぜなら、自分が自分自身を定義する以上に、データがあなたを何者であるかを定義したがって、いつもうずうずしているからである。

友達の友達は友達か

もう一点、特筆すべきこと。それは友達に関してだ。SNSにおいて以下の暫定的な仮説によって、世界が勝手につながり、生成されていく。「友達の友達は友達です」。あなたが誰かのフレンド申請を受けると、その誰かがあなたの友達全員とつながる権利があるように設計された空間なのである。たった6人の「友達の友達」をたぐっていけば系統派生的に世界中の誰とでも友達であるという<スモールワールド現象>。さらに近年のFacebookユーザー調査によると、ユーザー間の隔たりはどんどん小さくなっているようだ。
しかし、それが勝手につながりはじめた今、理論上友達であるということと、触感として友達であるということの差異の再編成が、今後起こる。

興味深い話しがある。現代の子供は、小学生や中学生のときからすでにSNSで学校や塾の友達とつながっている。SNSが本名化したので、今後も高校、大学を経て社会人ヘとアカウント継続をすると思われていたが、途中でつかれて脱退するケースが多いという。思春期の多感な時期には、日々好きな人ができたり、誰かと仲良くなったり、喧嘩したりの連続だ。そこで問題になっていくのがSNSという母体がすべての過去をひきずってしまうことだ。たとえば高校に入って新しいひとを好きになったとしても、中学時代の「元カレ」と友達の友達でつながっていたり。解決しえない溝ができてできればもう会いたくない昔の友達とずっとフレンズのままつながっちゃうとか。そういった過去の望まれない蓄積が、日常的なこととなる。 そこにおいては「切る」ということが価値になり、SNSにおける情報リセットへの動きが起きているという。いわゆるSNS離脱の快感と言われるものである。

セルオートマトン|広がるルールと広がらないルール

Facebookは、ジャスミン革命によってチュニジアの民主化を大きく後押しした。Facebookは、同じ政治思想を共有する人の日常や発言をつなげた。一方で、Facebookの前身は、元をたどればハーヴァード大学構内の女の子比較サイトFacemashだったという事実を忘れてはいけない。Facebookのニュースフィードの最適化はEdgeRankアルゴリズムというユーザーの親近度・インタラクション・時間を主の要素とする算出式に支えられている。

思春期の多感な時期のある種下世話とも言われる数式が、数年経ち驚くべき展開で世界の逆側にまで渡り、プログラムをつくった本人の意図も超えて、ついには一国の民主革命まで助けてしまったのだ。人々のコミュニケーションを最適化・活性化するための数式であるアルゴリズムによって、地球の裏側のコミュニケーションの活性化を担い、民主革命にまで影響を及ぼしたりする。
複雑系研究、生命研究、プログラミングの分野でも注目されてきたセルオートマトンは、碁盤状の面で格子(セル)が、単純なルールによって、上から下へと展開しながら広がっていくものである。セルオートマトンは、セルが生まれたり死んだりすることを記述した簡単な内部ルールによってまったく異なった展開を見せていく。

例えば、クラス4というパターンでは、ランダムさと法則性のまじりあった複雑さをもった、生き物のようなビジュアルへと発展することで知られる。セル・オートマトンが描く模様は無数にあるが、すべては非常に簡単なルールから生成される。世界がこのマス目のようにお互いつながっているときには、自己が消滅しえない構造的な力=ルールを持ったときに、それが生命のごとく変容し続けて、地球の果てにおいて途方もないインパクトを持つことが可能であるということである。ネットワーク連鎖が生む自己生成的な環境においては、あなたの作るたった一つの数式が、世界を一夜にして変える可能性もあるのである。